2011-04-10

〔週俳3月の俳句を読む〕北川美美 満つる

〔週俳3月の俳句を読む〕
満つる
北川美美



311を境に日本は一変した。悪夢は、現実に起こり、私たちはこの現在を生きている。この震災を契機に、多くの人が言葉について考える機会を持ったのではないだろうか。災害発生を伝える情報、無事を確認するメール・電話、テレビから流れる生存者の言葉、リーダーシップをとる内閣府の言葉、天皇の御言葉、海外での報道、各国から贈られる言葉、ツイッタ―で拡散される言葉、通訳者の手話の言葉、新聞の見出し・記事・コラムの言葉、デマ、風評、「天罰」という言葉、再起を誓う人々の言葉・・・。空前絶後の状況の中で、「言葉」は、他者への伝達手段、認識を共有する手段、という目的を果たしているだろうか。

改めて「言葉」に対峙することについて考えながら「週俳3月の俳句を読む」を書かせていただく。



江ノ島の先はアメリカ日永し  淡海うたひ

確かに江の島のずっと先は、AMERICA領域。太平洋を臨むとき彼方にアメリカ大陸があることを想像する。掲句には、太平洋の大らかさと長閑さがある。「日永し」が効いている。

Pacific OceanはAmericanな香り。茅ヶ崎の「ホテル・パシフィック」もそういうイメージのホテルだったのだろうと想像する。「永」の字からYAZAWAも想像したり。そろそろ江ノ電に乗って海を臨みたい季節だ。世界単独一周渡航を終えたヨットマンが実際に言っていたことは、「漕ぎつづければどこかの陸に到達しますから。」彼は行きつく先の陸地で仕事をして、彼女をつくって地球を一周して日本に戻ってきた。

掲句が発表された(3月8日号)三日後に東北太平洋沖で大変なことが起き、更にその三日後に「アメリカ」からTOMODACHI作戦のもと、航空母艦ロナルドレーガンがやってくることなど、誰も想像できない風景だ。



水になったな人肌の雪女 金原まさ子

春になり雪が解けて水になる。この句は、「人肌の雪女」が、水になったと言っている。人肌は36度くらいだから、「人肌の雪女」はもともと水でなければならない。しかし、そのまま雪女は雪女でいつづけた。それが、とうとう水になった。人のぬくもりを知った以上雪女ではいられない。

「雪肌精」という名の化粧水は今もロングセラー商品だ。いいネーミング。

そして「○○女」といえば、「蛇女」「蜘蛛女」「猫女」等、結構多い。季語として認められる「雪女」は相当気品ある「女」である。季語というものの品格にあらためて気づく。



空仰ぐ首に余寒をまとひつつ 今井肖子

「余寒」が「余震」に見える。俳句はつくづく読み手側によりさまざまなインパクトをもたらすものだと思う。地震ショックと緊張のためか首が痛い。「空仰ぐ」で途方に暮れている様子、そして「まとひつつ」で春が来ることのしがらみを感じる。今、また余震がきた。地震の呪縛はつづく。「余寒」に現状における効果を感じる。



地鎮祭あとの真四角春浅し 今井肖子

「祭のあと」は、空しく寂しく、そこに「真四角」。四角なのは、土地であり気持であり。下五の「春浅し」により、その土地に新しい建物が立つという嬉しさではない感情が潜む。以前の土地を懐かしんでいるのか、複雑な気配が読み取れる。



一億の人の祈りに満つる花 今井肖子

「祈り」とは人が人であるが故の所為ではないだろうか。「希望を持とう」としきりにTV、新聞で訴えている。「祈り」は深い。そして、祈りの力で花が咲く。下五の「満つる花」に思わず手を合わせてしまう。「花」というだけで、さまざまなことを想う日本人の心が伝わることに改めて驚く。



噫、死児の頭上に千の太陽が 九堂夜想

「死児」-死んだ子(広辞苑)。震災を想うと、死んでいった子供たち、妊婦とともに死んだ胎児にも幾千もの希望の太陽があったはずだ。

詩人・吉岡実に「死児」という詩がある。

 「死児」(『僧侶』吉岡実)

 大きなよだれかけの上に死児はいる
 だれの敵でもなく
 味方でもなく
 死児は不老の家計をうけつぐ幽霊

 (略)

 死児は幼児の兄弟でなく
 ぶどう菌の寺院に
 この凍る世紀が鐘で召集した
 新しい人格
 純粋な恐怖の貢物
 
 (略)

吉岡の頭の中をコラージュ絵にしたような幻想世界。掲句は吉岡作品に共通するような幻想の聖霊とも読める。

掲句の「、」(句読点)について考えてみた。「ああしじの ずじょうにせんの たいようが」という五七五を「ああ(噫)」で区切るために見えるが、「噫」の字を俳句、あるいはタイトルとして使用する場合、一字空けが一般的のようだ。しかし、敢えて「、」を使用しているので意味を持たせているのだろう。「、」の代わりに「!」「☆」「◎」などを当てはめてみた。いろいろやってみるうちに「、」は、作者の言い足りなさを引きずっているように見えてきた。作者の「死児」の連作を読みたいと思った。



凧ぬっと太陽肛門へ 九堂夜想

太陽に肛門をつけた変な句で面白い。「超新撰21」に「肛門が口山頭火忌のイソギンチャク」(ドゥーグル・J・リンズィー)があるが、そういわれてみると太陽もイソギンチャクも形が似ている。凧が太陽の肛門めがけてぬっと上がっていく。私の世代だと肛門と言えば、漫画「こまわり君」のギャグ「七年殺し」が思い浮かぶ。作者は、その世代ではないにしても、そういうことをやっている子供をひややかに見る側の子供だったような気がする。しかし、どうもそういうことではないようだ。

作者の他の「肛門」の句を引いてみる。「風ぐるま墓は肛門吸われつつ」「肛門(アヌス)ごと零(ヌル)ごと王位継承す」これらの句をみてみると、「肛門」も「死児」同様に聖霊的な詩の記号として位置づけている。



白湯好む留学生や春の月 望月 周

白湯は病気か茶道の時以外あまり口にはしなかったが、インド・アーユルヴェーダ哲学に基づくエステティック施術を受けるため那須まで泊まり込みに行ったことがある。「シロダーラ」というエステで、事前に瞑想の訓練を受け、更に脈診という診察も受けた。この施設が、珈琲、お茶の類は一切口にできず、「白湯」(さゆ)のみが許されていた。食事は、ベジタリアンで大変美味しかった。飲み始めると白湯はやわらかく味わいがある。この留学生はインド人だろうか。



さつと醤油土筆煮詰めてゐる無言 澤田和弥

土筆といえば、「約束の寒の土筆を煮てください」(川端芽舎)が思い浮かぶ。掲句は、芽舎に妻がいたとしたら、お返しに作ったような気になってくる句。「無言」がいい。



はるはんし四畳半襖の母の地図 十月知人

四畳半というと、『四畳半襖の下張』(永井荷風作の説が高い)を連想するが、そこに母を持ってきてマザーファッカー度合を描いている。「はるはんし」のひらがな表記が更にポルノめく。一句で、これでもかというほど、ベタな春画が逆に艶めかしさを殺いでいる気がする。ポルノやエロスの句は、意識して描こうとすると難しい。




一筋の光となりし雪解川 赤間学

東北地方の雪解が日本の希望の光となってほしいと心から願う。
季節はそれでも流れて人は人を生きていくのだと思う。



第202号 2011年3月6日
淡海うたひ とことん 10句 ≫読む
第204号 2011年3月20日
金原まさ子 牛と葱 10句 ≫読む
今井肖子 祈り 10句 ≫読む
九堂夜想 レム 10句 ≫読む
第205号 2011年3月27日
望月 周 白湯 10句 ≫読む
投句作品
澤田和弥 土筆 ≫読む
十月知人 ふおんな春たち ≫読む
園田源二郎 日出国 ≫読む
赤間 学 春はあけぼの ≫読む

3 コメント:

北川 美美 さんのコメント...

「死児」(『僧侶』吉岡実)の引用箇所に訂正があります。
誤:大きなよだれかけの飢え
正:大きなよだれかけの上

Haiku Weekly さんのコメント...

直しておきました。

北川 美美 さんのコメント...

ありがとうございます。