【週俳7月の俳句を読む】
巣箱のように空き家のように
三島ゆかり
生駒大祐の句の世界は、整然と片付けられ、巣箱か空き家のようにしずかでさびしくかなしい。空間もパーツも静謐なうつくしさをたたえている。
川のある町のさびしき花菜風 生駒大祐
みごとな空間把握による断定である。どんな川か、どんな町かはなにも説明していない。「川のある町」の、「さびしき花菜風」なのである。ただ空間があり、ただ明るい。このふたつをつなぐ「の」がまた、簡素でよい。これを「に」とか「を」に変えてしまうと、通過点のようになって「川のある町」が広がりを失ってしまう。簡素さはぎりぎりの配慮に支えられているのである。
考へたすゑに巣箱へ入りけり 同
これを読んで「鳥の巣に鳥が入つてゆくところ 波多野爽波」を思い出される方は多いだろう。生駒大祐の句の方は、「鳥の巣」ではなく「巣箱」である。屁理屈のようだが、まだ「鳥の」ではないのである。人間が作って設置した空っぽの巣箱に、安全性を点検しながら初めて入居する鳥。「考へたすゑに」が絶妙な措辞である。そして「巣箱」という簡素な道具立てが、これまた実に生駒大祐的世界を感じる。
盛りゐて空き家の如き桜かな 同
満開の桜に、家のような空間を捉え、そして空き家のようなさびしさを感じている。桜を詠んで「空き家の如き」と捉えた句は見たことがない。
ががんぼや片づけて本立ち上がる 同
「片づけて本立ち上がる」に対して斡旋された「ががんぼや」の微妙さはどうだろう。整然と片付けられた状態は、ががんぼのように簡素で壊れやすく、はかない。
黒板に描く簡単な熱帯魚 同
「黒板に描く簡単な熱帯魚」は極限まで簡素であり、この「熱帯魚」は季語ではないと怒り出す人もいるかも知れない。美意識と諧謔が一体となった味わいがある。
明後日のこと貼られある冷蔵庫 同
「冷蔵庫」だけに、実にクールに計画が管理されている感がある。未来の予定も過去の予定も貼ってあって忙しいことをアピールするだけの状態となっている混沌とした冷蔵庫の人も知っているが、生駒大祐の句の世界はそうではない。
松毬や海より川の生え出てゐ 同
独特の空間把握により、地形の不思議を詠んでいる。「松毬」という乾きものの配合も絶妙である。
くらしてふしづかな言葉水澄めり 同
ベタというかナマというか、普通の人が「くらしてふしづかな言葉」なんて詠んだらたちどころに駄目駄目になってしまうものであるが、生駒大祐の場合、他の句との配列の中に置かれると、ひどく納得してしまう。
鹿の鳴きかはす扉のありにけり 同
景が立たないよう「ありにけり」によってフィルタリングし、「扉」に一点集中させている。「扉」のこちら側にはただ音のない空間が広がっている。
元日の眠りにつかふ真昼かな 同
要するに寝正月なのだが、これはこれで淑気ともいうべき空間の浪費をゴージャスに捉えている。
第271号
■栗山 心 下北澤驛前食品市場 10句 ≫読む
第272号
■生駒大祐 水を飲む 100句(西原天気撰) ≫読む
第274号
■小池康生 光(かげ) 10句 ≫読む
第275号
■御中虫 もようがえ 10句 ≫読む
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2012-08-12
【週俳7月の俳句を読む】巣箱のように空き家のように 三島ゆかり
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