2008-04-13

【週俳3月の俳句を読む】 鈴木茂雄

【週俳3月の俳句を読む】
鈴木茂雄
堺市堺区はどこか変だ





ほんたうに梅咲いてゐる梅ヶ丘   上田信治

地方自治体の統合で住所表記がよく変わる。たとえばわたしが住んでいる堺市がそうだ。最近、政令指定都市になって区が設けられた。東区、西区、南区、北区というふうに区分けされた。区分けされたことによって、いままでニュースなどで報じられていた町名が区名に隠れてしまったが、滑稽なのは堺市の中心地にあたる区域を「堺市堺区」としたことだ。「東西南北」ときたら、つぎにくるのはたとえば「中央」だろう。なぜ「中央区」としなかったのだろうか。なるほど堺は歴史的にも名の有る地だが、なぜこんなところで「堺」かと訝るばかりだ。大阪市大阪区、京都市京都区だと違和感を覚えるように、堺市堺区はどこか変だ。この程度の変な命名や住所変更ならまだ許せるが、歴史的に意義のある地名まで役人が勝手に変えるので憤慨している。なぜなら、地名を変えるということは、歴史的な時間の流れをそこで断ち切るということに他ないからであり、地名からいろいろと想像する楽しみが奪われるからである。地名はたんに位置を示す記号ではなく、時間と空間を内蔵しているのだ。

冒頭からグチになってしまった。本題に入ろう。揚句の「梅ヶ丘」には「ほんたうに梅」が「咲いてゐる」のだろう。だが、いかにも新しくできた街のような気がする。新しく出きた街の名前だから悪いと言おうとしているのではない。梅にまつわる地だから付けた名前ではなく、ネーミングとして「梅ヶ丘」という名前が先行し、そのあとで梅の木を植えただけではないのかという行政の胡散臭さがこの名称にちらつき、素直に風景を楽しめないのだ。が、この作品に罪はない。一読、さっぱりとした作品である。梅も住宅地もよく見える。作者が素直に「おっ」っと軽く驚いた様子がよく表されている。ホントに梅が咲いている、と。こんな場面によく出くわすが、まだ誰も俳句にしたことがないのではないか。


鳥雲に晩年の飯炊き上る   大牧 広

一読、「晩年の飯」という言葉が気になった。この句のキーワードだろう。季語「鳥雲に」がそのヒントを与えてくれる。作者はおそらく自炊を強いられる生活をしていて、炊き上がった電子炊飯器のふたを自分で開ける様子が見て取れる。炊き上がったご飯の湯気がふわっと立ち上がる。その折にふと晩年を強く意識したのだ。しかも最晩年をである。鳥は帰ってもまたこの地に戻ってくるだろうが、わたしの来年はどうなのだろうか、と。この「晩年」という一語は、作者にとってけっして遠い未来ではなく、一生の終り、死に近い時期を意味する、とても重い言葉に違いない。「空港の最上階で花種買ふ」「段差にてみごとに転ぶ空襲忌」の二句も印象に残っています。


佐保姫に寄る年波の紐の数   横須賀洋子

「佐保姫」の諸説は物の本に譲ることにして、ここでは「春の造化の神なり。かたちあるにあらず、天地の色をおりなすをかりに名づけたるなり」【図説角川俳句大歳時記 春《佐保姫》の項・『改正月令博物筌(文化五年)』】という春の女神をイメージしておこう。その佐保姫が年をとったと言う。春の女神も「寄る年波」には勝てぬ、と言うのだ。それなら神様ではなく人間だ。それで気がついた。この「佐保姫」は作者自身のことだということに。「寄る年波」という使い古された言葉がつぎの「紐の数」によって再び息を吹き返す。この「紐」は花衣の紐に違いない。杉田久女の句「花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ」が作者の念頭にあったのは言うまでもないが、「寄る年波の紐」だから「まつはる」のは浮世のしがらみだということもまた断るまでもないだろう。だが、この作者にはこんな解説めいたことなどはた迷惑に違いない。

同時発表の句「もういくつ寝るとたのしいお産かな」を読むとわかるが、作者はコトバを楽しんでいるのだ。「もういくつ寝ると」というフレーズのあとにくる言葉が「お正月」であることは子供でも知っているが、その言葉の代わりに「たのしいお産」などというとんでもないコトバを置いて様子を窺う。読み手を驚かそうというのは詩の手法のひとつでもあるのだが、この作者、案外そんなことにも気をかけず、ほんとうに「もういくつ寝ると」と指折り数えて、孫の誕生を待っているのかも知れない。「隙間風に訪ねられてもみんな留守」「たよられていまがいちばん葱坊主」も面白い作品だと思いました。


若草や壷割るやうに名を告げし   中村安伸

一読、鮮やかな句だ。「壷割るやうに」という比喩がこの一句の要だろう。「名を告げし」で思い浮かぶのは万葉集第一巻第一首の雄略天皇の「籠(こ)もよ み籠持ち」で始まる長歌だ。「掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この岡(をか)に 菜摘(なつ)ます子 家告(の)らせ 名告(の)らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居(を)れ しきなべて 我こそ居れ」とつづくが、その最終節「我こそば 告(の)らめ 家をも名をも」(伊藤博校注『万葉集』角川文庫)に通じる激しさを揚句に感じ取ることができるが、一転、上句「若草や」にもどって再読すると、この時期、社員の新人研修の一環として公園などで大声で自己紹介をする風景が思い起こされる。だが、「壷割るやうに名を告げし」ときっぱりと爽やかに言われると、揚句は、やはり現代版万葉集、青年の恋の句だと思いたい。メールアドレスさえ気軽に教えあう昨今だが、こういう告白をする青年がいまの日本にもまだまだいるのだなあと、微笑ましく感じた。「空に置き去りの蹄鉄梅咲いて」も気になる作品でした。


つぎの作品も印象に残っています。

目つむるといふ待ちやうも梅の花   佐藤文香

春の鹿列車待たせてをりにけり   陽 美保子

三丁目探せども無く春の空   山根真矢

キスをする春の地震の少し後   小倉喜郎



ハイクマ歳時記 佐藤文香・上田信治  →読む大牧 広 「鳥 雲 に」10句  →読む横須賀洋子「佐保姫」10句  →読む中村安伸 「ふらここは」10句  →読む陽 美保子 「谷地坊主」10句  →読む山根真矢 「ぱ」10句  →読む小倉喜郎 「図書館へ」10句  →読む

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