2018-04-08

釈迦の誕生の産声の是非 狂歌の観点はどう? robin d. gill(敬愚)

釈迦の誕生の産声の是非 狂歌の観点はどう?

robin d. gill(敬愚)


み仏の舌の長さぞ知られける産声にまで唯我独尊 繁雅  1815

Buddha must boast a tongue as long as men who’ve died,
for crying-out at birth “Respect just me!” is hard to abide.


「天上地下唯我独尊(てんじょうてんげ・ゆいがどくそん)」と云う釈迦の産声を囃す狂歌や川柳が多い。日本人は、漫才でなければ、神と仏までも自慢が気に入らない。上方狂歌の繁雅の狂歌が出た1801 年以前の俳風柳多留拾遺四の川柳は非難の模型になる。

Prince Shakamuni
drops from his mother
already talking himself up!

お釈迦さま生れ落るとみそをあげ


多くの産声を囃す狂歌から繁雅の首を章頭歌に択んだ理由は、舌長(したなが)は、自慢話の癖ある者ながら、体温次第が、「仏」と縁がある遺体の舌が文字通り口から出るも事実。無言なる悟りのイメージと逆説的な連想もおまけに伴なう。釈迦の産声を弄んだ本歌は知りません。狂歌も出る初期江戸の笑話集に出そうが、手元にある歌例は1685頃の落首と狂歌の私集に出た。

灌仏 生るゝと早かゆそうな釈迦頭 天上天下唯我毒瘡 長崎一見


その不完全の語呂合せも気に入るが、厭らしさの為の厭らしさと云うより、原発言の過剰な自慢への反発で、やれやれと言うって上げましょう。慎みを美徳とする日本では、あの自慢を聞いたら痒くなるが。この初期のやばい首と舌が長い上方狂歌の間になる1793以前の江戸狂歌もある。


何事も知らぬが仏と聞けしかと利口に物を唯我独尊 左大小鮫鞘

We heard knowing naught was what Enlightenment was about
so Buddha’s smart boast “I alone am worthy” makes us doubt.

諺ないし「世話」も取り込む無駄のない詠みが、新奇はなければ月並みの狂歌です。一方、同本にずばりと「ぶつ」を擬音にする後なる仙厓義梵の名句を思わす傑作もある。屁の一連の言葉遊びが無理で『古狂歌 ご笑納ください』に英訳ないが、今日は異訳を勝手に加えてみた。


世の人を屁とも思わぬ高慢か誕生ぶっと鳴りわたるなり 鯛鮨雄

How can we who live on earth cheer to hear His boastful birth?
That finger I shoot back a bird: “Boo for Buddha!” is the word.


成語句の台詞なくても、「高慢が誕生」で間接的に触れた点が大事。当時の皆さんにあれだけ知られた言葉であった。しかし、がである。この囃しは、すべてがfacetious、つまり誠実でない、可笑しみを醸すための態々らしい非難だったかどうか、宗教史不勉強で結論しかねる。サンスクリットでは、どうなるでしょうか。ネット上の解説を読めば、個人としての手前味噌ではなく、各々人間としてあるべき姿勢か自覚である。この世で一番尊いものは、他と取り換えない自分独特の命で、「我」が、釈迦のみならず人間皆に生き甲斐ある我々だ。因みに、これらの狂歌は初期江戸の大狂歌集の歌部か巻になった「釈教」の首と似通う。宗教を弄んできた事は日本の良い面の一つです。


産声再考 蟹糞のほか手前みそこなったぞ「唯我」とは我々の事也 敬愚





  


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