〔週俳10月の俳句を読む〕
失われた時
五十嵐義知
ときをりの風のかたさよ吾亦紅 日下野由季
茎の先に赤い楕円形の花。花とはいいがたいような形ではあるものの、花びらがないだけで、それは花である。細い茎や楕円形の花は風を受けても、そよぐというよりはメトロノームの振り子のように横に揺れている印象が強い。強く吹いた風が吾亦紅を揺らしたときに、作者は風にかたさを感じたのだろう。それは吾亦紅の硬く締まった花の塊がゆっくりと左右に揺れているところに、強風が吹き、突然花を大きく揺らしたからである。まるで形のある風がゴツと花にあたったかのように。
正月や遠路はろばろ来た帽子 かまちよしろう
この句がそうとは限らないのだが、「はろばろ来た帽子」から連想して・・・、中折れ帽に青色のシャツ、駱駝の腹巻、格子柄の背広に大きなトランク、雪駄と言えば寅さんである。正月の港か、山間の温泉地か、葛飾柴又から遠路はるばるやってきたのである。その逆で、これは柴又に戻ってきたときとすると、団子屋の店先をうろうろする姿が目に浮かんでくる。誰かに声を掛けられるまで店に入ろうとしない、入れない、そんな照れくささや気恥ずかしさ、寂しさは寅さんの真骨頂である。
帰るのは人住むところ月鈴子 山口優夢
コンクリートや大きな石を裏返すと思いもかけない鈴虫の大群に出くわすことがある。瓦礫の中や積まれた廃材の下、かつて人の住んでいたが今は草むらとなったところにも多くの鈴虫がいる。鈴虫が鳴き始めるころ、帰ってくる人がいた。鈴虫の鳴き声を聞いた人は、自分だけではなく今鳴いている鈴虫も人の住むところに帰ってきたと思ったのではないだろうか。人が住むところというのは、灯りがともる家があったり、人の声が聞こえたりするところであり、そこに行くことで他者の存在を感じられるところである。鈴虫の鳴き声を聞いたであろう人が住んでいた場所は、瓦礫が片付けられ荒野となっているかもしれないが、人が住むところとなる前に鈴虫はすでに帰ってきているのだろう。
■日下野由季 森の日 10句 ≫読む
■かまちよしろう 20句 ≫読む
■山口優夢 海 10句 ≫読む
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2011-11-06
〔週俳10月の俳句を読む〕五十嵐義知
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