〔俳コレの一句〕
引っ掛かり 雪我狂流の一句
近 恵
他人様の波でゆらめくボートかな 雪我狂流
そんなこと考えもしなかった。俳句的発見といえば簡単だけれど、どうもそれだけではない何かを感じてしまう。というよりも勘ぐってしまうと言った方が近い感じか。
句会で御一緒したときには他の句に埋もれてしまいそうな普通で派手さのない句たちが、こうやって纏まっているのを改めて読んでみると、一緒に散歩をしながら、狂流さんの呟いている言葉を聞いているような気分になってくる。そういえばそんなこと言いそう、とか。思ったことを衒いなく口にし、そのまま俳句にしてしまったというような感じ。自選ではない効果というところもあるのだろう。
この句は自分が乗っているボートというよりも、第三者としてその景色を眺めているように感じる。ゆらめくというのがボートに乗っている感じではないからか。のんびりと浮いている小さな手漕ぎのボート、その少し離れたところを別のボートが行く。あるいはモーターボートか遊覧船か。その波がうわんうわんとやってきて、小さなボートを揺らすのだ。それをゆらめくと言う。けれど他人様という言葉からは、その波を受けているのは自分自身という感じもする。そこにこの句の引っ掛かりがある。ゆらめくというのはただ揺れているのではなく、水の中にいて消えて行きそうな儚さを醸し出している言葉だ。だから、揺れているボートを見ながら、自分自身もゆらめいているような感覚になっているに違いない。きっとそうなのだ。
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2012-07-22
〔俳コレの一句〕引っ掛かり 雪我狂流の一句 近恵
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2012-07-08
俳コレプラス 生駒大祐100句 水を飲む テキスト
水を飲む 生駒大祐
ひぐまのこ梢を愛す愛しあふ
カーテンの波打ちぎはへ春の雪
ティーバツグ糸に茶の染む椿かな
川のある町のさびしき花菜風
花烏賊は若草山の向かうなり
古びては種より薄き種袋
手鏡に部屋を収めし春の雁
薔薇の芽やゴッホは耳を失ひき
薄雲の梳き取る春の日差かな
干潟その一切を眼に収めゐき
あけぼのの馬の妊めるうすみどり
雲呑のあはせ目ゆるぶ春の風
あだしのの抱卵の木は辛夷の木
ビルの名の中に街の名日永し
がちやがちやと国債印刷機の彼岸
こまごまと佃煮暗し鳥帰る
考へたすゑに巣箱へ入りけり
花冷や瞼の内のみづびたし
熊蜂の桜をまへにしてゐたる
盛りゐて空き家の如き桜かな
呼ぶ声の奥へと向かふ桜かな
真白に建築模型飛花落花
江戸川に花押しあひて触れ合はず
朝光や重さを持たぬ蛇の衣
あやとりに橋現るる夕立かな
ヴィールスは体の芯を合歓の花
がうと来る四角き風の熱帯夜
ががんぼや片づけて本立ち上がる
黒板に描く簡単な熱帯魚
爽やかにピアノを映すサキソフォン
しらたまはことばとなれるときまろし
蚊帳あはれ凭れれば背に吸ひつきて
海底に山脈生るる新茶かな
人形の口唇硬し六月来
睡蓮や紙は光をはねかへし
涼しさや遠心分離機の微動
噴水の止む間に見ゆる木立かな
密談や鉄砲百合の花粉の黄
かはほりや絵本に雨の降り続く
七月の鏡の中のみづの音
明後日のこと貼られある冷蔵庫
面倒と思ふ牡丹を捨てにけり
七夕を小さな家の中にかな
らんちうの影のなくなる文机
雨雨と言い合ふうちの柚子の花
朝顔や眠りの果てに眼の開く
かたちてふもの青銅のきりぎりす
魚どちに廻る速さや秋暑し
どの戸にも日のある秋と思ひけり
やすやすとその白桃を包むもの
白桃にまはりの水のまつはりぬ
桃剥くや葉書の隅にとほき船
ゆふがたを蔦がのぼるよ吹かれつつ
遠山をさはる夜長の手がありぬ
外つ国の水売り暮らす秋の人
鶏頭の揺れて大きな家が建つ
黒葡萄の一顆を引けり皿動く
西瓜食ひ終えあけぼの色の皮残る
いてふはらり壜の中なる塩の山
いてふおちば浴室てふはかげのなき
索引のむかしことばや牽牛花
松毬や海より川の生え出てゐ
水飲んで楽しくなりぬ菊の花
ままごとのをはりは馬鈴薯のにほひ
くらしてふしづかな言葉水澄めり
望月に飴噛む音の大きくて
秋風や腹ぽつこりとスヌーピー
鹿の鳴きかはす扉のありにけり
投げられし秋扇はづむ畳かな
ドライブイン月かたむくに音のなし
鉄柵をへうたんの打ち続くなり
秋の夜のドアノブに傘掛かりをり
標本棚越しの会話や暮の秋
怪人名乗りて人をいぢめる日短
いくたびも読みかへす冬桜かな
おほどかに冬日は雲を押しのけず
くつつきてつみれぞ葱に白菜に
にはとりの首見えてゐる障子かな
ふくろふのほうと茶室の荒れてをり
手を汚すあぶらねんどやはるまひる
薄紙をまとへる本や都鳥
こはれ家の一塊としてこほるなり
大丸を鰤の切身が進みをり
電柱にくつついてゐる箱へ雪
白鳥に脚の一対古書の町
落ちし葉を聖樹の鉢へ棄てにけり
地つづきに凍ゆる湖となりにけり
かなしみや枯木に鳥のよく見ゆる
綿虫や歩いて先に行つてしまふ
それはそれは見事な関東煮でした
凍蝶の名残の指を嗅ぎにける
校庭の静かに消えてゆくや雪
サンドヰツチマンかつサンタ歩み来る
アパートの共用文庫年用意
元旦の水響きたる生家かな
祖父の家に鏡の数多節料理
いつ来ても叔母さんがゐる歌留多かな
元日の眠りにつかふ真昼かな
嫁が君大型計算機室より
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俳コレプラス 生駒大祐小論 ふわっと悲しい 上田信治
俳コレプラス
生駒大祐小論
ふわっと悲しい
上田信治
どの戸にも日のある秋と思ひけり
〈どの戸にも〉とは、たいへんふわっとした言い方で、それは家々の戸口のことでもあろうし、室内のドアや、戸棚の戸でもありうる。ともかく、目に入る戸のどの一つにも日が照っていて、この秋はそういう秋だと思った──と、この人は言うのだ。
綿虫や歩いて先に行つてしまふ
歩いて行くのは、誰だろう。まずは自分が歩いて行くように思い、句末からまた〈綿虫〉に立ちもどったところで、読み手は、綿虫に行く手をはばまれる。そして、行ってしまった人の輪郭うすい背中を見送るはめになるのだが、それはさっきまで自分だった人間の背中だ。
いずれの句も、ふわっとした把握で肝心なことが書き落としてあり、その書かれていない内容が、句に大きな空白を発生させている。
作者は、キャンバスをわざと塗り残す画家のように、そうやって書かない自由を楽しんでいるように見える。
それはある程度、意図的な言い落とし、あるいは口ごもりなのだろう。
七夕を小さな家の中にかな
このたどたどしくすら思える書きぶりが、七夕という素朴な習俗に響いて、呼び覚ますものがある。小さな家の〈中に〉〈七夕を〉飾る(?)という、ひとの心だけが書いてあり、それを介して、いにしえの人の思いのかたちが、ふと見えたような気になる。
いや、そんなことはいっさい書かれていないと言えば、その通りなのだけれど、何も書いてないからこそ、七夕→小さな家という言葉の連繋だけを手がかりに、アジアの貧しくささやかな生活の図が、心の隅をよぎったりもするのだ。
これらの句では、空白が、書かれるはずだったこと以上のことを発生させていて、そこにおそらく、この書き手の方法意識、というか方向感覚のようなものがある。
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一方で、くっきりと全部が書いてある句もある。
あやとりに橋現るる夕立かな
噴水の止む間に見ゆる木立かな
西瓜食ひ終えあけぼの色の皮残る
三句とも、視覚的な現象の立ち上がり、入れ替わりの瞬間を描出している。
一句目、橋に夕立から広重の「大橋あたけの夕立」を連想してもいいだろう。手の中に線で書かれた記号が現ると同時に、絵のように典型的なイメージが現れるあざやかさ。
二句目、噴水が吹き上がることをやめて下落するとき、その向こう側に見えるのは、やはり垂直に上昇するベクトルを持つ木立である。噴水がまた昇るとき、木立は隠れる。その上昇下降の目まいのするような入れ替わり。
三句目、西瓜の皮の白と滲みあう薄い赤を〈あけぼの色〉とは、それだけでも良くできた好ましい直喩だけれど、自分にはそれに加え「後朝」というようなことが、どうしても連想されてしまう。
いずれの句も、ただ物質の世界を描写しながら、その現象の体験にとどまらないものが、立ち上るように書かれている。
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じつはそれは、先に挙げたふわっとした句にも言えることで、これらのどの句にも、書かれることなく立ち現れるもう一つのものがある。
この100句中、かなり多様な方法論を試していると見える作者だけれど、一句に何かあえかな別項のようなものが立ち上がることが、達成目標として意識されているのではないか。
ふわっと書かれた句に現れるそれは、うっすらと悲しく、くっきりと書かれた句に現れるそれは、ひたすら美しい。
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生駒大祐の書く情報量の少ない句に、悲しみのようなものが伴うことは、古い映画や録音音楽に似ている。聞き取りにくい声やにじんだ映像のようで、生きることの生々しさが剥落したあとに、残るものの感触がある。
彼は、口にできない悲しみを表すために俳句を選んだのだろうか。そう思わせるほど、この100句にはメランコリックな句が多い。それは〈明後日のこと貼られある冷蔵庫〉〈それはそれは見事な関東煮でした〉のような一見能天気な句にもうすうすとある、この人の作品の一つのトーンである。
そして、くっきりと書き込まれた句は、言いたいことの一つもない空間に、言葉の純粋な運動として書かれるから、美しいのだろう。
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ひぐまのこ梢を愛す愛しあふ
熊の仔は木登りが得意なものだ。しかし、それを〈梢を愛す〉と言うことは、ずいぶん恣意的な言葉遣いである。そして、この人は、さらにそれを「(いや愛すだけではなく)愛しあっている」と性急に言いなおす。
熊の仔と梢が愛し合うのか、熊の仔どうしが愛し合うのか、この言い方では特定できないような気がするが、そうやって言い損ないすれすれに使われる言葉が、それを愛と呼ぶことの極端な切実さを重ねて主張している。
木の尖端における仔熊の動きは、空無を相手にしての自動運動のようなものだろう。
秋の日にこの戸もこの戸もと思いながら歩くことも、あやとりの手のあいだの空間に降る夕立も、きっとそれに類するもので、空無を相手にしての自動運動のような愛、とは、ひょっとしたら俳句に似たものかもしれない。
そういったものへ向かうことが、この人の方向感覚なのではないか。
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〔俳コレの一句〕 写生に徹したところが逆に 太田うさぎの一句 近恵
〔俳コレの一句〕
写生に徹したところが逆に 太田うさぎの一句
近 恵
寿司桶に降り込む雪の速さかな 太田うさぎ
この句は太田うさぎさんの句の中でもとても好きな一句である。この句を初めて見た時に、故郷の雪の日のことを思い出した。雪は積もり始めはすぐに解けてしまうのだが、そのうちに触れるものの表面を冷し、積もり始めるとあっというまに一面白くしてゆくあの景色。後の雪掻きの事を思えばどんよりとなるが、どちらかというと心弾むような感覚だった。
どうということのない景色である。表に出した寿司桶に見る間に雪が降り込んで、朱塗りの桶の内側をどんどん白くしていくというだけのこと。色の対比が鮮やかな、心情を省き写生に徹している句。しかしその写生に徹したところが逆に状況や心情を浮かび上がらせる。
寿司桶を表に出すということは、親戚などが集まるなどしてみんなで寿司をつまんだのであろう。けれど食べ終わって洗って表に出したその寿司桶にずんずんと雪が降り込む、それをじっと見ているという行為からは明るい心情を全く感じない。外は寒く、空は低く重たく、雪はあっという間に寿司桶を白くしてゆく。その光景を思い浮かべる時、辺りに広がる雪景色ではなく寿司桶だけをじっと見ているその行為が、ぼんやりとして何かそこに気持ちが全くないようなそんな感覚を受ける。ともすれば、全部消してしまえとすら思っているかのようでもあるのだ。
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2012-07-01
〔俳コレの一句〕 この人の遊び方 山下つばさの一句 上田信治
〔俳コレの一句〕
この人の遊び方 山下つばさの一句
上田信治
ゆらゆらと金魚のふんやヘリ通過 山下つばさ
金魚から、金魚のふんが切れずに、ゆらゆらとぶら下がっているわけです。金魚は、水槽を泳ぐともなく、横へ横へとたゆたうように移動している。金魚とはそういうものです。
と、上空を、ヘリが通過する音がきこえてきます。ぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱた。
はい、そうです。金魚とヘリコプターが似ているように、金魚のふんとヘリの音もまた似ているのです。ヘリの音は、ヘリコプターが、移動しながら垂れ下げるものなのだ、という発見が、ここにあります。
そしてヘリの音を聴いているうちに、次第に、私がいるこの街と空の大空間が、目の前の水槽とその中のジオラマのように感覚されてくる。
感覚的相似をテコに何かをねじまげる、このような句は〈時雨るるや伊豆半島をなぞる指〉〈木の芽時空へうろこを放ちけり〉〈海が森を飲み込むやうに春キャベツ〉と100句中いくつもあり、どれもたいへんあっけらかんとしている。
そこに、この作者が世界と遊ぶときの流儀のようなものが、うかがえると思います。
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2012-06-24
〔俳コレの一句〕夜はこれから 渋川京子の一句 西原天気
〔俳コレの一句〕
夜はこれから 渋川京子の一句
西原天気
レモン囓る夜空は大いなる途中 渋川京子
「まだ宵の口」という科白をよく耳にした。帰宅するまで、寝るまでには、まだ時間がたっぷりある。仕事にはあまり使わない。愉しいことをしている。そうした慣れ親しんでカジュアルな、悪く言えば俗な事柄を、この句が詠んでいると言うのではないが、まだ「途中」である、このさきがあるのだという物言いには、自分のような俗な人間には、詩としてよりも、ふだんの気分として受け取るほうがしっくりくる。
夜ではなく、「夜空」と、実際に目に見えること、頭上に広がるものとした功績は、ほんとうに大きい。夜とか時間とかの観念をはるかに凌ぐ、夜空というモノの威力にあらためて気づかされる。
一方、「レモン囓る」は、なぜか作者がひとり、そこにいるような気にさせる。レモンという一点、囓る行為という一点を中心に、夜空が刻々と、またゆったりと「途中」である、その構成の妙。
加えて、レモンは熟成の似合わない果実であることから、この句の一瞬性が際立つ。試しに、桃やバナナなど熟れてゆく果実を代わりに置いてみれば、この句の鮮やかさがよくわかる。
名状し難く、しかし確かに(作者の、そして読者の)そこにあった気分が、みごとに定位した一句です。
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2012-06-10
〔俳コレの一句〕矢口晃の一句 西原天気
〔俳コレの一句〕矢口 晃の一句
将来設計……西原天気
あと二回転職をして蝌蚪になる 矢口 晃
変身譚ではあるのですが、伝奇風でも説話風でもないのは、「転職」という現実べったりな材料のせいでしょう。すでに何度か転職をした人の、将来のプランのなかに「蝌蚪」。奇想ではあるのです。
蝌蚪になるというのはどんな気持ちなのでしょうか。
おたまじゃくしを見て、かわいらしいと愛でる人もいれば、気持ち悪がる人もいるようです。先日、スピカで紹介されていた《鬱ですかおたまじやくしをあげませう》(近江満里子)という句を読んで、もらったら「もっと鬱になりそうだ」と思った自分はどちらかといえば後者です。
掲句。転職して、いい給料がとりたいとか、快適な職場でやりがいのある仕事がしたいとか、そんな期待や願望は、作者のプラン、いわゆるキャリア・プランてやつですな、それには入っていません。蝌蚪です。あの、にゅるにゅるとした…。
これをこの時代に特有の鬱屈などと軽々しく言うのはやめておきます。
おたまじゃくしが背広を着て電車で揺られている絵を、頭の中に描くことにします。
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2012-05-27
〔俳コレの一句〕林 雅樹の一句 西原天気
〔俳コレの一句〕林 雅樹の一句
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2012-05-06
〔俳コレの一句〕津久井健之の一句 上田信治
〔俳コレの一句〕津久井健之の一句
本人の参加……上田信治
みづいろの朝にちよつぴり蝉の鳴く 津久井健之
津久井健之は、携帯のアドレスを「スジューソーハ」としてしまうような人なので、写生の方法をベースに、俳句を考えていると見てまちがいない。
客観写生という言葉があるせいで、写生は、主観をはさまないでする描写と考えられやすいが、世界のもろもろは、すでに既存の言葉によって構成されているものなので、世界のあれこれをぴったりの、しかも新鮮な言葉に置き換えようとするとき、作者「本人」の参加が必要になる。写生を方法とする作家の作品が、すぐれた作家どうしであるほど、互いに似ていないのは、そのせいだ。
掲句「みづいろ」といい「ちよつぴり」といい、たいへん主観的な甘い言葉だけれど、その甘さは、この「朝」が、特定のその朝であることを、しかもそれは他ならぬ津久井さんの人生における、とある朝であることを主張している。その朝は「みづいろ」だったんだから、「ちよつぴり」だったんだから、仕方がないじゃないか。
「ちよつぴり」という形容は、指先でつまめそうな質感を「蝉」の声にあたえているのだけれど、その「ちよつぴり」
との対比で、「朝」の空間が「たつぷり」であることが感じられる。そういう朝が、津久井さんにあったのだ、きっと。
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2012-04-15
〔俳コレの一句〕齋藤朝比古の一句 茅根知子
〔俳コレの一句〕齋藤朝比古の一句
アカグンって何?……茅根知子
赤軍の籠りし山の芽吹かな 齋藤朝比古
その日、高校の制服を作るため池袋のデパートにいた。店内には(たぶん特設の)テレビが設置され、雪山にヘリコプターの音が響く中、山荘と機動隊員が映し出されていた。小学生だった作者も、きっとテレビに釘付けだったことと思う。
掲句には、40年前もの記憶を鮮明に呼び起こす強さがある。もはや、アカグン? セキグン? それって何? と言われそうな時代になった。しかし、筆者にとっては赤軍(連合赤軍)=1970年代であり、時代を表すキーワードとして、季語と同じくらい強く働く。当時の雪山を思い出し、そこに現在の〈山の芽吹〉を重ねることによって、今更ながら、遥かな時間の経過を思い知らされ、とんでもなく力強い句になった。
掲句は100句の中の1番ではない。が、100句の中に外せない句である。作品群のところどころに漂うノスタルジアが、この句を残して! と強く訴えるのだ。俳句が、間口17音奥行無限大であることを証明した1句と言えるだろう。その他〈動力は輪ゴム三本夏休〉〈仏壇のやうなテレビや柿の秋〉〈後の月ひとりの幅の跨線橋〉〈雪もよひ家のかたちに薬包紙〉などに注目した。
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〔俳コレの一句〕岡野泰輔の一句 西原天気
〔俳コレの一句〕岡野泰輔の一句
いたずらを仕掛ける+生計の在り方……西原天気
音楽で食べようなんて思うな蚊 岡野泰輔
16音/1音。この句の趣向は誰の目にも明らかでわかりやすい。
2音で切れる句(この句の/を切れと呼ぶかどうかは置いておいて)は、三鬼《算術の少年しのび泣けり夏》がよく知られ、多くはないが、目にしないこともない。けれども、16音/1音という形は、はじめて目にした。
それだけの話かとおっしゃる方もおられようかと思うが、俳句に(ひいては言葉に)いたずらを仕掛けるようなこの態度こそが貴重だ。
(蚊のところ、蛾でも行けるが、作者は蛾ではなく蚊を選んだ)
(ひょっとすると、「音楽で食べようなんて思うな、血を吸って生活していきなさい」といったメッセージを随伴的に響かせたかったのか? いや、違うか)
(蛾ではなく蚊、という作者の意図、意識の流れは想像できなくとも、「1音。おもしろんじゃね?」という作った瞬間の笑顔は想像できる)
さて、「音楽で食べる」という部分、そのこと自体は歴史的にずいぶんと昔にまで遡ることができるが(西欧なら宮廷音楽家とか)、ふつうに読めば、職業選択の自由が定着して以降、さらに音楽ビジネスが若者の夢の選択肢としてカジュアルに広まって以降、まあ、70年代以降。
とすれば、夏休み、ひさしぶりに帰省した大学生の息子から、「じつは、とうちゃん、オレ、音楽やりたいんだ」と、南瓜の煮つけに箸を突き刺しながら切り出されて、「うむむ」と言葉に詰まってから発した父親のセリフと解することもできる。「ばかもの!」と怒鳴らないだけ、この父親は、ものわかりがいい。
音楽で食べていないたくさんの人が音楽に生かされている。俳句で食べようなんて思わないたくさんの人が、俳句/俳諧に生きている。作者もそのひとり。
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〔俳コレの一句〕南十二国の一句 村田 篠
〔俳コレの一句〕南十二国の一句
鏡の見える場所……村田 篠
鏡みな現在映す日の盛 南十二国
鏡というのは、基本的に怖いものだと思っている。そもそも「映る」ということが怖い。なにより、自分自身の目では見ることのできない「自分」を、まんまと映してしまうことが怖い。
だから、鏡の俳句は、なにかしら仄かな怖さをまとっている。「実」ではない「虚」を覗く怖さ、自分で自分を見ることの怖さ、日常気にもかけていないものが映りこんでしまう怖さ。数え上げればきりがない。
私の中の、そうした鏡のイメージをさらりと払拭してくれたのが、掲句だ。それは何より、鏡の映すものが「現在」だと言い切っていることに由来する。けれどもこの句は、決して一般論めいたフレーズに季語を取り合わせているわけではない。「日の盛」という季語が、その生理に訴える力が、強く作者の存在を感じさせてくる。そこには、囚われることなくしずかに鏡を見ている作者がいるのである。
が、この「現在」ということばは、実際のところ、具体的には読者になにも見せてくれない。さらに言えば、それは何であってもよいのかもしれない。鏡の中にあるのは「時間」だけだ。ある暑い夏の日の昼下がり、そのなかの一瞬である「現在」が鏡によって切りとられている。この句が見せてくれるのは、そういう光景だ。
鏡と、鏡を見る自分と、鏡の外の世界。少し後ずさってこの光景を見ると、鏡が、その映し出す世界よりはるかに大きな時間の中に置かれていることに気づく。いや、昔から、いつだってそうだった。ただ、時間の流れを俯瞰できる場所がどこにあるかを知っていて、そこから鏡を見たことがあるかどうか、ということだけだ。
作者はたぶん、その場所を知っているのである。
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2012-02-26
『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会 (3)
『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』
総括座談会(3)
参加:筑紫磐井、高山れおな、対馬康子、上田信治、西原天気
日時:平成24年1月18日
場所:帝国ホテル鷽替の間
≫承前 (2)
●企画の特徴
「年齢制限・自撰他撰・公募など」
上田:他撰はですね、えーと。自分が『超新撰』に入れていただいた時、かなり嬉しくて、自撰にめちゃくちゃ時間をかけたんですよ。3か月まるまるくらい。選んで編むということが大好きですし、自分の俳句も好きでしょうがない。でも、ぼくなんかは、気を使う先生もいないから好き勝手にやれますけど、先生や俳壇の期待する作家像に自分を合わせてしまう人が多いような気がしてきたんですよ。
それで、自撰が本来だし、実際それができる作家さんがほとんどだけど、今回の本は、プレゼンテーションのアイデアということも含めて、他撰でやってみようかなと。
(後日、小澤實さんが、ふらんす堂HPの「小澤實の俳句日記」1月17日付のコメント欄で、『俳コレ』の作品は、作者の師以外の選者が選ぶかたちで編集されている。結社に所属しない作者の句を読ませるための工夫だが、結社所属の師のある作者にとっては師の存在が薄まる印象がある。結社がすべて滅び去った後にも、俳句は滅びないのか。と書かれていて、きびしいご意見をいただいた、と思いました)
ただし、作品資料を作家の方に提出していただく段階で、みなさん何百句かに自撰していただいてますし、撰者の方の選んだ100句については、タイトル、配列ふくめ協議の上、決定することにしていました。
あらかじめ相談の余地を作っておいたわけです。相談の余地があるということは、編集部の介入する余地もあるということで(笑)、場合によっては若干の相談や調整があった、というかんじです。
撰者の人選は、編集部でこの人で行きたいとお願いして、でも希望があったらおっしゃって下さい、ただし結社の主宰以外で、というかたちで提案しました。作家さんみなさん、編集部提案の撰者の方でOKでした。
作者と撰者のマッチングは勘です。てか、ウチはたいがい、なりゆきと勘なんです。
撰者22人のご助力は、本当にありがたかったです。筑紫さん、対馬さん、高山さんもありがとうございました。だって、すごい責任ですからね。〆切り前に徹夜をして下さった方もあり、出張先から「思った以上にたいへんなので2週間延ばして欲しい」と言って来られた方あり。そういう声が上がると、ぼくは嬉しいわけです(笑)。それだけ、重さを感じて必死でやって下さったということですから。磐井さんが虚子ばりに「私の松本てふこ」を主張してらっしゃいましたけど、そのことは、みなさんが言う権利があるかもしれない、と思います。
筑紫:「私の松本てふこ」でもないし虚子でもないというのに(笑)。私が言ったのは、選とプロデュースは違うものだと言うことで、プロデューサは通りすがりの女の子にテレビに出ない、と声をかけるいかがわしい人種。選は優等生を育てる立派な教師だろうと思います。
私自身、選はやったことがありますが、こんなことは初めてです。価値基準はこの子がヒットするかどうかで、日ごろの私生活は無関係だし、また売り出した後は、あとは野となれ山となれで責任を取れません。松本てふこにもそういうことになるよと言ったら、健気にもお願いしますと言ったんです(これってAKB的だなあ)。しかし、こうやらないと本当の才能は発掘できないかもしれないと言う信念はありました。本当は自撰の方が作家自身には納得できるのでしょうが、他撰をする限りこれくらいやってみないといけないかと思いました。
公募は、既に書いた通り、大昔の三一書房の短歌大系に倣ったもので、高柳重信の五十句競作はこれを見本にしたものと聞いています。我々の企画がこの時の短歌大系の入選者長岡裕一郎の追悼会で始まったものですから、彼の業績をしのぶ意味でも一度はやってみたかったですね。
高山:私は谷口智行氏の選句と小論を担当しましたが、楽でした。「私の谷口智行」はあらかじめ出来上がってましたから。それに添って選んでいったらだいたい120句くらいになったと思います。120句を100句にするのは、まあ難しくはない。自分としては、「私の谷口智行」がイコール「谷口智行がそう見られたいと思っている谷口智行」なのではないかと考えてもいたのですが、ご本人的にはどうなのか。心外です、とはねつけられたりして。
こんなことを言うのも、谷口さんの第2句集『媚薬』の栞文を宇多喜代子氏と片山由美子氏が書いているのですが、そこでの鑑賞が納得できなかったということがあるのです。そこで選ばれていた句がまさに、ここ20年か四半世紀か、彼女らのような人たちがよしとしてきた傾向に属するものばかりだったからですね。
「暮らしの中の艶笑性」を書きたいとはっきり宣言している人の作品から、艶笑性や卑俗さを避ける形で句を選んでいて、そりゃないよと思ったわけです。熊野の艶笑性の俳人を無毒化して、どこにでもいるお上品な伝統俳人として呈示しているんだな。だから、彼女たちに抗って、作家自身が宣言した方向性で純粋化するという意識でしたね。
対馬:私は望月周さんとは直接面識がなく、作品も断片でしか知らなかった。でも気になっていて、たしか『超新撰』のときに推薦しました。送られてきた作品はどれも俳句的詩があって素敵で、100句に絞るのは迷いました。私の選はやはり正当路線かな。
ところで「くわえて7句」の栞はどうですか。アンソロジーに載せる他薦100句という仕事は本当にたいへんでしたよ。自選でも他薦でも読者はその作家のベスト100句として読むでしょうし、主役を際立たせる選でなければならないわけで、そんな思いで選をしたのに、届いたら付いていた。「なに故さらに7句」と思いましたが…。
上田:撰者の方のご厚情を、ある意味裏切るものと取られても仕方ないような栞だったと思います。お気持ちを害された方には、お詫びしたいと思っています。
ただ、メインはもちろん撰者撰の100句。栞は、おまけとして、こういうのもありますよ、という、読者の「お得」をメインに考えたものでして、じっさい冨田拓也さんが「詩客」の連載で書かれていたんですが「一応、本書には資料として栞に各々の作者の7句が編集部の手によって選出されているが、これは実に気の効いた配慮で」(「七曜詩歌ラビリンス7」2012/1/13 )という感想もあってですね。座談会でも、入集しなかった句にふれておきたかった、というケースもままあってですね…。
西原:信治さん、あやまって(笑)。
上田:撰者の皆様、どうも、申し訳ありませんでした。
対馬:作者にとっても一句でも多い方がいいですものね。
西原:『新撰』シリーズの特徴は、上限40歳(『超新撰』は50歳)という年齢制限でしょうか。
筑紫:他の点ではいろいろ物議をかもしだしそうですが、年齢制限は極めて順当なところではないですか。誰が考えてもこんなものです。
ただ、受賞対象者を除くと言うのは『新撰』では妥当でしたが、『超新撰』で適用すると小川軽舟さんが入って来たりして、ご本人から「ぎらぎらしている」と言われちゃいました、ぎらぎらの最初の指摘です(笑)。
高山:私は『新撰』のぎらぎらには全面的に責任を負います。しかし、繰り返しになりますが、『超新撰』でぎらぎらしたのは、公募枠で種田スガルを選んだことだけだと申し上げておきたい(笑)。
なるほど大結社の主宰で、もはやベテランである軽舟さんが入集していることもぎらぎらの印象に繋がるわけですが、この人選にこだわったのは実は牙城さんで、新人プロデュース志向の筑紫さんは明確に反対。高山は定見なく、右往左往。対馬さんはどうだったかしら。
対馬:私は軽舟さんの懐の深さを感じましたね。2冊目を2冊目でなくするにはどうしたらいいかと思っていましたので、最初に軽舟さんが核として決まった。いい人選だと。
高山:まあ、これは『新撰』シリーズの入集条件という枠組をどこまで厳格に適用するかという問題なんでして、牙城さんは軽舟さんのことを『近所』(2001年)が出るまで知らなかったらしい。だから、『新撰』以来の21世紀の新人のベストコレクションという原則を延長すると、むしろ入れなきゃおかしいという意見だったと思います。
私が了解したのは、軽舟さんが入ると、最年長グループに軽舟さん、最年少に大谷弘至さんがいて、両端を主宰で押さえる形になるからです。形式主義者としてはそこに感興があった。より年下の小川楓子と種田スガルが公募枠で入ってきたのは予想外でしたが、結果的に目次を見ると、右から3番目に大谷、左から3番目に小川となっていて、完璧なシンメトリーを構成しています。素晴らしい(笑)。
上田:『俳コレ』の場合、『新撰』シリーズとの不連続性を打ちだすことを、牙城さんから出版の条件にされていましたので、はじめから、年齢制限撤廃と思っていました。
西原:『新撰』『超新撰』との連続性と不連続性というのは編集上の大きなテーマの一つ。私としては外形的な面での不連続の要素をいくつか考えていました。21人にしないこと。これは結果的に22人となって、とても良かった。見開き進行にすること、つまり、一作家の章が奇数ページからではなく偶数ページから始まる点も、不連続の一要素。
ネーミング(書名)は重要で困難なテーマで難渋したように覚えていますが、信治さんから素晴らしい案が出ました。もしこれがなくて、ダサい書名で行くしかなかったとしたら、と考えるだけで冷や汗が出ます。
上田:素晴らしかったかどうか……。作家のみなさんには、こんなんですいません、って感じです。もう、この名前に慣れて下さいとしか(笑)。
『コレ俳』で決まりかけてた時期もあって。天気さんの奥さんのユキさんに、どうでしょう、ってお見せしたら、ちょっと受けたんです。よし、行くかー、って思ってたんですけど、どたんばで、『コレ俳』より『俳コレ』のほうが、正式感があるな、と(笑)。あれ、あんまり変わらないですか。
筑紫:お二人の作業上の分担は、どうなっていたのですか。
西原:実際の編集作業は、なりゆきで私も手伝いましたが、わがままをいえば、もっと距離をとって眺めていたかったというのが本音です(笑)。
上田:天気さんの実務能力がなかったら、何一つ、立ちゆかなかったですね。
西原:半面、『俳コレ』の編集上の遺漏そのほか、私の責任です。「いろいろと到らなかった点はございますが、何卒ご海容のほどを」という感じです。
●反響をどう自覚しているか
上田:反響、これからですよねー。入集作家が、これからどう活躍していくか。あるいは、本自体のメッセージがどう伝わっていくか、『俳コレ』は、まさにこれからです。この本をきっかけに活躍し、逆にこのアンソロジーに対する関心を高めてくれるような、孝行息子ないし娘が出てくれることを期待しつつ、なんか自分でも出来ることないかなー、と思っているところです。
高山:「豈weekly」を始めた目的を、格好良く一言に要約してしまうと、俳句シーンに流動性を導入したいということでした。思いがけないきっかけで編集に携わることになった『新撰』シリーズですが、やはりその目標は流動性ということだったかなと思います。流動性とは要するに自分として呼吸しやすい環境ということですが、ここ数年の間に息苦しさがだいぶ薄らいだのは確かです。
『俳コレ』の津川絵理子小論で、片山由美子氏が、「俳句の世界は混沌としてきた」と書いておられますが、こちらにとってポジティブな流動性が、片山さんなどにとってはネガティブな混沌として顕現しているのだなと納得いたしました。
上田:流動性というのは、表現の価値とされるものが、固定化せず生成発展の余地がある、ということでしょうか。つまり、軸にぶれが来ている。守る側の人からは許しがたい頽落と見えるかもしれませんけど、それは送り手の試行の積み重ねによって、かろうじて獲得されたぶれ幅であり、息が継げる空間であるわけです。
そうやって、少しずつでも混沌としていってもらえると、ぼくなどは、偽伝統派として生きていく楽しみがあるというものです。
筑紫:『新撰』『超新撰』『俳コレ』と続いたのは、我々の使命からすると当然ですが、一読者の立場に立つと想定外ですね。我々の力と言うより神様が囁いたのでしょう、俳句の神様はひねくれた神様ですから。
ただ、筑紫、高山、対馬、島田と並べると、変なことをやりそうな顔ぶれであることは間違いありません。上田、西原に匹敵する変さではないですか(笑)。こういう人間が多少動くとどんな世界も面白くなるのかもしれません。
実は『新撰』をやってるとき肝に銘じたのは、俳人は何をしても「上から目線」になってしまうのだ、ということの反省です。『新撰』編者もその弊は免れませんが、それでもそれに気付いているだけましだと思います。この企画を最後はほとんど誰にも相談しないで決定したのは、皆「上から目線」で助言をしてくれたからです(笑)。
上田:それで『新撰』の小論は45歳以下なんですか。
筑紫:同じ世代が論じればいいんですよね。権威を持たせるために主宰者を評者と言う考え方もあるかもしれないが、権威は自分たちで作るんでしょう。ただ、40歳で選んだらさすがに評論は40歳で21人は息が続かず、5歳下駄をはかせました。『超新撰』は50歳が年齢制限ですから、小論の年齢上限は55歳のはずですけれど、これはずいぶん例外が出てしまった。その最たるものが私で60歳(笑)。
若い評論家を出した、と言うのもこの企画のいいところです。本当は『新撰42』なんですね。こんどの『俳コレ』の選者・小論執筆の半数は新撰・超新撰メンバーで、みなえらそうになっちゃって(笑)。逆転したのが松本てふこ・依光陽子・阪西敦子・津川絵里子でしょう。新撰・超新撰で小論を書いたのに、俳コレで選をされ小論を書かれちゃって(笑)。
●俳句史から見て、なんだったと言えるのか
上田:この20年の俳句に、俳句自身がちょっと飽きかけているんじゃないでしょうか。そこに、年齢だけではなく、質的にも新しい作家が、集団として登場しつつあるのではないか。これらの作家が、同時代の俳句の、価値基準を揺り動かすことを最も期待します。
高山:同感です。で、その場合のキーマンというかキーウマンは、『俳コレ』には入集していないけど、やはり御中虫なのかな。彼女は今、端から見ていると結構のびのびやっているような感じがしますよね。でも、5年前、10年前ならそうはいかなかったと思う。
本人の思いはともかく、彼女のような作者がのびのびやれているように見える状況というのは「週刊俳句」から『新撰』『超新撰』『俳コレ』と続く流れが生み出したと思うし、また彼女自身がその流れを加速させているわけです。
恒例の悪しきジャーナリズムであえて暴力的に予言するならば、テン年代の新世代の表現は、髙柳克弘と御中虫の2人を軸にした楕円状空間の中で展開することになるのかな。
上田:入った人と入らなかった人、それぞれから中心が生まれるというのは、心躍る予測です。アンソロジーの面白いのって、入った人同士が同じ条件で、すごく比較されること。一方で入らなかった人とは、その選出がほんとうに正当だったかどうか、今後ずっと挑まれ、比較される運命にあるでしょう?
だからこそ、今一時的に、新しい人の才能の市場が沸騰してるみたいなね、セリが懸かってるみたいな状態にあると思うんですよ、この兄弟本3冊が出て生まれたこの状況は、たぶん、何年かは続くでしょう。
3冊に入集しなかったことをきっかけに、第一句集を出して、俳壇的に評価されて、といったこともあるようですし(数例、耳に入ってます)。
『新撰』で先に出た人もぜんぜん気が抜けない。今、ちょっとダメになると目立ちますよお(笑)。
新しく出る人に対する期待が高まっている今だからこそ、もうね、新人賞狙ってる場合ではないかもしれない。みなさん、本質的な仕事をしましょう。なにか出たら、すかさず騒ぐ用意はありますから。
筑紫:私はもう俳句史は『新撰』『超新撰』『俳コレ』で始まっていると考えていますよ。実際、30年前には牧羊社の『精鋭句集シリーズ』『処女句集シリーズ』で俳句史は始まっていたわけですから。
ただ、30年前のそのシリーズに入っていなかった作家に能村登四郎門では正木ゆう子、中原道夫、筑紫磐井らがおり、一方でもう誰も覚えていないシリーズのメンバーが何人もいる、これが面白いところですよね。歴史の逆説を信じないと俳句なんかやっていられないと言うところでしょうか。
最後に一言言っておくと、何食わぬ顔でおじさんのような分かった発言をしている高山れおなこそ、年齢から言っても趣旨が一貫している点から言っても『新撰』世代なんですよ。
『新撰』世代が創った『新撰』というのは、何も作品が『新撰』世代、小論が『新撰』世代が書いたというだけなのではなくて、『新撰』を企画したのが『新撰』世代だということです。私や対馬さんが呼び出されたのは、横町の御隠居が呼ばれてきたようなものですから。対馬さんすいませんね(笑)。
高山:花を持たせていただいて有難うございます。しかし、『超新撰』竟宴からひっそりと抜け出し、『俳コレ』竟宴のお誘いには返事も出さなかった私は、ミラボー伯爵かケレンスキーか知りませんけど、いわば革命から疎外された革命家の如きものでございましてね。ロベスピエール筑紫としては白色テロで首を獲られないように、せいぜいお気をつけください(笑)。
上田:あんまり、いい役残ってないなあ。天気さんは、フーシェでぴったりだと思いますけどね(笑)。
今日は、みなさん集まりもせずにこれだけ語っていただきまして、ありがとうございました。
(了)
『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会 (2)
『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』
総括座談会(2)
参加:筑紫磐井、高山れおな、対馬康子、上田信治、西原天気
日時:平成24年1月18日
場所:帝国ホテル鷽替の間
≫承前 (1)
●特徴的人選
「ぎらぎらとしていたのは誰か」
筑紫:『新撰』では1月から4月にかけて3人でいやとなるほどメールの会議をしました。仲が悪くなるほど悪口雑言が飛び交いましたねえ(笑)。その理由は、『新撰21』が『超新撰21』『俳コレ』と続くとは思いませんでしたから、これ1回限りでインパクトのある本にしたかった、いきおい、伝統から前衛まで網羅して激しい内容の本にしたいと思っていました。
湊圭史さんが、「『俳コレ』が・・・全体の印象はリラックスした「個性」の展示というおもむき。『新撰』シリーズにあった、俳句史と対峙してやる、みたいなエッジはなさそうですが」と書いているのは納得しました。
上田:『俳コレ』は今そこにある俳句に対するレスポンスという性格が強いですからね、特に俳句史に「対峙」はしてないかもしれません。
結果的に俳句史の一部を形成したとしても、それは作家さんの手柄だし、第一、俳句史とぶっちがいに明後日のほうを向いてる人の方が面白いじゃないですか。と、これは『新撰』シリーズに対する批判ではなく、ですけど。
筑紫:うーむ、面白いというのがね。面白い先には矢張り歴史があるということじゃありません?
上田:そう見えたら『俳コレ』は、大成功です。結果オーライで。
筑紫:なるほど。そういう意味でも『新撰21』の人選は、ぎらぎらとしていますよね(笑)。先程、高山氏が述べたように、まず芝不器男俳句新人賞受賞・入選者、俳句甲子園出身で目立った人というところが、最初のイメージでした。あとは、結社誌から選んでゆくようになるのですが、ここから揉めて、北大路翼に至って私は孤立無援になりました。
一方、推薦を辞退された作家もいました。経費こちら持ち、負担なしという好条件なのですが、どうも怪しげな顔ぶれの編者と思われたからかもしれません(笑)。
『超新撰』にいたっては、公募を入れたり、川柳作家を入れたり、編者のぎらぎらしたところが一層よくうかがえますね(笑)。
高山:北大路の人選で筑紫さんが孤立したというの、そうでしたっけ。筑紫さんが孤立したのは谷雄介の応援でしょう。といって谷の名前も最初から挙がっているのでもわかるように、他の2人が反対したわけではなく、単に作品の情報が不足していて最後まで迷ったということです。
山口優夢も同様で、彼が入集しているのは今でこそ当たり前に見えるかも知れませんが、当時の優夢は文章の書き手としてはすでに抜群と思われていましたが、作者としての実力は未知数でした。
優夢は角川俳句賞を獲り、句集を纏めるなど、その後、自分で頑張って作者としての評価を獲得したのです。この場を借りて申し上げておくと、句集に関しては優夢の角川賞受賞のお祝いの会の時に、まだ早いんじゃないの、もう3年くらいかけて数を揃えて、『未踏』を超える程の句集にしたらとかなんとか水を差してしまいましたが、余計なことでした。
上田:それ横で聞いてましたけど、ほんと親身な、いいアドバイスだったと思いますけどね(笑)。
『新撰』は、顔ぶれが発表された時から、すでにネームバリューがあり、かつ新鮮な作家が、つまり美味しいところが入っているなあ、という印象でした。神野さんはテレビに出てたし、他のみなさんも噂の新人だったし。「出る前から勝ったも同然」だったように思いますね。刊行後は、越智さん、関さんというスターも出ましたしね。
筑紫:北大路の件、思い出しました。実は人選に際して、二、三の外部者に相談しましたのですが、その時、意外なほどの拒絶反応に会いましてね。
逆に谷は外部者からの評価も高かったので、余り他意なく推しました。その時の相談とは別に、小澤實氏と早くから『新撰21』の話をし、二回にわたって座談会に参加してもらうことにもなりました。
上田:相談の相手にはAさんも入るのですか。
筑紫:それはなかった。高山さんとAさんとの関係はあまり関心がなく(実は私はAさんと会ったことがないのです)、もともと芝不器男賞を代表する作家として、冨田と関の入集は考えていたわけです。「豈」の発行人として新鋭作家紹介で毎回のように二人を登場させていたことから見ても、私の原則は少しも変わっていないのです。
ただし困ったのは、関が我々に義理を感じてか、2009年春の段階で、「豈」に入会してしまったことです。「豈」の人間は中村安伸一人にするはずが、二人になってしまった。もっとも「海程」が最大勢力なので許されるでしょうが。ただあとから変な男が、『新撰21』は「豈」ばかり入れていると中傷したのは困りました。私、気が弱いものですから(笑)。
対馬:私も長年、結社誌の編集長をしている性なのか、すでに高い評価をされている人だけでなく、新しい人を育てたい、私にとってこれから期待する人も入れたい、という欲張った思いもあって、人選は最後まで迷いました。難しかった。
その意味で推したのが五十嵐義知さん、『超新撰』の久野雅樹さんです。刊行後、特に『新撰』は「ベストアンダー40」という扱いで期待した以上に反響があり、編者の重さを感じました。一定の人数で切る以上、ジレンマが残るのはしかたがないですが…私も気が弱いもので(笑)。逆に私が知らなかった北大路さん、外山一機さんなど個性的で大いに刺激を受けましたね。
高山:今の会話だけ聞いていると、なんでメールで悪口雑言が飛び交ったかわかりませんね(笑)。なんであんなにヘビーだったのか。
筑紫:この企画はたった二人の密談から始まり、それぞれに展開していったから色々な解釈が出てきます。歴史は事実の集積ではなくて、それに参画した人の意識の総意だと思いますよ。正直、『新撰21』の人選のイメージは、高山、筑紫の間では合意がされていなかったというべきでしょう。
高山:それは確かにそうかもしれません。要するに私は、若手の先頭集団を総浚えにしてインパクトのある本を作ることに主眼を置いていた。評価の高い句集のある鴇田や、すでに俳壇的な地位が固まっている高柳に入集してもらうことを、だからこそ重視していました。
筑紫さんはそうではなかったように思います。つまり、筑紫さんの主眼は、新人のデビューのプロデュースにあったということでしょう。
『新撰』竟宴のトークショウの時、池田澄子氏がこの本が権威になるのはいやねみたいなことを言ったのに対して、筑紫さんがあまりはかばかしく答えられなかった場面がありましたが、当然ですね。あの本を権威にしようとしていたのは基本的には高山で、筑紫さんはたぶんそんなつもりはあまりなかったのですから。
筑紫:高山さんのそのインパクト至上主義に、相槌ぐらいはうったかも知れないが、私自身は、芝不器男賞と俳句甲子園の新人中心の人選だったと思っています。
あと、多様性ね。新撰って題名をどういう意味で選んだのか分かりませんが、まずは、新鮮の洒落であるわけですから。
その後、個別個別つぶしていってあの『新撰』のメンバーができあがったのでしょうが、あの21人の名前をどう解釈するかは、高山さんは高山さんの理解、私は私の理解、読者は読者の理解となるでしょう。今もって異なった理解をしていると思いますよ。
言っておきますが、芝不器男賞と俳句甲子園以外にいい作家がいなかったというわけじゃない。芝不器男賞と俳句甲子園の視点で見てゆくと結社の中にうずもれていた作家が見えてくるということです。
北大路翼なんて結社の軸から見ていたら変な奴としてしか見えなかったかもしれないが、芝不器男賞と俳句甲子園から『新撰』の軸が見えてくるとがぜん光り出した。公募を除けば、北大路と清水かおりが異色のセレクションとしてやってやった!という実感のある作家でしたね。
『俳コレ』なら松本てふこで、よくぞ頼んでくれたものです(笑)。北大路の小論依頼に松本がガッツといい、北大路の作品に触発されて種田スガルがはじめて俳句を書きだしたと言うことからすると、突然変異の宇宙人が降臨したと言ってもいいかもしれない。
高山:筑紫さんと私の潜在的なスタンスの差が、『超新撰21』の場合にはかなり露骨な態度の差として現われましたね。
『超新撰』は、企画としては編者ではなく牙城さんの発案なんですよ。しかし、筑紫さんは終始積極的で、公募枠とか川柳枠のアイディアもみな筑紫さんから出たものです。これに対して、私はじつは全く消極的で、「えっ、ほんとにやるんですか?」みたいな感じだった。
というのも、先頭集団網羅インパクト主義者としては先頭集団のアンソロジーとはいえない『超新撰』に入れ込む(ぎらぎらする)理由はほとんどなく、新人デビュープロデューサーの筑紫さんには大いにあった、ということです。
『超新撰』竟宴で高山が中座し、パーティーにすら出ないほど冷淡だったのもこのためでしょう。公募枠で種田スガルに飛びついたのは、インパクト主義の最後のきらめきです(笑)。
上田:話それますけど、『超新撰』のとき、ぼくが入集したのはほぼ21人目というか、滑り込みだったという話を、牙城さんから聞いたんですけど(笑)。メンバーみんな、作品的には首を捻ってたんだけど「まあ、インターネット入れとけ」っていう判断で、入れてもらったと。
筑紫:いやあご立派な方で(笑)。でも座談会の時100 句を読んだら本当に面白かったですよ。まるで虚子みたい。
高山:21人目は種田スガルです(笑)。その発言は牙城さんの上田さんへの屈折した愛情表現なのでは。上田さんの名前は結構早くから上がってましたよ。作品には首を捻っていたというより、輪郭がはっきりしていなかったという方が正確でしょう。
『俳コレ』もそうだと思うのですが、作者によって事前に得ている情報の量と質が全然違うわけです。『超新撰』で言えば、杉山久子や柴田千晶みたいに句集のある人は完全に世界を把握できる。上田さんの場合、ネット上や「里」である程度の数は見られたとしても、整理すると印象はがらりと変わるものです。この人、整理して見せてもらった時どんなことになるんだろう、そんな好奇心で選ばせていただいている人が、何人もいるわけですよ。
それはしかし、『俳コレ』でも同じでしょう? 谷口智行、津川絵里子と、雪我狂流、福田若之の事前情報の水準がおなじなんてありえない(笑)。
上田:すいません、よけいな話でした。えーと、『俳コレ』の人選の話ですよね。1月、天気さんと打ち合わせして、まあ、やってみましょうか、という話になって。
西原:信治さんの仕事ぶりは精力的かつ丹念でした。アタリを付けた人については結社誌への投句まで目を通すという態度を貫くなど、正直、感心しながら見ていました。対して私は、自分の遠近法の範囲で、何人かの作家を頭に浮かべつつ、という、どうにぼんやりしたことで。
上田:週俳の生駒さん、村田さんに手伝ってもらいながら、作品資料を集めて、候補作家の20句選を作って、それを元に、主に、天気さん牙城さんとメールで討議しました。多少の踏み込んだやりとりはありつつ、です。
西原:この手のもので人選は大事です。入集作家の人選で出来映えが決まるといってもいいでしょう。一方で、「なりゆき」という部分も否定できない。つまり、これがベストという判断は誰にもできない。「別のメンバーなら、どうだったか」という仮定は今でも成り立ちます。
それでも、なんらかの時点で「このメンツで行く」という最後の決断がいる。それは信治さんに全面的に任せました。『俳コレ』は実質的には信治さんの編集です。それは最初から決まっていた感じで、私もそれが最適だと思いました。
2011年は、週俳で編集する紙の本がこれとは別に『虚子に学ぶ俳句365日』『子規に学ぶ俳句365日』がありましたから、そちらを私が担当するということで、「分担」は自然に決まった部分がありますが、それよりもモチベーションという意味で、また人選をはじめとする編集の大枠を決めていくセンスという意味でも、信治さんしか適任はいなかった。『俳コレ』がなぜ「上田信治編」ではなく「週刊俳句編」なのかという問題については、「スピカ」でしゃべりましたから(*)、省略します。
上田:天気さんには良いように言ってもらいましたが、大枠と言っても、何のあらかじめの狙いもなく、読みたい順に入っていってもらった、というのが本当のところでです。
『新撰』シリーズのレギュレーションで入れられなかった人、という意味で、谷口智行さん、依光陽子さんなどに入ってもらえたのはラッキーでした。一番若い小野あらたさん、福田若之さんは、一年前だったら、ぜんぜん作品が揃わなかったかもしれない。だから、こういうアンソロジーは、続けて刊行することに意味があるのかもしれません。
先日、小野あらたさんにお会いしたところ「ぼく、まだ18歳なんですけど〜〜」と言われてしまいました。何カ所かで「19歳」と書いてしまった気がするのですが、間違いでした。お詫びして訂正いたします。 上田
週俳からの関係だと、岡野泰輔さんは、週俳の落選展への応募と、それをれおなさんが「豈weekly」で評されていたのが、きっかけでした。岡村知昭さんは現代俳句協会新人賞落選展にご応募いただいた30句と、そのあと週俳に書いてもらった作品が、えらいこと面白かった。山田露結さんは、角川俳句賞に5作(50句×5)出してしまう馬力にポテンシャルを感じました。
どの方も、何年か分の結社誌の作品を確認して、上り調子かどうかみたいなところを確認してます。望月周さん、阪西敦子さんは、直前の新人賞の作品より、結社誌に書いているものが実は良くて。こういう方は、撰者が大事かな、と(笑)。林雅樹さんや矢口晃さんは、ずっと注目してた人。こういう人こそ、アンソロジー向きで、ストリートファイターっていうか、100句出せば、腕が分かるみたいなところあるじゃないですか。
候補作家をしぼっていくうちに、全体として、顔ぶれがなんらかのメッセージを発してたほうが面白いな、ということを考え始めました。つまり、作家の方の個々の作品を楽しんでいただきたいことは、もちろん、そうなんですが、本としての面白さ、というメタレベルをこしらえたくなってきた。それで、最後のぎりぎりの段階で、本として面白くなりそうなチョイスをした、ということはあります。そのへんで、週俳らしさは、出てしまっているかもしれませんね。
筑紫:なるほど。芝不器男賞と俳句甲子園が『新撰』の基調を作りだしとしたら、『新撰』が教師と反面教師の役割で『俳コレ』に影響をあたえたと言えるでしょうか。ただ、『超超新撰』だったら無条件で入れた人と、こういう発想はないなという人と、両方いましたよね。松本てふこの選と小論を引き受けたのは、ぴったり合っていたからです。おかげで「めずらしく情がある」なんて言われてしまいました(笑)。
上田:まさかの『超超新撰』(笑)。でも、機会があったらぜひ、お願いします。結社が近すぎたり、作風がかぶったりで、泣く泣く入れられなかった作家も何人もいらして。ここで、その人たちのいい句を発表したいくらいなんですから。
西原:人選について意見は出しました。「意見は言うが、最終的には信治さんが決めてください」と伝えながら、推薦もしました。私が入れたくて入らなかった人もいます。結社・同人のバランスから洩れた人はいると思っています。今だから少し言ってしまえば、「豆の木」という私が所属していた同人から、もうひとりくらい、という感じ。私がやめれば推薦しやすいという思惑もあって「豆の木」をやめましたが、まったく効果がなかった(笑)。
上田:「銀化」が3人になっちゃったのは、ほんと偶然で、矢口さんと小野さんが「銀化」に入るなんて知らなかったですよ(笑)。
話戻しますと、昨年、ウラハイで天気さんと、週刊俳句200号を振り返る対談企画をやった時、こちらとこちらの俳句に水路を引いて、ひとつの視点でくらべてみたい、的なことを話したんですが、まさにそういう形になったような気もします。
自分の価値基準で読みうる俳句の作り手の最右翼から最左翼まで入ってもらえた、というかんじ。誰が右で誰が左とは言いませんが、みなさんほんとに素晴らしい。そのへんが、ラストの座談会で、選者による温度差のはげしい『新撰』シリーズと違うところです(笑)。
あと、直近で第一句集を出されていたり、出ると分かっていた方の場合、その句集のダイジェストを掲載してもしかたがないと思って、入れられなかったりとか。御中虫さんがまさに、そうだったんですが、あの方の去年一年の活動を見ると、入っててもらうんだった!と、思います。
西原:句集の有無、とりわけ近い時期の句集刊行の有無は、むしろ、もっと重視してよかったと思っています。句集を出していない人を優先するという傾向をもっと強く出してよかったんじゃないかと。例えば「依光陽子さんは句集がまだないので、『俳コレ』で読めるのはありがたい」という声を実際に聞いたとき、やはり、そうかと。
上田:それで、やっと人選が固まって、さあ依頼状をと邑書林に依頼して、まだ送らないうちに地震が来てしまってですね。
どうしましょう〜〜って天気さんにメールしたら、「まあ一と月、様子を見ましょう」と。ほんとね、天気さんは、つねに正しい(笑)。
西原:あの時点なら、誰だって、ああ言いますよ(笑)。余震と原発と世間の空気を眺めつつ、という判断。
上田:地震前に、依頼状出してたらずいぶん断られた気もするんで、結果オーライでした。予定のスケジュールより一月遅れでスタートして、ラスト、かなりギリギリになったんですけど、年末のパーティーと、紀伊國屋書店新宿本店のフェアが決まってたもんですから、無理矢理間に合わせてもらいました。
(つづく) ≫第3回
2012-02-19
『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会 (1)
『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』
総括座談会(1)
参加:筑紫磐井、高山れおな、対馬康子、上田信治、西原天気
(乱入・西村我泥吾)
日時:平成24年1月18日
場所:帝国ホテル鷽替の間
●3冊誕生の経緯
「誰が言いだして、資金はどう支払われたのか」
上田:2009年から、年一冊のペースで『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』(邑書林)の、3冊のアンソロジーが刊行されました。本日は、裏話などをぶちまけていただこうと、3冊の編纂にあたったメンバーにお集まりいただきました。
まずは、3冊の誕生の経緯から、お話いただけますでしょうか。
筑紫:宮崎斗士さんのブログ「俳句樹」で「回想の『新撰21』――いかにしてアンソロジーは生まれるか」としてもう書いてしまっているので、かいつまんでお話しましょう。実はこれは、上田さんたちが『俳コレ』を出すと言うので、どういう準備をしたらよいかをお見せしようと書いたものなのです。
上田:公開指南書と言われてましたね(笑)。
筑紫:きっかけは、「週刊俳句」に対抗して高山れおな・中村安伸氏の「―俳句空間―豈weekly」というブログが立ち上がったことです。
「週俳」は俳句をたくさん掲載していましたが、これに対して「豈weekly」は「俳句など誰も読んではいない」という刺激的な巻頭言を掲げて、評論ブログとして立ち上げたのです。案の定、「豈weekly」は「週俳」の十分の一しかアクセスがありませんでした(笑)。
ただ、このブログに、ある熱心なファンが現れ、とうとう「豈weekly」が企画する出版のパトロンになってもいいと言い出されたのです。
高山氏から、資金と企画があるのだからいい出版社を探してほしいという要請を受け、旧知の邑書林の島田牙城氏に、年も押し詰まった12月31日メールを出しました。だいぶごたごたしましたが、翌年2月に諸条件が決まったと言うのが出発の経緯です。
上田:ごたごたについては、「俳句樹」の記事で、少し(笑)。
高山:筑紫さんのコメントをうかがうと、まだ数年しかたっていないにもかかわらず、早くも物語化の兆候が現われており危険です(笑)。「豈weekly」は「週刊俳句」に対抗する目的で生まれたわけではありません。
また、私も職業編集者の端くれなのでございまして、そういう人間が、〈いい出版社を探してほしい〉などという物の言い方をすることはありえないですよ。筑紫さんは、ある種の語りの定型に陥っております(笑)。
筑紫:感想はありますが、まあ、続けて下さい(笑)。
高山:『新撰21』出版の経緯ですが、以下、やや長くなりますが、“物語化”に抗して、メールの通信記録と小生のメモ帳に基づいて厳正に申し述べます。川名大先生のストレステストにも耐え得るようにしたいと思います。
まず、出版のスポンサーのAさんとは、2008年11月1日にメールによる交流が始まりました。じつはその数年前、私も一時、ミクシィをやっていたことがあり、すぐ辞めてしまったのですが、そこでAさんと知り合ってはいたのです。
俳句にご興味があるというので私の第2句集を送ったら、お礼に江戸の町の古絵図の複製をいただきました。東海地方にお住まいの当方より数歳下の女性で、そういう教養がある人なのですね。その時はそのままやりとりは絶えたのですが、「豈weekly」が始まると当方のことを思い出されて、11月になって連絡を下さったのです。だから交流の開始ではなく、再開というべきですね。
Aさんとの話は、純粋読者として俳句を見ているものの、ネット上ではなかなか面白い句が読めない、冨田拓也の作品に興味があるが、どうしたら作品が読めるだろうか、というような雑談から始まりました。冨田さんは「豈weekly」の常連筆者だったので、小生に聞いてきたのでしょう。
また、彼女は関悦史とは古くからミクシィ友だちで、費用を持つから句集を出せ、評論を「豈weekly」に寄稿したらどうなんだとけしかけているのだが、遅筆なのかやる気がないのか埒があかないというような話も出ています。今昔の感ですね。すっかり忘れていましたが、そもそも関さんが「豈weekly」の常連筆者になるに当たっても、当方からの誘いに加えてAさんの後押しがあったわけです。ちなみにこの時点では、彼は「豈」の同人ではありません。
11月上旬にはしきりにメールが行き交っておりまして、11月6日には自費出版の費用や版元についての問い合わせも受けました。
そして翌11月7日、興味のある俳人の句集のスポンサーになりたい。何冊も本を出す程の財力はないが、合同句集ならどうだろうか、本作りをしてくれるかと、いきなり具体的な申し出がありました。スポンサーとしての条件は、合同句集のメンバーに冨田と関を入れることだけ、それ以外は全て一任するとのことでした。
そして11月10日に仕事で上京するので会えるなら会いましょう、ということになった。それで当日の夕方、銀座三越のライオン像の前で待ち合わせまして、食事がてらお話しをしました。場所は向かいの竹葉亭の2階です。細かいようですが、川名大基準では1階か2階かは重要です(笑)。
メールの感触で信用はしていましたが、とはいえ向こうはお金を出すのだし、こちらも作業を進めてから梯子を外されては困りますから、これはお互いに面接試験だったということでしょうね。筑紫磐井に相談して本を作ってゆくことになるであろう、というような段取りの話もしたはずです。
その時の正直な気分としては、面白いことになってきたというのが半分、面倒な仕事を引き受けてしまったぞというのが半分。実際、そろそろ第3句集を纏めるつもりでいたのですが、「豈weekly」の文章書きと『新撰』『超新撰』の編集に時間を取られて、いまだ刊行に至っておりません。
さて、経過の続き。筑紫さんとはまずメールで最初の相談をいたしました。しかし、年末で双方忙しかったのでしょう、話が一挙に煮詰まったのは12月20日に原宿で直接会ってからです。この年4月に亡くなった「豈」同人の長岡裕一郎との2人展を、藝大時代からの画友の方が開催なさった、そのオープニングの日でした。
当然、「豈」「円錐」関係者の飲み会となる流れでしたが、その前に筑紫さんと私とで竹下通りのマクドナルドの地下でコーヒーを飲みつつ密談をして、まず邑書林に声を掛けようということになったのです。
筑紫:そう、悪魔のつぶやきというやつでね(大笑)。竹下通りでは腹案のメモはあったのでしたっけ? 何かもっとふわふわであったような気がする。
高山:わいわいがやがや、思いつくままに若手俳人の名前をノートに書き出していったような記憶があります。ただ、その日の会合は、基本的には2人のうるわしい団結を確認するのが主目的だったようです(笑)。というのは、その翌日と翌々日、メールが2往復しておりまして、そこで本の輪郭みたいなものが双方から提案されているんですよ。
まず高山案では、合同句集の規模は21人。叩き台のリストには、その後、実際に入集する人としては、高柳克弘、鴇田智哉、村上鞆彦、田中亜美、神野紗希、相子智恵、佐藤文香、冨田拓也、関悦史、中村安伸、山口優夢、九堂夜想、谷雄介の名前がすでに入っています。ちなみに仮タイトルは、『21世紀21 現代俳句の最新鋭(ホヤホヤ)たち』。
上田:もう、かなり見えていたかんじですね。タイトル以外は(笑)。
高山:私も参加させていただいた「澤」の20代、30代作家特集があったお蔭で、ある程度輪郭のようなものは摑めていたんでしょうね。原宿の会合にも持参したはずです。とはいえ、今、名前を挙げた人たちにしても、そのまますんなり最終候補になったわけでもないのですが。一方で、筑紫さんは8人程度の規模を想定していて、冨田、関、中村、谷、山口、相子、村上に加えて、『超新撰21』の方に入ることになる青山茂根の名を挙げています。
つまりこの段階では受賞歴と句集刊行年次による足切りはすでに意識されていますが、年齢制限までは考えてなかったんですね。私の挙げた21人の方にも『超新撰』の青山と榮猿丸がいて、さらにずっと年長でこんど『俳コレ』に入った谷口智行の名まで含まれています。
本の規模としては、高山案の形になったわけですが、筑紫さんはこの時、造本のフォーマットとして「セレクション俳人」の番外篇にしたらいいのではないかと言っていて、これは実際その通りになった。
編者として対馬さんに加わっていただくことや、40歳未満の年齢制限をして若手の作品集であることを明確にすること、年内刊行を目指すことなど、諸条件が固まったのは2月28日に、筑紫さん、牙城さんと私とで早稲田のリーガロイヤルホテルに集まった時でしたね。牙城さんと私は初対面で、筑紫さんにお引き合わせいただいたのではなかったかと思います。
筑紫:対馬さんに参加して頂いたのは、すでに実績のある芝不器男俳句新人賞の入選者を重要なソースとして考えたからです。一人100句ということが決まった段階で、これだけの俳句を集める実績のある新人は当時にあっては芝不器男賞に応募している人ぐらいだろうと考え、そのフィージビリティの確認や具体的な人選資料も使わせていただきました。
対馬:芝不器男俳句新人賞は松野町生まれの芝不器男を顕彰し、「今世紀の俳句をリードする新たな感性が登場することを強く願って」愛媛県文化振興財団によって設立されました。
第1回公開選考会は平成14年12月。ご存じのように冨田拓也さんがまさに「彗星の如く」出現して、世俗離れした感性も含めて私たちを驚かせました。関さん、神野さんも第1回ですね。
その後、第2回が杉山久子さん、第3回が御中虫さんと受賞し、また各選者の奨励賞5名が選ばれるのでこれまでに計18名が受賞しています。予選通過者の中にも注目すべき人材はたくさんいます。毎回話題を呼び、それぞれに活躍しているのはとても嬉しいです。
10年前、俳壇が停滞していると言われていた中で、蓋を開いてみたら150編近く応募があった。若い俳人のエネルギーのかたまりが、初めて目に見えるかたちで現われたということです。
なにしろ4年ごとという長いタームがあるので、年齢制限で再チャレンジができない場合もあり、それに、毎回100編を超える応募者の俳句に対する熱意に応えたいという思いがあったので、磐井さんから若い人だけを集めたセレクションを作りたいというお話をいただいたときは、何かまた新しい風が吹くようでわくわくしました。
筑紫:俳句甲子園以上に芝不器男賞は『新撰21』を生む必然性が強かったと言えるでしょう。こうした関係性があったからこそ俳句の愛好者に『新撰21』が受け入れられたのではないでしょうか。
ちょっと『新撰』話が長くなりすぎました。上田さんが痺れを切らしているようなので、それじゃあ、『俳コレ』の方をうかがいましょう。
我尼吾:ちょっと待ってください。突然乱入させていただきます。このパターンはかつての国際プロレスや、新日などでよくみられたパターンで申し訳ないですが・・。
芝不器男俳句新人賞の一番の特徴は、受賞者のアフターケアに相当力を入れているということです。俳壇の心ある人からは、ときどき贔屓の引き倒しとか、過保護賞とかいわれて眉をひそめられています。かつて異常なまでに新人に厳しかった俳壇を経験している世代としては、新人は甘やかさないと出て来れないと思っています。
その観点から『新撰』が不器男賞の作家達に貴重な機会を提供してくれたことはほんとに涙が出るほど有難いと思っています。甘やかすと言いながら、不器男賞はそのインターバルの長さ、100句という非常識なハードルのため涙をのんだ心ある作家達が多くいることをブログなどで知っています。参与の立場からは、予選を通過した人々はすべて明日の俳壇を支える力があると確信しています。予選通過者はその意味で宝の山だと思っています。
上田:第2回の芝不器男賞の時、佐藤文香と谷雄介にいっしょに応募しようと誘われて、思いっきり年齢制限を超えていたので、苦笑したことを思い出しました。
筑紫:では、あらためて『俳コレ』の話を。
上田:えーと経緯は、さいきんspica(俳コレ制作秘話1,2)でもしてしまったので、これもかいつまんで。
むこうでも話しましたけど、2010年は「私家版ゼロ年代100句撰」「新撰超新撰世代・150人150句」というミニアンソロジーを二つ作りました。
ほんとうに人の句ばっかり読んでた一年だったんですが、そのおかげで、なんとなく、今の俳句の布置のようなものが頭に出来て、してみると新人アンソロジーは、まだ何冊か出せそうだ、という気がしてきてたんですよ。
そう思っていたもので、とうぜん牙城さんから、その年の暮れの『超新撰』の出版記念会「竟宴」の席上で、第三弾の発表があるだろうと、大変期待していたわけです。ところが、来年もパーティーやります、という予告だけ出て、本を出すという話が無い(笑)。
それどころか、牙城さん、翌24日に、Twitter上で『新撰』アンソロジーは打ち止めです、と書いちゃった。えー、それは、どういうことだろうと思って、そのクリスマスイブの晩に牙城さんに電話したんですね「あれ、もう一冊やらないんですか?」「本無しでパーティーだけやるんですか?」と。
そしたら、牙城さん「撰者が、2年にわたる討議の末、最高の人選として42人を出したんだから、あれ以上はない。あれは、もうあれでいいんだ」と言われるんですね。じゃあ(磐井さんたちには失礼ですけど)「撰者を替えて、また続けるというのは、だめですか?」と聞くと、「撰者もベストの3人をお願いしているのだから、それは撰者に失礼で、考えられない」と言って、うんと言って下さらない。
ぼくも、こういう時だらだら粘るほうなんで、いろいろ言いながら、一時間以上しゃべったと思います(二人とも、だいぶお酒は入ってました)。ぽろっと、牙城さんが「週刊俳句編でやる?」と言われたんで、即座に「ありがとうございます。天気さんと相談します」と言って、電話を切りまして(笑)。
西原:付言しますと、「竟宴」の二次会で、「三冊目は出ないのか」「邑書林がやらないなら、週刊俳句でやったらどうか」という声がありました。酒席の個人的な話題として、ですが。
筑紫:私は『超新撰』に上田さんが入った時、第3弾が出ることをうすうす想像していた(笑)。
上田:じゃ、誰もが予感していた道筋だったわけですか。ぼくは運命にあやつられてたのかもしれませんね。
筑紫:『俳コレ』の入集作家に、熱心な人がいれば第4弾があるわけです(笑)。
上田:で、25日、天気さんに「密談」というタイトルのメールで、「週俳」編集、新アンソロジーやれるかも、ということを電話の経緯とあわせて書いて送りました。すぐ会って話しましょうか、と言ったら、天気さん、まあ年末年始ゆっくり考えましょう、と。どうどう、みたいに制されまして。
西原:そうでしたっけ? 怠け者ですね。すみませんでした。私にはアンソロジー関連の発想も具体的なアイデアもありませんでした。
それと、この席上でこんなことを言うのは場違いに水を差すようですが、個人的には、この手のアンソロジーについて、意義を認めつつ、またおもしろがりつつも、一方で、「制度的」なものを感じ、一定の距離をとってしまうところがあります。その意味で信治さんとは温度差があったのでしょう。
このあたり話がややこしくなるので、「制度的」の3文字で忖度していただくとして、ともかく、信治さんは「年末年始ゆっくりと」などせず、力強く企画を進めたわけです。
上田:たまたま年末31日、牙城さんが、これから上京とtwitterで書かれたのを見て、すぐ電話して(twitter、便利ですね、人が何してるかすぐ分かる)、用事が終わられたら新宿で会うことになりました。新宿中村屋の3階でしたっけ、ファミレスみたいなところです。飲茶セットとビールか何かを頼み、牙城さんに、出版の意志を確認しました。
邑書林の条件は、最低の買い取り数の保証と、『新撰』シリーズとの連続性を作らないこと、でした。具体的には、装丁は間村さん以外で、タイトルは『○撰』以外でやる、ということ。約束した買い取り数は、俳壇配布分ということで、たぶん編集費を除く制作費用の1/2に満たない数字だったと思います。『新撰』の、出資者むけの経費内訳も見せてもらいました。
筑紫:やはり、資金確保が問題ですよね。『新撰』はほとんど資金問題から出発しましたし。
上田:『超新撰』の時、ぼくはそこそこ冊数買って、「里」や、「週刊俳句」でお世話になった方に、どーっと配ったんですけど、そしたら、たくさんお手紙をいただくじゃないですか。こんな嬉しいことはないな、と。お手紙で書き抜いてくださった句を記録しておくと、すごく面白い資料になりますし。
自分で買って配ることのメリットを知っていたので、入集作家の方にちゃんとお勧めすれば、それなりの数を購入していただけるだろう、リスクを取ってくれた邑書林に損はさせない、という勝算はありました。
(つづく) ≫第2回
2011-12-11
『俳コレ』刊行のごあいさつ
週刊俳句編・新アンソロジー
『俳コレ』刊行のごあいさつ
さる12月10日、週刊俳句編による新アンソロジー『俳コレ』(邑書林)が刊行されました。
はしがき「はじめに」をここに掲載し、ごあいさつに替えたいと思います。
はじめに
●本書は、十九歳から七十七歳(刊行時)の、比較的新しい作家の作品を集めた俳句アンソロジーです。
●入集作家の選定は「週刊俳句」編集部がおこないました。総合誌、年鑑等からピックアップした数十人におよぶ作家の作品を、結社誌等に当たって検討し「この人の作品をまとまった形で読みたい」と思われた作家に、入集を依頼しました。
●掲載作品百句は、各作家自撰による二百句から七百句を元に、編集部より依頼した撰者が選出したものです。
●作品を他撰とした理由は「その方が面白くなりそうだったから」ということに尽きます。信頼できる作家による他撰によって、最も作品本位・読者本位の価値基準による選考が実現されることを、編集部は企図しました。その委嘱にお応えいただいた各撰者には、あらためて敬意と感謝を捧げます。
●一般に、辞書、全集、選集などの前書は、編者からの挨拶であると同時に、その刊行が公的意義を持つこと、編纂が公的意志を代行する形で行われたことを、慎ましく(あるいは勇ましく)述べる場であるようです。その例に倣うなら、ここで、俳句の豊穣あるいは危機について語るのがふさわしいのかもしれない。
●自己紹介から始めましょう。「週刊俳句」は、二〇〇七年創刊のウェブマガジンです。インターネットで、俳句について書いていた人間が集まって「週刊俳句」は始まりました。幸運にも、多くのボランティア的な協力と予想以上の読者の参加によって、活動は継続しています。私たちに存在理由があるとすれば、それは、他のすべてのメディアと同じように、人々の欲求を代行する代理人であることに、求められるでしょう。
●「週刊俳句」の場合、その欲求は、同時代の俳句に対する欲求です。俳句はどこまでも多面的であっていいし、もっと紹介されていい作家や、もっとふさわしい価値基準があるはずだ。それは、私たちが俳壇ヒエラルキーを離れ、読む側の立場から活動するうちに発見した欲求です。
●本書が、同時代の俳句の多面性を示すアンソロジーとなること。同時代の読者の潜在的欲求の中心に応える一書となること。それが、編集部として、自ら本書に課した主題です。
●書名『俳コレ』は「俳句コレクション」または「俳句のこれから」の略であり、「はい、これ」と手渡す俳句である、との意を込めました。
●同時代の俳句の魅力を伝えることは、俳句というジャンル自体の欲求を代行することかもしれません。本撰集が、まさに俳句に待ち望まれた一書であることを、私たちは、願いかつ確信しています。
『俳コレ』
俳句のこれからを担う作家22人の代表作各100句
週刊俳句=編 邑書林=刊
2011年12月10日刊行 304p 1890円(税込)
入集作家(カッコ内は作品撰小論担当)
野口る理 (関 悦史撰)
福田若之 (佐藤文香撰)
小野あらた(山口優夢撰)
松本てふこ(筑紫磐井撰)
矢口 晃 (相子智恵撰)
南十二国 (神野紗希撰)
林 雅樹 (榮 猿丸撰 小論・上田信治)
太田うさぎ(菊田一平撰)
山田露結 (山田耕司撰)
齋藤朝比古(小野裕三撰)
雪我狂流 (鴇田智哉撰)
岡野泰輔 (鳥居真里子撰)
山下つばさ(島田牙城撰)
岡村知昭 (柿本多映撰 小論・湊圭史)
小林千史 (山西雅子撰)
渋川京子 (大木あまり撰 小論・小川楓子)
阪西敦子 (村上鞆彦撰)
津久井健之(櫂未知子撰)
望月 周 (対馬康子撰)
谷口智行 (高山れおな撰)
津川絵理子(片山由美子撰)
依光陽子 (高柳克弘撰)
鑑賞座談会=池田澄子・岸本尚毅・関悦史・高柳克弘・上田信治
●
邑書林「俳コレ」ウェブサイト ≫俳コレ
出版記念会シンポジウム&パーティー「竟宴」
12月23日 13時より 於東京・アルカディア市ヶ谷
こちらの情報も順次公開して参ります。なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。
●
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「アナザー文学の現在――俳句を読まなきゃ文学は語れない」紀伊國屋書店新宿本店5階人文書売場
『俳コレ』連動かもしれない
アナザー文学の現在──俳句を読まなきゃ文学は語れない
場所:紀伊國屋書店新宿本店5階人文書売場
期間:2011年12月2日(金)~2012年1月上旬
photo by 佐藤文香
※週刊俳句編による新アンソロジー『俳コレ』刊行とほぼ同時の、ありがたいこの企画。
「アナザー文学」という耳慣れない言葉は、林雅樹さんが「澤」誌において使われたフレーズで、『俳コレ』掲載の林雅樹小論に引用されています。
写真でご覧の通り、フェアの書目一冊一冊、ご担当の梅崎さんの手書きコメント付き(クリックすると読めてしまうものも)。
惜しくも、撮影時に『俳コレ』間に合っていませんが、今週末はもう、並んでいるはず。
ぜひ、紀伊國屋書店新宿本店5階に、お立ち寄り下さい。 (週刊俳句 上田信治)
『俳コレ』
『新撰21』
『超新撰21』
『俳句のはじまる場所』小澤實
『詩という仕事について』ボルヘス
『七つの夜』ボルヘス
『アトラス』ボルヘス
『永遠の歴史』ボルヘス
『カルヴィーノ アメリカ講義――新たな千年紀のための六つのメモ』カルヴィーノ
『あたりまえのこと』倉橋由美子
『表徴の帝国』バルト
『明るい部屋』バルト
『カメラ・オブスクーラ』ナボコフ
『モンキービジネス 2009 Spring vol.5 対話号』
『モンキービジネス 2010Fallvol.11 幽霊、影、分身号』
『黒猫・モルグ街の殺人事件 他5編 』ポオ
『意味という病』柄谷行人
『マイクロポップの時代:夏への扉』
『フラジャイル』松岡正剛
『中二階』ニコルソン・ベイカー
『銀の匙』中勘助
『ムッシュー・テスト』ポール・ヴァレリー
『考現学入門』今和次郎
『路上観察学入門』赤瀬川原平
『紙片と眼差のあいだに』宮川淳
『文体練習』クノー
『再会と別離』四方田犬彦・石井睦美
『ニッポンの書評』豊﨑由美
『日本のコピーベスト500』
『山本容子版画集 静物画』山本容子
『アライバル』ショーン・タン
『セレクション俳人 小澤實』
『セレクション俳人 田中裕明』
『昼寝の国の人』
『セレクション俳人 櫂未知子』
『セレクション俳人 正木ゆう子』
『シリーズ自句自解Ⅰ ベスト100 池田澄子』
『金子兜太×池田澄子―兜太百句を読む。 (百句他解シリーズ)』
『百句燦燦』塚本邦雄
『機嫌のいい犬』川上弘美
『BABYLON』青山茂根
『六十億本の回転する曲がつた棒』関悦史
『雲の座』押野裕
『俳句という遊び』小林恭二 (絶版)
『俳句という愉しみ』小林恭二 (絶版)
『アメリカ・アメリカ』中上健次(絶版)
『ヒューモアとしての唯物論』柄谷行人 (絶版)
『こゑふたつ』鴇田智哉(絶版)
絶版本は、販売されていません。正式はフェア書目は、紀伊國屋書店webサイトでご確認下さい。
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