2013-12-29

SUGAR&SALT 07 夜衾にはるか名指しの海ひとつ  三橋敏雄 佐藤文香

SUGAR&SALT 07 
夜衾にはるか名指しの海ひとつ 三橋敏雄

佐藤文香

「里」2010年10月号より転載



三橋敏雄の実質三冊目の句集は『鷓鴣』。

鷓鴣(しゃこ)とは中国に生息する雉の仲間の鳥らしい(蝦蛄ではない)。日本ではめったに見られず、敏雄もまた見たことがないという。見たことがないというのは、幻の生物と同義である。

『まぼろしの鱶』『真神』と合わせて三部作とも言えるタイトル。鳥と言っても鳳凰や孔雀でないのがいい。鷓鴣は走るのが得意、飛行は苦手だそうである。見た目は鶉に似ている。

『真神』はタイトルも中身の作品もかっこよかったが、『鷓鴣』になるとそれを超越した面白さ、愛らしさが感じられる。それは作家三橋敏雄に即したものであり、必ずしも言葉の力や俳句形式のみに依存するものではない。

飛んでくる雀の映る田植かな 『青の中』
墓参後を他の墓多し雀多し 『鷓鴣』
こがらしや壁の中から藁がとぶ 『青の中』
あたたかく交る藁や麥と稲 『鷓鴣』

今までの作品の中で面白さ・愛らしさといえば、SUGAR & SALT3 でも取り上げた『青の中』の「先の鴉」(s21~22年)という句群が抜きんでているという印象があり、そのなかで同じ雀と藁を用いた句を挙げてみた。

『青の中』の作品は無駄な言葉を使わず、切れ字の効果を活かし、いかにも俳句らしく整っている。内容の面でいえば、とまっている雀でなく飛んでくる雀であることや植田でなく田植であるとか、飛ぶ藁が壁の中のものであるあたりがツボをおさえている。

一方『鷓鴣』の作品は一見くどいが、それは文体の問題で中身はさっぱりしている。[墓参後→墓多し→雀多し]の複合されたリフレインや [atatakakumajiwaruwarayamugitoine]の音の流れは自然で巧み。リフレインなどはむしろ切実な内容に使い勝手のいい文体だが(「嶽々の立ち向ふ嶽を射ちまくる」「手で拭く顔手で拭く朱欒爆心地」など)、墓参の身に関わりのない墓や雀を描くのに用いるのが敏雄らしく、その敏雄らしさというのがつまりこのあたりで醸成されたものなのだろう。また、麦・稲は藁の中の要素であるにも関わらず、二音一字の和語三つはほぼ等価に迫ってくる。……などと、がんばって考えるのは苦手である。第一、作家は生き物。例外ばかりだ。

偶然にも今我が家のシマトネリコの木には鳩が巣を作っており、二羽の鳩の子が大きくなって、幻の鳥といった感じの奇妙な風貌になっている。そろそろ巣立つだろう。

おほぞらの我(わ)(どり)は汝(な)(どり)もろびとよ  三橋敏雄


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