【週俳10月の俳句を読む】
廣島屋
【余計な】タイトル考【お世話】
雑誌(結社誌・同人誌を含む)を読むとき、あのひとかたまりになった俳句たちの冒頭に、作者名よりも上につけられる「タイトル」が気になります。あれは一体全体どんな役割を持っているのか(そして一体誰がいつ始めたのか)。それは今のところ「謎」のまま俳句小僧である私の自由研究のテーマになっていますが、「タイトルのつけ方」についてはいくつかパターンがあるのではないか、とにらんでいます。きらり。
A はっきりと連作を志向して詠まれている作品のタイトルであり、それも含めてひとつの創作物としてつけた。
B 特別それぞれの句に関係はないけれど、何となくつながっているような風に読んでくれたなあ、なんて思ってそれらしくつけた。
C 単に詠んだ時期が同じだけで特に関連はなく、中で一番好きな句(一番出来がよいと思われる句)から言葉をとった。
D 掲載誌の編集の人に一任したもので、作者は感知していない。
細かいことをいえば「編集の人が一群の句に対してBやCのように考えてつけた」とかもあるでしょうが、まあ概ねこの4種類に分けられるか、と思います。あと、俳句の中に出てくる言葉を使うか、まるで使わないかといったこともそれぞれのパターンの中で分かれますね。
で、「週刊俳句」10月分の俳句作品(投稿作品も含む)のタイトルについて考えてみました。
考えるだけでなく、私が考えた「もっとよいタイトル」を提案してみようと思います。余計なお世話以外のナニモノでもありませんが、ご笑覧ください。ちなみに、私が別のタイトルをつけるさいには、一応Bの立場で、なるべく俳句の中の言葉を使って考えてみました。
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ひと晩に三つの夢を見し眠り 村田篠
牛鳴いて柘榴あかあかと実る
ざらざらの壁に吊られてゐる楽器
「メキシコ雑詠」と副題のついたこの10句、副題をとってしまえば海外詠とわかる句はないように思います(「驟雨」の句が大統領府という言葉で日本ではないことを表していますが)。つまり普通の吟行句だと思えば、海外経験のまるでない私にも怖くはありません。
とても絵画的な、景がぱっと脳内に立ち上がるような句が多いので、「棘」という、非常にシンプルなタイトルではなく、ここはどうでしょう、
「三つの夢」
というタイトルは? 10句全部が入れ子のようになってどこまで現実でどこから夢なのか、くらくらと眩暈がしてきます。
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同じ号のやはり同じ海外詠「ムーミンは」の場合、前書きのある句もあり、なかなか手ごわいです。
黄落は車窓過ぎゆくまだ黄色 村越敦
クローネ硬貨穴開き霧の旧市街
「黄落」の句は「まだ」という言葉で旅に出た興奮もおさまってきた(そしてちょっと飽きてきた)作者の様子が、そして「クローネ硬貨」の句は、あえて字余りにしてもちゃんと「硬貨」といいたかった作者の気持ちがごんごんこちらに伝わってきます。
というところで私が考えたタイトルは、俳句ではなく前書きからとってみました。ずばり、
「フィンランド人に怒られる」
です。長いですかね?
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固まって事件の庭の葉鶏頭 清水哲男
残る虫闇からぬっと大男
天高し啼いて血を吐く鳥の留守
月天心ひとは電車に走り込む
タイトルに使われた「引退」の句よりも3句目の「事件の庭」の句。これを目にした途端に残りの句すべてが「事件の庭」というフィルターを通してしか読めなくなりました。事件の庭から逃げ去ったのは「大男」であり、事件の庭には「血を吐」いて倒れている誰かがいる。そして大男は月に見られながら電車に駆け込むのであります(手にしているのは「午後の紅茶」)。
ですからもちろん、提案したいタイトルは「事件の庭」です。「増俳」の清水さんにこうした提案をするなんて畏れ多いことではありますが……。
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エノコロニクウネルトコロスムトコロ 杉山久子
チェリストを映してはるか露の玉
ひらかなだけ、カタカナだけ、漢字だけという表記の句はややもすると狙いすぎな印象を受けます。でもこの「エノコロ」の句は後半の落語「寿限無」の文句を使っているせいか、するするすると読み下していって、内容などほとんどないことをうっかり見落としてるのに何だかいい心持ちにさせてくれます。山下洋輔トリオの「寿限無」(坂田明の歌による)を思い出しました。
やはりここは、対象の大きさの対比が素敵な「露の玉」の句よりも「エノコロ」の句から「クウネルトコロスムトコロ」をタイトルにした方がよいのでは? とおせっかいに考えました。
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その他の作品たち、石井浩美「ポスター」、くんじろう「ちょいとそこまで」、投稿作品・俳句飯「ぷくぷくと」、高橋透水「元の水にあらず」については、うまくはまったタイトルだと思いました。気になった句は以下の通りです。
茶立虫けふの余白にとどまれり 石井浩美
弟よ水道代を貸してくれ くんじろう
十五夜を君二十二世紀までもつか 俳句飯
俳人の脚の細きが枯野行く 高橋透水
まあそれにしても自分を顧みず他人様の作品にあれこれ口をだすなんて失礼なことであります。でも雑誌媒体でのタイトルって句集などにまとまったときには消えてしまうものが多いのではないでしょうか(まれに句集のタイトルに昇格するものもあるでしょうが)。それを思うと何と儚い言葉たち。公共の場でなければこれからも「この言葉のが絶対いいっ! いいっ!」と無駄に叫び続けて行きたいと思います。心の中で。
■村田 篠 棘 メキシコ雑詠 10句 ≫読む
■村越 敦 ムーミンは 北欧雑詠 10句 ≫読む
■清水哲男 引 退 10句 ≫読む
■石井浩美 ポスター 10句 ≫読む
■くんじろう ちょいとそこまで 10句 ≫読む
■杉山久子 露の玉 10句 ≫読む
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2010-11-07
【週俳10月の俳句を読む】廣島屋 【余計な】タイトル考【お世話】
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3 comments:
「もっとよいタイトル」という部分で、作者のみなさんを敵にまわしたかも(笑
それはともかく「D」の「編集の人に一任」はほとんど皆無といっていいのではないでしょうか。同人誌・結社誌にかかわらず。
ちなみに本誌【俳句を読む】のタイトルは、寄稿者が付けてくださっている場合はほとんどそれを活かしてます。
いただいた原稿にタイトルが付いていないときは、更新当番(今週号なら私)が付けさせていただいています(文中から語を拾うのが原則)。
天気さま
あ、そうなんですか? 私最初に同人誌に載せてもらったときにあの「タイトル」というのがわからなくて句だけ送ったらつけてくれてました。それ以降、タイトルつけて送ったことありませんです。だからよくあるのかな、と(編集の方に大変なご迷惑をかけていたのですね。反省)。
またひとつ蒙を啓くことができました。ありがとうございます。
「編集の方」は、あんがい、楽しんでいらしゃるかも、です。廣島屋さんのにタイトル付けるのを。
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