【週俳11月の俳句を読む】
伝えあう言葉
松野苑子
「豚三十句」 荒川倉庫
言葉というものは、伝えあうためにできたものだ。言葉を読めば、それにふさわしい物を頭のなかでイメージする。だから、豚とあれば、はち切れそうな体、蓮の穴のような鼻、丸まった小さな尻尾を頭に描く。
蕨狩ゆくか豚決めかねてゐる
を読むと、えっ、豚が蕨狩にゆくの・・。頭のなかには漫画のように首をかしげた豚。
遅き日の豚の求める切符かな
改札口に豚出現。
三十句、戸惑いながら読み通し、ふと気が付いたのである。この豚、作者自身のことなのではないか。それで、「豚」を「我」にしてみた。
蕨狩ゆくか我決めかねてゐる
遅き日の我の求める切符かな
こんどは混乱せずに最後まで読破。「俳句は日記」という虚子の言葉が過る。
もうこれでいいのだ我の花見酒
感謝して春の木馬を我降りぬ
なんだかくすくす笑ってしまった。楽しそうに作っている。
表題は「豚三十句」。作者の狙いも工夫も自分を豚にしてしまったところにあるのだと思う。豚にすると読み手の頭が混乱して何とか辻褄をあわせようとするので、凡庸な情景でも奇妙で違った色合いになる効果はある。戯謔的な思いもあるに違いない。自虐的な匂いもする。けれど、倉庫さんの三十句の場合、「豚」としないで素直に自分を詠んだほうが良いのではないだろうか。
豚が身を投げて測りし春の闇
この句、豚にすると面白すぎてしまうが、
我が身を投げて測りし春の闇
とすれば、いい句だなぁと思う。
そう思う句が幾つもあった。
つながつてゐるげんのしようこと我(豚)と
何もかも我(豚)の死ののち枝払ふ
だんまりの我(豚)に葛切はこばるる
●
「豚三十句」以外の作品から好きな句を挙げさせていただきます。
鰯雲行進曲を埋め尽くす 秋尾 敏
秋寂びの声が出てくる喉ぼとけ 九里順子
すつぴんでするりセーター脱ぎながら
竹林の冬日に残る竹の皮 かたしま真実
耳があるつづきに顔がある炬燵 岡田一実
シナモンを振り立冬の街は雨 太田うさぎ
枯菊を括るさなかの着信音
2014-12-21
【週俳11月の俳句を読む】伝えあう言葉 松野苑子
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