2015-09-13

【週俳8月の俳句を読む】俳句という器 松野苑子

【週俳8月の俳句を読む】
俳句という器

松野苑子




花カンナ貨車過ぐるとき悲鳴に似る
   青本瑞季

線路側に咲いているカンナだろう。貨車が過ぎる風圧で、赤い花弁は激しく細かく揺れ震える。それが悲鳴のようだと作者は感じた。貨車に轢かれたわけではないけれど、カンナの色は轢かれた時の血のようでもある。

作者は広島生まれだという。私の母も広島生まれ。八月十五日のその日、母は市内にいなかったので無事だったが、祖母と伯父と叔父三人が被爆。祖母と伯父は死者十四万のうちの二人になった。作者は若い方だが、身内に被爆なさった方がいらっしゃるのではないだろうか。八月十六日に発表されたこの句を含めた「光足りず」の十句には、生きることの鬱屈や痛みに被爆者の悲しみが重なって見える。

これは俳句じやないわつて誰か言つてくれよ、僕の横で笑つて 中山奈々

何と言ってよいのか、困ってしまった。俳句は季語をいれて五七五の十七文字、というが基本的な約束事。だから、この句のように約束事が守られていなければ、俳句ではないのよ、と優しく笑って言うことも出来る。

けれど、< 入れものが無い両手で受ける 尾崎放哉 > のような句がある。無季で字足らずの俳句だ。だからこの句も字余りで無季だけれど俳句だと、主張することはできる。けれど、俳句が俳句である故の詩としての良さと力が生かされていない。

一番の原因は、すべて言ってしまっているので、よく意味はわかるけれど、分かり過ぎてしまうことだろう。「謂ひ応せて何かある」という芭蕉の言葉もある。俳句は短いので、すべてを言っては、言っただけで終わってしまうのだ。放哉の句と比べると分かるのではないだろうか。

けれど「薬」の二十句、全部を読むと何か心の中で動くものがある。引き付ける面白さもある。あふれる思いを述べているからだろう。なので、この句群、五七五七七のリズムにのせて、短歌にすればいいのではないだろうか。きっと魅力的な短歌になると思う。

「光足りず」「薬」以外の作品から好きな句を挙げます。

テレビから音出て黴のコンセント  宮﨑玲奈
夫梅雨の匂いを連れて帰宅せり   柴田麻美子
かたむきて翅青みたり糸蜻蛉    藤井あかり
向日葵を裏より見れば怒濤かな   大塚 凱
棒読みの防災無線南瓜切る     江渡華子
日傘さし高校生から省かれる    中谷理紗子



第432号 2015年8月2
宮﨑玲奈 からころ水 10句 ≫読む
第433号 2015年8月9
柴田麻美子 雌である 10句 ≫読む
第434号 2015年8月16
青本瑞季 光足りず 10句 ≫読む
第435号 2015年8月23
藤井あかり 黙秘 10句 ≫読む
大塚凱 ラジオと海流 10句 ≫読む
第436号 2015年8月30
江渡華子 目 10句 ≫読む
中山奈々 薬 20句 ≫読む
中谷理紗子 鼓舞するための 10句 ≫読む

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