2014-03-09

関悦史「震災関連」文集 3)震災発生一年目

特集・三年目の3.11
関悦史「震災関連」文集(3) 関悦史


震災発生一年目 (「現代詩手帖」2012年4月号用 2012.3,5送稿)


東日本大震災発生一年に合わせ『俳句』が「自然を詠む、人間を詠む」という特集を組んだ。

これを見ると俳人にとって震災詠の問題がほとんど季語との折り合いの問題として意識されているらしいことがわかる。正確には『俳句』購読者の混乱が専らその点に集約されると編集部が推測し、先回りしているというところか。

アンケートの四つの設問には当然の如く「いま大切にしたい季語」なる項目が含まれており、「震災以降、変わったこと、変わらなかったこと」という質問に対して、津波の跡に足を運んだという小川軽舟は「花鳥諷詠の季語の世界から大きくはみ出すものの存在を実感した。私もいつか季語を手放すかもしれないとさえ思った」と棄教を迫られたような深刻なショックを表明する。

小川軽舟は沈着で開明的な批評の書き手であり、有季定型以外存在を認めないといったタイプの俳人ではない。この畏れにも似た感情と軋轢はおそらく俳句の作り手の多くに共有されている。

小川の「鷹」に属する髙柳克弘は宮城入りした際、季語が邪魔になる場合もあると痛感して「瓦礫の石抛る瓦礫に当たるのみ」という無季句を残しており、このエピソードを小澤實との対談で紹介している宮城の俳人・高野ムツオも有季無季両方に跨って句作を続けている。対談は、季語に新たな陰影が加わるという形で俳句は震災の影響を受けたという見方へと進む。

俳句という別次元に身を遊ばせるにあたり、歳時記的世界観こそがその別次元を成す当のものであると感じる俳人が多数であるなら季語はそうした上書きを被らざるを得ない。平時には齟齬を見ずに済んだのかもしれない「季語」と「自然」との同一視に亀裂を走らせたのが震災なのであり、そもそもがおよそ奇怪な倒錯なのだと片付けられかねないのだが、季語こそが多くの俳人に安住と交流の他界を想像的に提供しうる所以であり、また「他者」の問題とも交錯するポイントなのである。

例えば対談で触れられている照井翠の「双子なら同じ死顔桃の花」では「桃の花」が悲惨を和らげると同時に双子の綺麗さを共示し、それが死顔となってしまったという回路を成すことで哀悼の心を担っているが、この審美性は両刃の剣だろう。

表現が惨事に迫ろうとするのを季語が浅薄なレベルであっさり救い、却って被災者を辱めるという具合に働くケースも少なくはない。

最悪の例が長谷川櫂『震災句集』だろう。「生き残る人々長き夜を如何に」の他人事ぶり、「天地変いのちのかぎり咲く桜」の戦意高揚標語じみた空疎さ等々目も当てられない。もう一つの震災句集、角川春樹『白い戦場』も「地震(ない)狂ふ荒地に詩歌立ち上がる」等地震に感応した己の興奮が表現の強度に直結しており、他者を弾き飛ばしてしまっている。

震災詠、ことに直接被災せずに済んだ人のそれは、作者が「私」と「他者」をどういう位相において相互陥入させているか、いないかを残酷なまでに露呈する。俳句もまだ緊張のさなかにあり、死=他者としての私という広やかな場を成す魂鎮めの句は少ない。



1) 被災の記 ≫読む
2) わたしの一句《Eカップとわれも名乗らん春の地震》 ≫読む
4) 数学に問うプルトニウムを詠むべきかと ≫読む

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