第60号~第69号より
山田耕司さんのオススメ記事
週刊俳句のよいところはとりあげられるテーマの柔軟性、面白そうなことを引き寄せるスピード。
「週刊」って冠だから、その週に読んじゃったら、内容はすぐに古くなるか、というとそうではない記事有り。
そういう視点でこの期間の白眉は
●サバーピアの風景 榮猿丸 × 上田信治 × さいばら天気
第60号 第61号 二号にわたり連載
榮猿丸 感性的なものとしてのサバービア俳句。もともとの発想は、「意味の手垢にまみれていない風景」ということなんです。もうね、ここにつきる。
サバービアとは何かを定義している文章ではない。
俳句を固めようという文章でもない。
むしろ、解体。
「意味の手垢にまみれていない風景」
その「意味の手垢」とは何か。
ここの扱いが人によって異なりますねぇ。
逆説的ではありますが、この文を読むにあたっては、「意味の手垢」について自分なりの方向性なりこだわりをもっていたほうが面白いと思いますね。ここから虚心坦懐に学ぼうとするのは、よしたほうがよい。
解体されるべき自己のありようを客体化できる人を読者にしてこそ生きる文章。
ああ、週刊俳句って、そういう読者こそが読んでいるのかもしれないけど。
御説うけいれ謙虚に実践する、そんな行為は、彼らの意図するところにあらず。
「意味の手垢」。
あらかじめついている世の垢もあれば、個人でつけて自らの安らぎにつながる垢もある。
それを知っているからこそ、遠ざけることもそぎ落とすことも可能となるのであろう。
●火星から地球へ 山口優夢 第65号
意味の手垢」が生まれ、客体化されていくことの顛末。
サバービア的展開と交差させて読み直すと味わい深い。
世界とのカカワリについて自分のスタイルを見直すこと。
素材論でもなく、修辞の技術論でもなく。
たとえば「サバービアの風景」は、そうしたパラダイムの表象として、『超新撰21』登場以降、あらためて面白いと思うのでした。
池田澄子 みんな同じ穴のむじなだねえ、世の中たいへんなのに、こんなことで喜んでて(笑)
第65号 第66号 第67号 連載
●池田澄子 16000字インタビュー 「前ヘススメ」も「バナナジュース」も (中篇より)
●
≫既刊号の目次 061-080
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