【週俳6月の俳句を読む】
無くなってしまうもの
田中志保里
歴史が好きだ。その中でも特に、「時代が変わるとき」に惹かれる。時代が変わる、ということは、今までのものが滅び、無くなり、新しいものがそれに代わるということだ。
平氏、源義経、新選組。変わりゆく時代のなかで、「無くなってしまうもの」のことをよく考える。
夏草や兵どもが夢の跡 松尾芭蕉
小学生のときに読んだ、漫画版平家物語の最後のページに載っていた句だ。一通り物語を読み終えたあとに、この句はすっとわたしの中に入ってきた。どこをどう気に入ったのかは覚えてないが、小学生のわたしは名刺サイズの紙にこの句を書き写し、ランドセルのクリアポケットに入れていた。
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錆びてゐるパイナップルの缶詰が 北川あい沙
錆びた缶と聞いて真っ先に思い出したのは、子どものころに遊んだ缶ぽっくりだ。紐を通した空き缶に足を乗せて歩くだけの遊びである。壊れるまで遊べるのも、捨てる予定だった缶だからこそできたものだった。ただ、缶が錆びつくまで飽きずに遊ぶようなものでもなかった気がする。焦げたような茶色の錆びに、べこべこに凹んだ缶。それらはもうわたしの記憶の中にしかないけれど、いつまでも、甘酸っぱいシロップの匂いを漂わせている。
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はつ夏の大学前の製本屋 佐川盟子
大学前の文房具屋、たばこ店、毎日自転車で通る道にあるのに、わたしは未だそれらの店に人の気配があるところを見たことがない。けれども、そこには確かに人がいたことがあったのだろうし、もしかすると今もいるのかもしれない。そう思いながら、立ち寄ることもなく、わたしは毎朝通り過ぎていく。
初夏の日差しが大学生の白いシャツや明るい髪色を跳ね返して光る中、この製本屋も同じように、静かにそこにあるのだろう。
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浴衣着てどの町からもはるかなり 平山雄一
明かりの灯った家々が遠くに見える。打ちあがる花火の音が遠くに聞こえる。汗ばんだ肌に浴衣の生地や髪がまとわりつくのも気にならないくらい、別世界だと思った。花火が打ちあがるたびに、彼女(この句にいるのは女性だと思っている)の輪郭が浮かび上がる。自分が住んでいる町と、そこに住む人々と、確かに同じ時代にいるはずなのに、それらは段々と自分から離れていっているように見えた。
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椅子の背に掛かる白シャツ窓は朝 神野紗希
窓から差し込む日差しで「朝だ」と感じるのではなく、窓を見て「朝だ」と感じる。この句を読んで初めて気づいたが、前者よりも後者のほうが自然に思える。「窓は朝」という言葉は、わたしの感覚にとても近い。
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わたしは歴史が好きだけれど、その中でも幕末、特に新選組については深い思い入れがある。「武士」という、人としての生き方のひとつが滅んでいく時代に最後まで戦い続けた彼らは、一体何をどう感じていたのだろう。
わたしがそれを知る術はないが、ふとしたときに考え込んでしまう。淘汰されていくもの、忘れ去られていくもの、離れていってしまうもの。それらを一番うまく掬いあげることのできる方法が、わたしにとっての俳句だったらいいな、と思う。
いくつもの時代を繰り返して、朝は来る。明日はお気に入りのシャツを着て、学校に行こう。
第267号
■佐川盟子 Tシャツ 10句 ≫読む
■藤田哲史 緑/R 10句 ≫読む
第268号
■北川あい沙 うつ伏せ 10句 ≫読む
第269号
■神野紗希 忘れろ 10句 ≫読む
第270号
■平山雄一 火事の匂ひ 10句 ≫読む
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2012-07-08
【週俳6月の俳句を読む】無くなってしまうもの 田中志保里
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