【週俳7月の俳句を読む】
シモキタ――栗山心「下北澤驛前食品市場」を読む
太田うさぎ
タイトルが「下北澤驛前食品市場」とあるので、どの句の背景にも私の知っている限りでの「シモキタ」を重ね合わせながら読んだ。今では滅多に足を運ぶことのない下北沢だが、若い頃にはわざわざこの町まで美容院に通ったり、芝居を見に来たりしていた。
数か月前、立て続けに落語と芝居のために訪れたのだが、町の雰囲気が殆ど変わっていないことに軽い感心と安心と驚きを覚えた。勿論どの繁華街もそう様変わりするものではないが、下北沢の持つ若者文化とご近所感が融合した一種独特の空気が何十年も同じというのはやはり不思議だ。
そんな町も時代の波に呑まれるのだろうか、落語の後に入った小さなお好み焼き屋から巨大な養生幕が見えた。高層の商業ビルが建つらしい。十句の舞台となっている駅前食品市場のような戦後まもない時代を伝える場所は、老朽化という名の下にこれから取り壊され更新されていくのだろう。失われる前にこの場所を記録しておきたい、という思いが作者のなかにあったのかな、と想像する。
言葉もまた人の脳や心に鮮やかな画像を創り出すものだ。
西暦で生年を言ふアロハシャツ 栗山 心
初め、「驛前食品市場」という場所柄おじいさんを詠んだのかと思った。アロハシャツを着こなし、年号でなく西暦で生れ年を言うモダンぶりを捉えたのだと。それにしても、なぜそのようなことに着眼したのだろう、と考えたときにふと「人生の半分昭和生ビール」の句が目に入った。「半分昭和」というのは感慨か主張か、ともあれ作者がそこに拘ったからにはこのアロハシャツは老人ではなさそうだ。生年は年号で、が常識と思う人にとっては当たり前に西暦を使われたら違和感があるだろう。別にフツーに西暦すけど?な涼しげなアロハシャツ。まあ、老人でも若者でもいいか。アロハシャツがいい味を出している。
森茉莉はチヨコレエト好き朝曇 同
だから何だという気がしなくもなく、朝曇の取り合わせは些か唐突の感がなくもないのだが、読み直しているとだんだん朝曇は森茉莉に相応しいように思えてくる。今日は何に腹を立てているのやら、などと含み笑いがこみあげてくる。この作家らしい耽美的な季語を斡旋されていたら逆に森茉莉の存在は希薄になってしまったかもしれない。それにしても彼女には下北沢が妙に似合う。チョコレート合戦なら、鎌倉に立子あり、下北沢に茉莉ありということころか。
夏座布団二枚重ぬるマチネかな 同
芝居を滅多に見ないので海外小説からのイメージ先行なのだと思うが、マチネーというと何とも明るく優雅な印象を抱く。お洒落をして出かけ、劇場を出たらホテルのバーでマティーニでも一杯、とか。ところが、このマチネは侘しい。二枚は贅沢どころか、それでもまだ床の硬さが尻に伝わってきそうだ。と書いてしまったが、今はどんな小劇場でもパイプ椅子などが用意されていて、ビニール袋入れた靴を傍らに小さな座布団に膝を抱えて観劇、というスタイルはないのだろうな。侘しいとはいえ、マチネに対し薄い座布団二枚の取り合わせの妙が軽い滑稽味を生んでいる。そして、舞台を見つめる観客の目は大劇場のそれらよりもずっと熱がこもっているかもしれないのだ。
第271号
■栗山 心 下北澤驛前食品市場 10句 ≫読む
第272号
■生駒大祐 水を飲む 100句(西原天気撰) ≫読む
第274号
■小池康生 光(かげ) 10句 ≫読む
第275号
■御中虫 もようがえ 10句 ≫読む
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2012-08-12
【週俳7月の俳句を読む】シモキタ 太田うさぎ
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