【週俳11月の俳句を読む】
どちらへも行けない寂しさ
近 恵
■太田うさぎ「シナモン」
全体にオシャレな海外詠のように感じられるが、どこか架空の物語の街の中にいるようでもある。
栞さすやうに十一月の木々
程よい間隔を保って植えられた街路樹はもう殆どの葉を落として冬を待っている。晩秋と冬の間に整然と立つ街路樹は、柔らかな紙に挟まれた栞の薄くて固い質感とどこか似ていて、落ち葉を踏みながら栞をさしながら木々の間を歩いて行くうちに物語の街に紛れ込んでいってしまう。
シナモンを振り立冬の街は雨
紅茶なのかトーストなのかは解らないが、とにかく何か温かいものにシナモンを振りかけている。ゴッホの「夜のカフェテラス」のようなカフェを想像する。立冬の街には雨が、これは土砂降りではなく小雨だろう。それをぼんやりと眺めながらのシナモン。くっきりとした香りと、同時にそれとは対照的なアンニュイな感じも漂ってくる。
■岡田一実「美食の耳」
放浪感とか屈折感とかハンパない。サーカスを見ての幻詠のように感じる。どこか現実と幻の間をいったりきたりして、結局どちらへも、どこへも行けないような寂しさがある。
肉塊に親しき刃物冬きざす
一読ドッキリ。肉切り包丁だとしても「親しき刃物」は生々しい。しかもその刃物は作者が欲しがっているもののように思えてしまう。
食へさうな象ふかふかと絨毯に
これもどきりとする。そして多分象は食べない。この象がこの上なく幸せそうにくつろいでいる絨毯の上なら、硬い皮膚を持つ象も本当は柔らかいのだと思わせてくれる。けれどそれも幻のような気もする。
■かたしま真実「凹み」
翅たたみ冬青草を歩きけり
何が翅を畳んでいるのだろうかと思う。そこまでの句の流れからいけば綿虫なのか。でも単独で読めば、それは自分のことのようにも読める。安堵感がある。
■秋尾 敏「何かある」
明らかに意図したメッセージ性のある句群として受け止めた。
いろいろな飛行機が来る夏の空
この一句だけ読むと明るい夏の空という感じだけれども、この一句がプロローグとなっていることは明らかで、読み進めていくうちにこの飛行機は戦闘機や輸送機といった軍用機のように思える。そう思うと、明るい夏の空は一転して不穏な空と化し、何かの前触れのように思えてくる。
けやき落葉す時間を溜めすぎた
後悔だろう。エピローグとしても、この先にあまり希望が感じられない。そう思うのは、作品を通してみえる読者である自分の心情なのだろうと感じる。
■九里順子「心なき窗」
あえての旧字体の「窗」を使う。意味を調べると、いわゆる建物にある窓の他に、山稜(さんりょう)の一部が深いV字形に切れ込んで低くなった所、とある。全体に大きな景を優雅な言葉で詠い、これは漢語の効果だろうと思うが、文字を効果的に使っていると感じる。
山水を嵌めて花鳥の塒かな
まるで多色刷りの版画の、一部分の版木のよう。そこに山と水が入ることで初めて花鳥の塒が完成するかのような。というよりも、花鳥の塒と山水はきっと最初からワンセットの景色なのだ。
月の蝕一重瞼は窓になる
この窓は窗ではなく、肉体的にきっと本当に感じている窓なのだろう。一重瞼という扉を上げると、そこには眼という窓が、その窓は月の蝕を見る為だけに開けられた窓。月の影だけを覗き込み、冷たい風が吹き込んでくる窓なのだ。
2014-12-21
【週俳11月の俳句を読む】どちらへも行けない寂しさ 近 恵
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 comments:
コメントを投稿