2010-07-04

【週俳6月の俳句を読む】鈴木茂雄

【週俳6月の俳句を読む】
ポエジー・スナップショット ……鈴木茂雄


ひやしあめをんなあるじの狐がほ  鈴木不意

おそらく即興の作と思われるが、上手い。(ほんとうは「うまいなあ。」とつぶやいた。)あるいは即興の句と思わせる手練の作と言ったほうがいいのかも知れない。読者のわたしをしてそう思わせるのは、いささかのケレンも感じさせないものが、この作品にはあるからだろう。それにしても一句を評するのに「上手い」はないだろう。自分でもそう思う。が、揚句は上手いというほかに適切な言葉が見当たらなかった。それほど俳諧的興趣に富んでいて、誤解をおそれずに言えば批評の隙がない。たんにコトバを再構築した代物ではないからだろう。とりあえずはかつて俳句は捻ると言っていた時代の上手さとでも言っておこう。

上句「ひやしあめ」とそれに続く「をんなあるじ」との間にある切れ字的空間の存在が、夜店などの出店でひやしあめを売っている光景を現出させる。もちろん主人公はこの句の作者である。お金を払ってひやしあめを買い、すぐさまひやしあめの入ったそのコップを口元に持っていく。そのときコップの中に、その店の「をんなあるじ」が見えたのだ。その顔が「狐がほ」だと把握するが、それは一瞬のこと。上手いと思わせたのはほかでもない、「ひやしあめ」と「をんなあるじの狐がほ」のその取り合わせが醸し出す、いわく言いがたい妙にあったのだと思い至る。

一句全体を平仮名表記で綴ったのは、コップの中の「ひやしあめ」を表現するためだ。その平仮名表記の中に漢字「狐」を嵌め込んで、あの稲荷神社の鳥居の色を彷彿とさせる真赤なルージュの「をんなあるじ」の「狐がほ」を巧みに色濃く浮かび上がらせるのに成功している。たった一杯の「ひやしあめ」という小道具に、場末の店の「をんなあるじ」の妖しい身形風貌を見事に語らせている。「あぢさゐの色のはじめの浅草寺」という作品もまたそうである。作者はたぶん、そっとつぶやいただけなのだろう、「あぢさゐの色のはじめの」と。だが、よく見ると、そのコトバはなんと「浅草寺」に掛かる枕詞になっているではないか。(うまいなあ。)



重さとは水のまはりの金魚鉢  茅根知子


重力を扱う物理学にもポエジーがあるんだ。そう思わせる一句がここにある。日記とも違う、エッセイでもない。強いて言うなら、ポエジー・スナップショット。俳句形式はこういうシーンに出会うことによってその詩的効力をさらに発揮する。そして大胆に断定する。「重さとは」と。

持ち上げると、なんて重たい金魚鉢なんだろうと思ったが、それは水が入っているせいだからだろうと。だが実際は、水を抜いても重たい「金魚鉢」という存在に気がつく。そのことを「水のまはりの」と表現したのは言い得て妙、上手い(なあ)。




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