【週俳7月の俳句川柳その他を読む】
記憶の集積
松野苑子
自分とは、記憶の集積。その記憶を引き寄せ、俳句を読む。俳句を読むとは自分を覗いているのかもしれない。
みづうみに向く籐椅子の遺品めき 遠藤由樹子
籐椅子は新しいものでも飴色で時間を感じさせる。湖は静かで広く明るい。部屋は薄暗く、飴色の籐椅子には誰も座っていない。けれど一瞬、座っている誰かが見えたような気がしたのかもしれない。「遺品めき」という措辞が時間と命の切なさを照らし出している。
クーラーのリボンへろへろ純喫茶 西原天気
あぢさゐに囲まれてゐるあぢさゐのさなかに眠れ徳川夢声
懐かしい。純喫茶という言葉も床しい昭和の喫茶店。確かにクーラーにリボンが付けてあったなぁ。俳句の後の文章は、何故必要なのかよく分からないけれど、徳川夢声は、嗚呼、遥かなる愛しき昭和。
サングラスして天国のやうな街 村田 篠
サングラスの色はいろいろ。街が天国のようになったのだから、ピンク色かもしれない。だが、天国とはあまりに素晴らしすぎて、シュールで嘘っぽいし、サングラスを外せば、リアルで生臭い現実に戻ってしまう。本当は背筋が寒くなるような恐ろしい句なのかもしれない。
夏団地光る大きな卸し金 上田信治
夏団地がなんとも変な日本語で気になった。しかも、今回の23句のうち16句も夏団地が入っている。ふと、夏の後、ちょっと間をあけてから、団地と読んでみたら、ト書きのようで、なんだか、すんなり状況が入ってくるような気分になった。この句も、団地の蒸し蒸しする小さな台所で、やけに大きく光っている卸し金が迫ってきたのだった。
2016-08-14
【週俳7月の俳句川柳その他を読む】記憶の集積 松野苑子
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2015-09-13
【週俳8月の俳句を読む】俳句という器 松野苑子
【週俳8月の俳句を読む】
俳句という器
松野苑子
花カンナ貨車過ぐるとき悲鳴に似る 青本瑞季
線路側に咲いているカンナだろう。貨車が過ぎる風圧で、赤い花弁は激しく細かく揺れ震える。それが悲鳴のようだと作者は感じた。貨車に轢かれたわけではないけれど、カンナの色は轢かれた時の血のようでもある。
作者は広島生まれだという。私の母も広島生まれ。八月十五日のその日、母は市内にいなかったので無事だったが、祖母と伯父と叔父三人が被爆。祖母と伯父は死者十四万のうちの二人になった。作者は若い方だが、身内に被爆なさった方がいらっしゃるのではないだろうか。八月十六日に発表されたこの句を含めた「光足りず」の十句には、生きることの鬱屈や痛みに被爆者の悲しみが重なって見える。
これは俳句じやないわつて誰か言つてくれよ、僕の横で笑つて 中山奈々
何と言ってよいのか、困ってしまった。俳句は季語をいれて五七五の十七文字、というが基本的な約束事。だから、この句のように約束事が守られていなければ、俳句ではないのよ、と優しく笑って言うことも出来る。
けれど、< 入れものが無い両手で受ける 尾崎放哉 > のような句がある。無季で字足らずの俳句だ。だからこの句も字余りで無季だけれど俳句だと、主張することはできる。けれど、俳句が俳句である故の詩としての良さと力が生かされていない。
一番の原因は、すべて言ってしまっているので、よく意味はわかるけれど、分かり過ぎてしまうことだろう。「謂ひ応せて何かある」という芭蕉の言葉もある。俳句は短いので、すべてを言っては、言っただけで終わってしまうのだ。放哉の句と比べると分かるのではないだろうか。
けれど「薬」の二十句、全部を読むと何か心の中で動くものがある。引き付ける面白さもある。あふれる思いを述べているからだろう。なので、この句群、五七五七七のリズムにのせて、短歌にすればいいのではないだろうか。きっと魅力的な短歌になると思う。
「光足りず」「薬」以外の作品から好きな句を挙げます。
テレビから音出て黴のコンセント 宮﨑玲奈
夫梅雨の匂いを連れて帰宅せり 柴田麻美子
かたむきて翅青みたり糸蜻蛉 藤井あかり
向日葵を裏より見れば怒濤かな 大塚 凱
棒読みの防災無線南瓜切る 江渡華子
日傘さし高校生から省かれる 中谷理紗子
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第432号 2015年8月2日
■宮﨑玲奈 からころ水 10句 ≫読む
第433号 2015年8月9日
■柴田麻美子 雌である 10句 ≫読む
第434号 2015年8月16日
■青本瑞季 光足りず 10句 ≫読む
第435号 2015年8月23日
■藤井あかり 黙秘 10句 ≫読む
■大塚凱 ラジオと海流 10句 ≫読む
第436号 2015年8月30日
■江渡華子 目 10句 ≫読む
■中山奈々 薬 20句 ≫読む
■中谷理紗子 鼓舞するための 10句 ≫読む
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2014-12-21
【週俳11月の俳句を読む】伝えあう言葉 松野苑子
【週俳11月の俳句を読む】
伝えあう言葉
松野苑子
「豚三十句」 荒川倉庫
言葉というものは、伝えあうためにできたものだ。言葉を読めば、それにふさわしい物を頭のなかでイメージする。だから、豚とあれば、はち切れそうな体、蓮の穴のような鼻、丸まった小さな尻尾を頭に描く。
蕨狩ゆくか豚決めかねてゐる
を読むと、えっ、豚が蕨狩にゆくの・・。頭のなかには漫画のように首をかしげた豚。
遅き日の豚の求める切符かな
改札口に豚出現。
三十句、戸惑いながら読み通し、ふと気が付いたのである。この豚、作者自身のことなのではないか。それで、「豚」を「我」にしてみた。
蕨狩ゆくか我決めかねてゐる
遅き日の我の求める切符かな
こんどは混乱せずに最後まで読破。「俳句は日記」という虚子の言葉が過る。
もうこれでいいのだ我の花見酒
感謝して春の木馬を我降りぬ
なんだかくすくす笑ってしまった。楽しそうに作っている。
表題は「豚三十句」。作者の狙いも工夫も自分を豚にしてしまったところにあるのだと思う。豚にすると読み手の頭が混乱して何とか辻褄をあわせようとするので、凡庸な情景でも奇妙で違った色合いになる効果はある。戯謔的な思いもあるに違いない。自虐的な匂いもする。けれど、倉庫さんの三十句の場合、「豚」としないで素直に自分を詠んだほうが良いのではないだろうか。
豚が身を投げて測りし春の闇
この句、豚にすると面白すぎてしまうが、
我が身を投げて測りし春の闇
とすれば、いい句だなぁと思う。
そう思う句が幾つもあった。
つながつてゐるげんのしようこと我(豚)と
何もかも我(豚)の死ののち枝払ふ
だんまりの我(豚)に葛切はこばるる
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「豚三十句」以外の作品から好きな句を挙げさせていただきます。
鰯雲行進曲を埋め尽くす 秋尾 敏
秋寂びの声が出てくる喉ぼとけ 九里順子
すつぴんでするりセーター脱ぎながら
竹林の冬日に残る竹の皮 かたしま真実
耳があるつづきに顔がある炬燵 岡田一実
シナモンを振り立冬の街は雨 太田うさぎ
枯菊を括るさなかの着信音
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