毎週日曜日更新のウェブマガジン。俳句にまつわる諸々の事柄。photo by Tenki SAIBARA
中村安伸句 短評 この30句、どこが面白かったかと言えば、言葉を選び出す動機が、ひじょうに感覚的であること。 水、雨、灰。このような形ないものへ着目する視線がおのずからものであること、それが、これも嗜好なのだと思いますが、「白」という適切な色を得てしだいにあるイメージ世界を形作る、表現へ向かうこの閑かな動きに曳かれました。 まず、「白」を感じさせる句を抜いてみます。「白」がつかわれてなくても、冷たくて硬質な色合いで、その色がイメージできます。 水は水に欲情したる涼しさよ いなづまの刺青を負ふ人魚姫 時を告げさうな沼なり秋彼岸 ひとりだけ菌のやうに白く居り 春浅き果実は炭に祖父は灰に 空白を祖父は視てをり春の雨 農場へグラニュー糖のごと白雨 からだを覆ふ砂の体や夏休 石室を石棺を抱き山滴る 《水は水に》抄 中村安伸 春浅き果実は炭に祖父は灰に この句はとくに秀句ではないでしょうか?沢山言葉が出ているのに、亡くなった祖父への哀悼に収斂しています。 いなづまの刺青を負ふ人魚姫 いなづまの鋭角的な青銀の蛍光色、それと人魚姫の肌の白さを想像させてちょっとぞくっと来ます。 からだを覆ふ砂の体や夏休はだかになると、「からだ」自体が自身の存在に不安をかんじてしまう。身体と言う意味での「体」も、砂という表層(皮膚)をまとってかろうじて人としての日常感覚を取り戻す。日常のなかの違和感や、非日常感覚とのの不思議な共存をうまく組み合わせて、身体のドラマをつくっている、しかもあくまで夏休みの海水浴風景です。これは秀逸だと思いました。不定型な事象と、くっきりした個体をとりあわせてゆき、そこへ白をそれも幾つかのグラデーションをつくりながら刷いてゆく。一定のリズムで占めると、見捨てがたい心象風景が現れてくるようです。個々をみてゆくと、技術的にすごくうまいものと、取り合わせなど必ずしもうまいとはいえない句が混在しています。でも、かりに《白と水と石》とでもタイトルをつくって、全体をそのようなモチーフで構成するイメージ吟として再構成すれば、私などには、製作の意図がや成り行きがよくつたわッたような気がします、あくまで私の好みにしたがった鑑賞ですけれど、好い句をつくられるなあ、といつも拝見しています。(これは、いつかのミクシィ日記欄のコメント断片をもとにしています)
吟さまお世話になっております。詳細なご高評をいただき、感謝しております。色彩的なイメージなど、自分としてはほとんど意識していなかった流れのようなものを汲み取っていただき、自作に対する新鮮な視点を与えていただきました。また、>>個々をみてゆくと、技術的にすごくうまいものと、取り合わせなど必ずしもうまいとはいえない句が混在しています。という部分は、私が目をそらしてきた弱点を明確に指摘していただいたようで、非常に参考になります。取り合わせに関しては思い当たるふしがあります。こうしたバラつきをなくしていくよう努力する必要がありますね。必ずしも賞のため、というわけではなく。
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2 comments:
中村安伸句 短評
この30句、どこが面白かったかと言えば、言葉を選び出す動機が、ひじょうに感覚的であること。
水、雨、灰。このような形ないものへ着目する視線がおのずからものであること、それが、これも嗜好なのだと思いますが、「白」という適切な色を得てしだいにあるイメージ世界を形作る、表現へ向かうこの閑かな動きに曳かれました。
まず、「白」を感じさせる句を抜いてみます。「白」がつかわれてなくても、冷たくて硬質な色合いで、その色がイメージできます。
水は水に欲情したる涼しさよ
いなづまの刺青を負ふ人魚姫
時を告げさうな沼なり秋彼岸
ひとりだけ菌のやうに白く居り
春浅き果実は炭に祖父は灰に
空白を祖父は視てをり春の雨
農場へグラニュー糖のごと白雨
からだを覆ふ砂の体や夏休
石室を石棺を抱き山滴る
《水は水に》抄 中村安伸
春浅き果実は炭に祖父は灰に
この句はとくに秀句ではないでしょうか?
沢山言葉が出ているのに、亡くなった祖父への哀悼に収斂しています。
いなづまの刺青を負ふ人魚姫
いなづまの鋭角的な青銀の蛍光色、それと人魚姫の肌の白さを想像させてちょっとぞくっと来ます。
からだを覆ふ砂の体や夏休
はだかになると、「からだ」自体が自身の存在に不安をかんじてしまう。身体と言う意味での「体」も、砂という表層(皮膚)をまとってかろうじて人としての日常感覚を取り戻す。日常のなかの違和感や、非日常感覚とのの不思議な共存をうまく組み合わせて、身体のドラマをつくっている、しかもあくまで夏休みの海水浴風景です。これは秀逸だと思いました。
不定型な事象と、くっきりした個体をとりあわせてゆき、そこへ白をそれも幾つかのグラデーションをつくりながら刷いてゆく。一定のリズムで占めると、見捨てがたい心象風景が現れてくるようです。
個々をみてゆくと、技術的にすごくうまいものと、取り合わせなど必ずしもうまいとはいえない句が混在しています。でも、かりに《白と水と石》とでもタイトルをつくって、全体をそのようなモチーフで構成するイメージ吟として再構成すれば、私などには、製作の意図がや成り行きがよくつたわッたような気がします、あくまで私の好みにしたがった鑑賞ですけれど、好い句をつくられるなあ、といつも拝見しています。
(これは、いつかのミクシィ日記欄のコメント断片をもとにしています)
吟さま
お世話になっております。
詳細なご高評をいただき、感謝しております。
色彩的なイメージなど、自分としてはほとんど意識していなかった流れのようなものを汲み取っていただき、自作に対する新鮮な視点を与
えていただきました。
また、
>>個々をみてゆくと、技術的にすごくうまいものと、取り合わせなど必ずしもうまいとはいえない句が混在しています。
という部分は、私が目をそらしてきた弱点を明確に指摘していただいたようで、非常に参考になります。
取り合わせに関しては思い当たるふしがあります。
こうしたバラつきをなくしていくよう努力する必要がありますね。必ずしも賞のため、というわけではなく。
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