2018-10-21

【週俳600号に寄せて】宮嶋梓帆のこと 佐藤文香

【週俳600号に寄せて】
宮嶋梓帆のこと

佐藤文香


宮嶋梓帆と私が第2回芝不器男俳句新人賞の奨励賞を受賞したのは彼女が19歳、私が20歳のときで、と書くと私が1つ年上に見えるが私たちは同級生、宮嶋は同志社大の、私は早稲田大の2年生であった。正式名称は忘れたけれど「芝不器男賞をとりに行く会」のようなウエブ上の鍵付きの掲示板で、週に10句ずつ掲載だったか、何人かでそういうのをやっていた。そのうちの2人が坪内稔典奨励賞と対馬康子奨励賞を受賞したのはなかなかの快挙で、そのころの宮嶋と私にはちょっとした盟友感があった、などと思っているのは私だけだろうか。

 マフラーを首のかたちのままに貸す  宮嶋梓帆

 葱畑葱しかなくて笑いけり  同

宮嶋は肝が太いというか、女子大生らしからぬ安定感があり、そこが好きだった。青春18きっぷで松山に帰省する途中で京都の宮嶋の家に泊まったり、俳句甲子園のスタッフをしたあと、飲み過ぎた宮嶋を松山の私の実家に泊めたりした。

2008年2月の「週刊俳句」に、宮嶋の作品がある。

http://weekly-haiku.blogspot.com/2008/02/blog-post_10.html

 初雪もなんまいだぶもまだ続き  宮嶋梓帆

 冬帽の大きすぎたる記憶かな  同

 葱畑悼むに飽きてきたりけり  同

私なんかは言葉をすぐに詩に昇華させたがるようなところがあったが、宮嶋は焦らない。なんというか、言葉が俳句に適量で、読み手がつきあいやすい作品。今回読み直してみて、当時以上に宮嶋の句のよさがわかった。宮嶋は、私よりだいぶ大人だったのだろう。
この1ヶ月後、宮嶋と私は大学を卒業した。宮嶋は新聞社に入社し、忙しくなって、あまり俳句を書かなくなった。私は句集を出した。仕事は続かなかった。

それから10年が経ち、宮嶋が東京勤務になったというので、今夜、焼き鳥を食べる。

いろいろ話したい。

「週刊俳句」、600号らしいよ。

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