2012-05-06

〔俳コレの一句〕津久井健之の一句 上田信治

〔俳コレの一句〕津久井健之の一句
本人の参加……上田信治

みづいろの朝にちよつぴり蝉の鳴く
  津久井健之

津久井健之は、携帯のアドレスを「スジューソーハ」としてしまうような人なので、写生の方法をベースに、俳句を考えていると見てまちがいない。

客観写生という言葉があるせいで、写生は、主観をはさまないでする描写と考えられやすいが、世界のもろもろは、すでに既存の言葉によって構成されているものなので、世界のあれこれをぴったりの、しかも新鮮な言葉に置き換えようとするとき、作者「本人」の参加が必要になる。写生を方法とする作家の作品が、すぐれた作家どうしであるほど、互いに似ていないのは、そのせいだ。

掲句「みづいろ」といい「ちよつぴり」といい、たいへん主観的な甘い言葉だけれど、その甘さは、この「朝」が、特定のその朝であることを、しかもそれは他ならぬ津久井さんの人生における、とある朝であることを主張している。その朝は「みづいろ」だったんだから、「ちよつぴり」だったんだから、仕方がないじゃないか。

「ちよつぴり」という形容は、指先でつまめそうな質感を「蝉」の声にあたえているのだけれど、その「ちよつぴり」
との対比で、「朝」の空間が「たつぷり」であることが感じられる。そういう朝が、津久井さんにあったのだ、きっと。


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