〔週俳9月の俳句を読む〕
ちよいと居待ちよ
菊田一平
新秋の蛇口に映る顔長し 藤崎幸恵
この句を読みながら絵本作家の長新太さんのことが頭に浮かんできた。ただたんに下五の「顔長し」と長新太さんの苗字の「長」つながりからだろうけれども、そういえば写真で見る長新太さんの顔もとっても長かった。それはそれとして、この蛇口に映るのはきっと藤崎さん本人の顔に違いない。なにかの瞬間に蛇口に映る自分の顔に気がついた。近づくと歪みながら長く伸びる。あれれ!こんなに長かったかなと思いながらも二度、三度と蛇口に顔を近づけてみる。そんな行為自体がとてもユーモラスで俳味がある。
新涼の柵より遠く駝鳥二羽 岡田由季
恥ずかしい話だがこの齢まで本物の駝鳥を見たことがない。そういえばいつか富士の裾野の駝鳥の放し飼いを土曜の朝のTVの旅番組が放送していた。目がくりくりっとしてやたらと鼻の穴が大きい。往年のバイプレイヤーの藤原鎌足か詩人の金子光晴に似ていると思った。その駝鳥が群れを離れて柵の遠くにいる。中七の「柵より遠く」が景に奥域を与えると同時に駝鳥の所在無さを見事に表している。云うまでもなくこの所在無さは作者のこころの在りようでもある。「駝鳥二羽」の「二羽」が泣かせる。
あら今宵ちよいと居待よ俥屋さん 佐山哲郎
言わずと知れた美空ひばりの「車屋さん」の歌詞の本歌取りだ。作詞・作曲は米山正夫。もう亡くなって20数年たっているので米山正夫といっても知らないひとが多いけれど、「リンゴ追分」「津軽のふるさと」「長崎の蝶々さん」などひばりの初期の曲をずいぶん手がけた。今も流れているヤンマーのCM「ヤン坊マー坊の天気予報」の作曲も米山正夫だ。ちなみに「車屋さん」は、「ちょいとお待ちよ車屋さん お前見込んでたのみがござんすこの手紙・・・」と、のりのいいアップテンポで入って途中でぐっと渋みを効かせる粋でいなせないい曲だ。「ちょいとお待ちよ」が「ちよいと居待ちよ」とさりげない本歌取りになった。そういえば先日出版された佐山さんの『娑婆娑婆』は評判らしい。すでに3刷まで行ったと聞く。「逝く春を交尾の人と惜しみける」にははまった。
菜間引きし手と手に手と手子規暇な 井口吾郎
いったいこのひとの頭の中はどんな構造になっているのだろう。普通に詠んでさえそれこそ類句類想駄句の山。イチローでさえ10本に3本か4本しかヒットを打てないんだぜ。松井にいたっては3本。おかど違いの日本人大リーガーの打率を引き合いにして自分をなぐさめているぼくとしては、いとも涼しく安打製造機のように回文俳句をものする技にはひたすら脱帽だ。もはや人智を超えている。「手と手に手と手」なんていわれちゃあ子規も黙るしかない。間引いた菜っ葉を後ろ手にして「暇じゃなかよ」とうつむいて顔を赤らめるしかない。
入らぬと決めたる墓を洗ひけり 嵯峨根鈴子
3月の大震災で集落が崩壊して何もかも流されてしまった。先祖の位牌も長押に飾っていた祖父や祖母の遺影もなにひとつ見つからなかった。菩提寺に累代の墓がぽつんとひとつ残ったのみ。繋がっていると思っていたふるさとに繋がるものがものの見事に無くなった。鴉の糞がこびりついた墓石を洗いながら柄にもなくしみじみとしていると、おなじ思いで墓を洗っているひとたちが墓地のそこここにいた。嵯峨根さんの句の趣旨とはちょっとずれた読みになってしまったが句に触発されてふっとこの夏のお盆の帰省のことを思い出してしまった。
わたあめのごとき眠気よ芒原 赤羽根めぐみ
この夏は日本が亜熱帯になったんじゃないかと思うほどの暑さが続いてほとんどのひとが寝不足になってしまった。秋になってもおなじでこれじゃ冬なんて来ないんじゃないかと思っていたら、お彼岸と同時にきっぱりと秋が来た。子規のお母さんの言をまつまでもなく「暑さ寒さも彼岸まで」は蓋し名言。春眠ならぬ秋眠も暁を覚えずということらしい。赤羽根さんの「わたあめのごとき眠気」はとても上手い。「芒原」との取り合わせもなるほどとうならせる。
第228号2011年9月4日
■藤崎幸恵 天の川 10句 ≫読む
第230号2011年9月18日
■岡田由季 役 目 10句 ≫読む
■佐山哲郎 月姿態連絡乞ふ 10句 ≫読む
■井口吾郎 回文子規十一句 ≫読む
第231号2011年9月25日
■嵯峨根鈴子 死 角 10句 ≫読む
■赤羽根めぐみ 猫になる 10句 ≫読む
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2011-10-09
〔週俳9月の俳句を読む〕菊田一平
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