2018-06-24

【句集を読む】 見据えつつ踏みとどまること 『俳句の魅力――阿部青鞋選集』の一句 福田若之

【句集を読む】
見据えつつ踏みとどまること
俳句の魅力――阿部青鞋選集』の一句

福田若之


鴇田智哉の《人参を並べておけば分かるなり》が今日あれほどまでに語られる一方で、次に示す一句がほとんど語られることのないままひっそりと忘れ去られようとしているかのように感じられるのは、やはり、ずいぶんさびしいことだと思う。 

一行に葡萄のたねをならべけり 阿部青鞋

『俳句の魅力――阿部青鞋選集』(沖積舎、1994年)から引いた。 

いま挙げた二句について、まず率直に書くなら、僕は、いま、智哉の句よりも青鞋の句に惹かれる。それには、もしかすると、かねてからのいわゆる「分かる/分からない」といった物言いをめぐる議論のねばつきようにいいかげんうんざりしているという、僕自身のこの頃の気分も、すこしは関わっているのかもしれない(それにしても、この「/」はなんだろう。一句一句を読むとき、僕はそのつど「分かる」でも「分からない」でもなく、「分かるない」とでもいうようなあたりをうろうろとしている気がするのだけれど)。

もちろん、踏みこんでいるという点では、あきらかに智哉の句のほうが、青鞋の句より遠くまで踏みこんでいる。要するに、物を並べたあとのことにまで踏みこんでいるのである。青鞋の句は、葡萄のたねを並べることに踏みとどまっている。この違いのことを、すこし考えてみたい。

葡萄のたねというモチーフに《葡萄食ふ一語一語の如くにて》(中村草田男)の喩えが打ち重なりもするからだろうか、一行に葡萄のたねを並べるということは一句を作ることを象徴することのようにも思われる。句を作ること、すなわち、並べること。語のたねとしての字。
俳句を作つてみたいといふ考へがありながら、さてどういふ風にして手をつけ始めたらいゝのか判󠄁らぬためにつひにその機會無しに過󠄁ぎる人が餘程あるやうであります。私はさういふことを話す人にはいつも、
   何でもいゝから十七字を並べてごらんなさい。
とお答へするのであります。
(高濱虛子『俳句の作りやう』)
ただし、1978年(昭和53年)3月に『俳句公論』に発表された「行為としての定型」を「終りに、この形式を表記上、多行書きにしたり、一行書きにしたりするのは、単なる目先の趣向の問題であって、本質的に云為する程のことではありません」という言葉で締めくくっている青鞋であるから、葡萄のたねを並べるにあたってそれらを一行にしてみせたのも、単なる目先の趣向の問題だとしておくほうがよいのだろう。

しかし、並べられた葡萄のたねが現に句に見えるかどうかは別としても、葡萄のたねをたとえば十七粒ほど一行に並べることが、あるとき、あるひとにとって、それ自体何らかの句を作ることになるといったことは、充分にありうる気がする。青鞋は記す――「この形式自体は却って無気味に能無しで無意味なのです」(「行為としての定型」)。たしかに青鞋の句はそれ自体としては字を並べたものであるけれども、まさしくそのことによって、葡萄のたねを句として並べるというありうる出来事を指し示しているふうに読める。そして、青鞋においては、葡萄のたねを句として並べるという出来事を指し示すとき、その指し示すことのかなたに、句を読むことは置き去りのままに残されている。

並べたあとのことに踏みこむということ、それは読むことに踏みこむということだ。要するに、智哉の句の思考は、並べられた人参を読むことに踏みこんでいるのである。助詞の「ば」を踏みこえることによって、人参を並べた者が今度は自ら並べた人参の最初の読者になる。しかし、このとき生じるのは「分かる/分からない」のあいだに引かれたあの斜線にほかならない。分かるとはどういうことか。それは、たとえば「分かる/分からない」、「作者/読者」といったあらゆる分別の自発的な生成だ。そして、そこに生じるのは秩序である。人参を並べておけば分かるということ――これは、一言で記せば、じつにひとつの文化的な事態なのである。だが、この最初の読者こそ、一句の首を絞める者にほかならない。この読者は「分かるなり」と高らかに宣言する。そして、まさしくそのことによって、読むことをあの「分かる/分からない」の問題に縛りつけてしまう。こうして最初の読者は、もはやまるで人参を味わうことも、盗むことも知らないかのようなのである。だが、そのようにして別様に読むことが、そのつどできるはずなのだ。並べられた人参は、したがって、むしろ句の外にまったく別の第二の読者の可能性を孕んでいる。すなわち、分かる前に味わったり、盗んだりする読み手、分かることの手前で実践する読み手の可能性を。しかし、そのことは、句の思考が人参を並べたあとのことにまで踏みこんでしまったことによって、とかく忘れられがちになっている。そのせいで、僕たちはつい、最初の読者と共犯関係を結んで、この句を「分かる/分からない」の次元で考えようとしてしまう。

青鞋の句の思考は、ただひたすら、葡萄のたねを並べながらそれに興じることのうちに、すなわち、無気味に能無しで無意味な形式をそのつど立て直す官能的な実践のうちに、したがって、分かることのはるか手前に、踏みとどまる。さて、手前つながりですこし自分のことを書くなら、僕もまた、斜線が氾濫する場をはっきりと見据えつつ、いかに青鞋の書いた側に踏みとどまるのかといったことを思ってきたようだ。おそらくそれゆえ、僕は人参の句についても、人参を並べておけばただ人参が並べてあるということがそれとして分かるというふうに、せめて分かるということを限りなく小さく読みたいと感じるのだろう、そしてまた、おそらくそれゆえ、智哉の句のなかではむしろたとえば《畳から秋の草へとつづく家》に強く惹かれるのだろう。この句の思考は、「内/外」のあいだの斜線を見据えながらもまったくその斜線の引かれる以前の感覚に踏みとどまっているのであり、しかしながら、そのことによって、むしろたやすく「内/外」の敷居を踏みこえるのである。

もちろん、青鞋の句にもまた、この見据えつつ踏みとどまるありようが感じられる。そう、彼は葡萄のたねを並べるだけではなく、さらに字を並べることで、葡萄のたねを並べるという出来事を言葉で指し示したのだった。言葉によって出来事を指し示すということ――青鞋の一句は、そのことによって、すでにはっきりと斜線の氾濫を見据えている。だが、青鞋の句の思考はその氾濫にあえて自ら踏みこもうとはしない。並べられた葡萄のたねを前に、あるいは、葡萄を並べるという行為を前に、はたして問いは「分かる/分からない」の次元で提起されるべきなのか。分かる前に感じること、この行為を身体に引き受けること――青鞋の一句はまずそのことに向かって差し出されているように、僕は感じる。


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