2008-07-13

俳句の置かれる場所 「五・七・五のポスターデザイン展」 羽田野 令

俳句の置かれる場所

「五・七・五のポスターデザイン展」


羽田野 令



去る六月の前半二週間、富山の画廊で「五・七・五のポスターデザイン展」が開かれた。高橋修宏氏プロデュースの、俳句と平面デザインのコラボレーションの展覧会である。今回で16回目だそうだ。今年は思い切って富山まで見に行った。



























高橋氏は最初はご自身の俳句作品を対象とされていたそうだが、このところ毎年違う俳人とのコラボレーションを展開されている。今年の俳人は柿本多映。「非時(ときじく)」というタイトルである。20代~50代のデザイナー達が思い思いの世界を見せてくれている。

俳句と絵とが同じ画面にあるという形は昔からあるが、この展覧会はそういうものとは違うものだった。概して抽象度の高い作品が多い。個々の俳句からデザイナーたちが受け取ったもの、彼等の頭の中を巡ったイメージが色と形の世界として表されている。句をいかにデザイナーが咀嚼し、膨らませ、広げ、飛び、また諸々をどこまでそぎ落とし、どのように単純化された形へ行き着つくかなのであろう。

ジャンルとしては俳画ではなく、あくまでもポスターなのだそうである。ポスターというと印刷された宣伝媒体であるが、この展覧会の作品も町で見かける所謂ポスターのサイズであり、印刷物である。

画廊に入ってパッと見ると、グラフィックデザインの作品が並んでいるという印象である。俳句の文字は小さく書かれているものが多い。それぞれの前に立って、句を画面の中に読む。しばらくそうしている。なかなか今までになかったような時間だ。大きいのも感動的だ。体が作品に向き合う。絵の前に立った時には驚きの方が多いかしれない。句を読んで自分では別段絵にして理解していたわけではないから、絵になるということ自体への驚きが咄嗟に来るのだと思う。それがとても新鮮である。

















  春うれひ骨の触れあふ舞踏かな

…は、真ん中の空間があってその周りを取り巻く幾つもの丸で構成されている。骨の断面の丸か。なかなかこうは描けないなあと、見入ってしまう。その右側にあるのは「空気より淋しき蝶の咀嚼音」。



赤いのは、右上の黒い墨のしたたりのようなところから文字があって…

  ひるすぎの美童を誘ふかたつむり

…と。














別に色を想像して読んでいたわけではないが、迫ってくるような鮮やかな赤には驚く。



  死角とは生国に桃熟れさうな

これは、画面が×に四等分された作品。上の逆三角形の黒が効いていて、死角ということがこの黒かな等と思って見る。












揚羽が半分見えているのは、「黒揚羽あやふき昼を残したる」。













画廊の外に貼ってあるのは、展覧会のタイトル等が大きく入れられて文字通りこの展覧会のポスターとなっている作品。モノクロの海と空の写真を90度回転させて、水平線が縦にあり、飛び出して見えている。そして写真では分かりにくいが、真ん中の海と空の際の部分にピンクの文字で「出入口照らされてゐる桜かな」と句がある。はじめに天地が分かれた所のような万物の始まりの様な又生命の出口であるかもしれない様なところに、ぴたりと桜色が収まっている。

















画廊に来た人の中には、こんな俳句があるんですか!という声も多かったという。

結社誌や同人誌や商業誌や句集の中以外、ネット上以外、短冊や色紙に書かれて部屋の飾られている以外に、なかなか俳句の置かれる場所はないが、そういう普通にない場所に置かれるのもいい。そしてそういうことを一地方で続けられているのも凄いことである。



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