ただごとについて(中)
上田信治
上田信治
「豆の木 no.11」(2007.4)より改稿転載。
≫ただごとについて(上)
(承前)
よく知られたことだが、ある一文字をそれだけじーっと見つめていると、だんだん文字に見えなくなってくる。ものは見つめると固有の文脈を離れ、見慣れぬ相貌を見せる。
〈古池や蛙飛こむ水のおと〉も、見つめ案じ入るうちに、先入観としての「美」を離れ、「ただごと」として、もう一度現れる。
それとは逆に。一句として提示されることで、ごろた石のような「ただごと」が、何ものかとして感受されるということもある。
共通するのは、「見つめる」ということの持つ、文脈を離れさせるはたらきだ。
●
そういう意味で「ただごと」は、美術でいうところの「オブジェ」に似ている。
波多野爽波の〈真白な大きな電気冷蔵庫〉(昭和16年)は、デュシャンの「泉」(上図版)に、そっくりだ。
「泉」の場合、そこにあるのは、別の文脈に置かれて、これはどういうことだろうと思わせるため「だけ」に選ばれた、意味もなく美しくもないもの(便器)である。何でもないものを、美術品 の展示という形式にのっとって、題をつけ署名をして提出する。その方法自体が作品であり、便器そのものには内容がない。
爽波の「冷蔵庫」 は、日常言語が定形にうまくはまっていて変、ということだけで成立している。言葉の姿がズボっとして、たまたま物と平仄が合っているところが妙味といえば妙味だが、 言っていること自体には、だからどうというような内容は何もない。昔は電気冷蔵庫が珍しかった、ということはあるのかもしれないが…。
デュシャンには、「泉」の他にも、いくつかのレディメイドと呼ばれるオブジェ作品があって、そちらには、かすかに「内容」のようなものが見てとれる。
爽波の〈帚木が帚木を押し傾けて〉〈ソース壜汚れて立てる野分かな〉(『骰子』昭和61年)などの句が似ているのは、そちらの「内容があるほうのオブジェ」だ。
壜干し器、角砂糖のような大理石の立方体、体温計、イカの甲、鳥籠、糸、などの素材が、組み合わされ適当な題をつけられて、作品として提示されている。それらの素材となった既製品を、作者は、趣味で選んでいないと何度も念を押すのだが、個々の品物にモチーフ(動機)はないとしても、集積し組み合わされたそれらには、「誰か一人の人間によって選ばれた」としか見えない同一性がある。
そこには、言葉と物のうすーい質感の交錯があり、そこから発する隠微とも親密ともいえる気配がある。その質感や気配は、デュシャン後年の「大ガラス」「遺作」といった作品にも、見てとれる。それはある種の表情の癖のように、本人の意図と無関係に現れるものなのかもしれない。
さて。
デュシャンのオブジェと「ただごと」は、どちらも「作品」という形式を使って「空白」を提示する方法である。
「それが作品である」という認識は、作品にふさわしい提示の儀礼を通じて、観客と作者に共有される(ノートに書きつけられた草稿は、内容的にそう呼びうるものであっても、まだ「作品」ではない)。提示の儀礼は、作品の基層をなす一部である。
作品という形式は、観客にエンタテインメントを提供する「約束」である。
俳句の場合、それに加え、内容と不可分の「定型という形式」があるために、「約束」は、より、あからさまである。
オブジェや「ただごと」の「空白」は、「約束」に対する期待とはぐらかしによって「空白」たりうる。基本的に「人が良い」立場を強制される観客は、提示された「空白」に吸引され、何ごとかと耳をすます。
そのとき展示台の上にあるものは、「約束された美」の不在という事態であり、世界から文脈が抜け落ちたあとに残る、捉えどころのないもののいくつか(たとえば質感とか)であり、最終的には、それを選んだ本人の消息のようなものである。
俳句には本来「形式が書く」と言われるような無名性がある。しかし「ただごと」俳句には、逆にうすい「本人」性のようなものがただよっている。
なぜソース壜だったのか。もし事後的にそこに「詩」が見出されたとしても、他ならぬソース壜が選ばれたことは、けっきょく「偶然によって」としか言いようがない。
その偶然は、俳句にではなく、作者の側に属している。
●
以前、神野紗希さんから、「ただごと」って只のことでいいんだったら、もう、何でもいいってことにならないんですか、と言われたことがある。
たしかに「ただごと」が「詩」や「美」に対する単なるアンチであれば、それこそ中味は何でもいいわけですが、その場合、個々の作品は、コンセプチュアルな方法によってランダムに選択された、一作例にすぎなくなる。
デュシャンの「泉」は、確かにそんなかんじで一発芸めいているんだけど、一発芸的な繰返しに耐えない方法は方法の名に値しないし、逆に、方法には繰り返しによって内容が発生することがあって----というようなことが、その場でうまく言えなかったので、こうして、ここで、書いているわけです。
「何でもいいってことにならないんですか」という問いに、今なら「たしかに俳句的にはそうでしょうが、本人的には、その存在を賭けて、たまたま選んだものなんです」と答えたいと思う。
●
藤田湘子が、1983年から86年にかけて行った「一日十句」が、高濱虚子に対する再評価から発案されたことは、それに先だって発表された「愚昧論ノート」「俳句以前のこと」(1978・1981『俳句以前』永田書房所収)の二つのエッセイにくわしい。
湘子は、虚子の方法を「夥しい駄句の群が、たった一握りの佳句を支えている」(「愚昧論ノート」)ものと見ていた。
また自らについては「私自身は、駄句は捨て愚かな部分は一切顧みることなく歩いてきたように思う。澄んだもの、カッコいいもの、見栄えのするもの、美しいもの、高いもの、遙かなものをいつも求めつづけてきた。しかし、そういう求め方では、厳として重く高い山塊を築き得ぬのではないかという不安が、このごろ徐々に拡がっている」(同)と述べ、それまでと正反対の「一日十句を作句しそれをすべて発表する」という方法を試みるにいたった。
湘子の追悼号となった「鷹」2006年4月号誌上で取り上げられた「一日十句」期間中の句を見ると、〈蠅叩此処になければ何処にもなし〉〈涅槃図の人ことごとく大頭〉のような句は、作家自身が「破顔一笑の句を作りたい」(「俳句以前のこと」)望んだとおり、まずまず笑える。一方〈あさまらのめでたき春となりにけり〉〈水洟や咳やぢぢばば城を見て〉のような句は、どうだろう。自分にはあまりおもしろくない。
湘子のかっての規範が「詩」や「美」にあったとすれば、これらの句は、その規範をいったん外す作業から生まれた。つまり虚子にならって「非-美」「非-詩」の領域から、何かいいものを汲み上げようという目論見である。
しかし、湘子のこの時期の代表作と目される句の多くが、穏当なユーモア俳句であることは、どう考えればいいのだろう。
(と全部読まずに書くのも不公平なので、一日十句の時代の湘子の句集『一個』『去来の花』『黒』を、読んでいます。一冊ほぼ千句収録という量にめげつつ…。まだ『一個』の途中なんですが、〈いざ行かめ甚平を着てそこらまで〉なんていうゆるゆるの句もあれば、〈日のあたる方の障子や秋の暮〉なんて古風な句も、十句の開始前ですが〈意のまゝに且つ出鱈目に毛蟲焼く〉〈阿鼻もなく叫喚もなし毛蟲焼く〉なんて句もあって、大変おもしろい。「ただごと」のスゴイのがないか、今、探索中です)
「詩」や「美」の規範に対する緊張を解除した「ただごと」が、「ユーモア」や「生活感」の表現にとどまるのだとしたら(湘子の「一日十句」が全てそうだったとは言わないが)、それは当の規範と同じかそれ以上に、常識的で退屈である。
「ただごと」は「詩」や「美」を棄却するのではなく、それを迂回する。もし迂回した先に「ユーモア」や「生活感」があれば、それもなるべく迂回する。およそ表現の効果・目的と見なされるものをことごとく迂回した先にあるもの、あるいは偶然「かすりもしなかった」ものが、「ただごと」である。
(下)に続く。
≫ただごとについて(上)
≫ただごとについて(下)
●
≫ただごとについて(上)
(承前)
よく知られたことだが、ある一文字をそれだけじーっと見つめていると、だんだん文字に見えなくなってくる。ものは見つめると固有の文脈を離れ、見慣れぬ相貌を見せる。
〈古池や蛙飛こむ水のおと〉も、見つめ案じ入るうちに、先入観としての「美」を離れ、「ただごと」として、もう一度現れる。
それとは逆に。一句として提示されることで、ごろた石のような「ただごと」が、何ものかとして感受されるということもある。
共通するのは、「見つめる」ということの持つ、文脈を離れさせるはたらきだ。
●
そういう意味で「ただごと」は、美術でいうところの「オブジェ」に似ている。
波多野爽波の〈真白な大きな電気冷蔵庫〉(昭和16年)は、デュシャンの「泉」(上図版)に、そっくりだ。
「泉」の場合、そこにあるのは、別の文脈に置かれて、これはどういうことだろうと思わせるため「だけ」に選ばれた、意味もなく美しくもないもの(便器)である。何でもないものを、美術品 の展示という形式にのっとって、題をつけ署名をして提出する。その方法自体が作品であり、便器そのものには内容がない。
爽波の「冷蔵庫」 は、日常言語が定形にうまくはまっていて変、ということだけで成立している。言葉の姿がズボっとして、たまたま物と平仄が合っているところが妙味といえば妙味だが、 言っていること自体には、だからどうというような内容は何もない。昔は電気冷蔵庫が珍しかった、ということはあるのかもしれないが…。
デュシャンには、「泉」の他にも、いくつかのレディメイドと呼ばれるオブジェ作品があって、そちらには、かすかに「内容」のようなものが見てとれる。
爽波の〈帚木が帚木を押し傾けて〉〈ソース壜汚れて立てる野分かな〉(『骰子』昭和61年)などの句が似ているのは、そちらの「内容があるほうのオブジェ」だ。
壜干し器、角砂糖のような大理石の立方体、体温計、イカの甲、鳥籠、糸、などの素材が、組み合わされ適当な題をつけられて、作品として提示されている。それらの素材となった既製品を、作者は、趣味で選んでいないと何度も念を押すのだが、個々の品物にモチーフ(動機)はないとしても、集積し組み合わされたそれらには、「誰か一人の人間によって選ばれた」としか見えない同一性がある。
そこには、言葉と物のうすーい質感の交錯があり、そこから発する隠微とも親密ともいえる気配がある。その質感や気配は、デュシャン後年の「大ガラス」「遺作」といった作品にも、見てとれる。それはある種の表情の癖のように、本人の意図と無関係に現れるものなのかもしれない。
さて。
デュシャンのオブジェと「ただごと」は、どちらも「作品」という形式を使って「空白」を提示する方法である。
「それが作品である」という認識は、作品にふさわしい提示の儀礼を通じて、観客と作者に共有される(ノートに書きつけられた草稿は、内容的にそう呼びうるものであっても、まだ「作品」ではない)。提示の儀礼は、作品の基層をなす一部である。
作品という形式は、観客にエンタテインメントを提供する「約束」である。
俳句の場合、それに加え、内容と不可分の「定型という形式」があるために、「約束」は、より、あからさまである。
オブジェや「ただごと」の「空白」は、「約束」に対する期待とはぐらかしによって「空白」たりうる。基本的に「人が良い」立場を強制される観客は、提示された「空白」に吸引され、何ごとかと耳をすます。
そのとき展示台の上にあるものは、「約束された美」の不在という事態であり、世界から文脈が抜け落ちたあとに残る、捉えどころのないもののいくつか(たとえば質感とか)であり、最終的には、それを選んだ本人の消息のようなものである。
俳句には本来「形式が書く」と言われるような無名性がある。しかし「ただごと」俳句には、逆にうすい「本人」性のようなものがただよっている。
なぜソース壜だったのか。もし事後的にそこに「詩」が見出されたとしても、他ならぬソース壜が選ばれたことは、けっきょく「偶然によって」としか言いようがない。
その偶然は、俳句にではなく、作者の側に属している。
●
以前、神野紗希さんから、「ただごと」って只のことでいいんだったら、もう、何でもいいってことにならないんですか、と言われたことがある。
たしかに「ただごと」が「詩」や「美」に対する単なるアンチであれば、それこそ中味は何でもいいわけですが、その場合、個々の作品は、コンセプチュアルな方法によってランダムに選択された、一作例にすぎなくなる。
デュシャンの「泉」は、確かにそんなかんじで一発芸めいているんだけど、一発芸的な繰返しに耐えない方法は方法の名に値しないし、逆に、方法には繰り返しによって内容が発生することがあって----というようなことが、その場でうまく言えなかったので、こうして、ここで、書いているわけです。
「何でもいいってことにならないんですか」という問いに、今なら「たしかに俳句的にはそうでしょうが、本人的には、その存在を賭けて、たまたま選んだものなんです」と答えたいと思う。
●
藤田湘子が、1983年から86年にかけて行った「一日十句」が、高濱虚子に対する再評価から発案されたことは、それに先だって発表された「愚昧論ノート」「俳句以前のこと」(1978・1981『俳句以前』永田書房所収)の二つのエッセイにくわしい。
湘子は、虚子の方法を「夥しい駄句の群が、たった一握りの佳句を支えている」(「愚昧論ノート」)ものと見ていた。
また自らについては「私自身は、駄句は捨て愚かな部分は一切顧みることなく歩いてきたように思う。澄んだもの、カッコいいもの、見栄えのするもの、美しいもの、高いもの、遙かなものをいつも求めつづけてきた。しかし、そういう求め方では、厳として重く高い山塊を築き得ぬのではないかという不安が、このごろ徐々に拡がっている」(同)と述べ、それまでと正反対の「一日十句を作句しそれをすべて発表する」という方法を試みるにいたった。
湘子の追悼号となった「鷹」2006年4月号誌上で取り上げられた「一日十句」期間中の句を見ると、〈蠅叩此処になければ何処にもなし〉〈涅槃図の人ことごとく大頭〉のような句は、作家自身が「破顔一笑の句を作りたい」(「俳句以前のこと」)望んだとおり、まずまず笑える。一方〈あさまらのめでたき春となりにけり〉〈水洟や咳やぢぢばば城を見て〉のような句は、どうだろう。自分にはあまりおもしろくない。
湘子のかっての規範が「詩」や「美」にあったとすれば、これらの句は、その規範をいったん外す作業から生まれた。つまり虚子にならって「非-美」「非-詩」の領域から、何かいいものを汲み上げようという目論見である。
しかし、湘子のこの時期の代表作と目される句の多くが、穏当なユーモア俳句であることは、どう考えればいいのだろう。
(と全部読まずに書くのも不公平なので、一日十句の時代の湘子の句集『一個』『去来の花』『黒』を、読んでいます。一冊ほぼ千句収録という量にめげつつ…。まだ『一個』の途中なんですが、〈いざ行かめ甚平を着てそこらまで〉なんていうゆるゆるの句もあれば、〈日のあたる方の障子や秋の暮〉なんて古風な句も、十句の開始前ですが〈意のまゝに且つ出鱈目に毛蟲焼く〉〈阿鼻もなく叫喚もなし毛蟲焼く〉なんて句もあって、大変おもしろい。「ただごと」のスゴイのがないか、今、探索中です)
「詩」や「美」の規範に対する緊張を解除した「ただごと」が、「ユーモア」や「生活感」の表現にとどまるのだとしたら(湘子の「一日十句」が全てそうだったとは言わないが)、それは当の規範と同じかそれ以上に、常識的で退屈である。
「ただごと」は「詩」や「美」を棄却するのではなく、それを迂回する。もし迂回した先に「ユーモア」や「生活感」があれば、それもなるべく迂回する。およそ表現の効果・目的と見なされるものをことごとく迂回した先にあるもの、あるいは偶然「かすりもしなかった」ものが、「ただごと」である。
(下)に続く。
≫ただごとについて(上)
≫ただごとについて(下)
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2 comments:
泉は、有名すぎて、テレテレです。
今度、ヨーゼフ ボイス シリーズを
UPしてくださいませんか?
無理なら無視でかまいません。
匿名様
>泉は、有名すぎて、
アートではなくて、俳句の話なんで、あしからずご了承下さいませ。
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