【週俳7月の俳句を読む】
刺激
今井肖子
人生の半分昭和生ビール 栗山 心
新卒教師が平成生まれと知って皆でため息をついたのは昨年のこと。なるほど、四十代後半で今年半々か。生ビール、という響きも昭和である。下北澤驛前食品市場は戦後の闇市の名残、下北沢に広い駅前広場はいらない、とずっと思っている周辺住民の一人としてしみじみ読んだが、開発は止まらない。
手の甲にメモある他は素つ裸 小池康生
素っ裸は、裸よりあっけらかんとしており、真っ裸ほど直接的でない気がする。身につけているものを全て取り去って、手の甲に取り残されているメモが目に入る。状況や経緯、誰が裸かはどうでもいいように思う。ひょいと気づいた感とおおらかさに惹かれた。
はつなつのとびらはづしてもようがえ 御中虫
もようがえおえしをとこをおりたたむ
最初と最後のこの二句だけが十七音、仮名遣いの混在にも意図があるのだろう。十句作品を読んで、数年前見た抽象画を思い出した。大きな円形に近い緑のかたまりがどーんと描かれている絵、木にも果実にも臀部にさえ見えるその緑は何だかわからないのだが、惹きつけられた。絵には、物を超えた何かに直接掴まれることがある。この十句にはそんな掴まれ方をした、などと言うつもりはない。むしろ後退った。ただ、なぜあの絵を思い出したんだろう、と不思議である。
ティーバッグ糸に茶の染む椿かな 生駒大祐
四句目、これはまさに他の花でなく椿だな、と思う。
さらに読み進めるが、堅い頭には、言葉も季題もなかなかピンと来ない。そして三十句目、
黒板に描く簡単な熱帯魚 同
熱帯魚は金魚ってことで夏?でも黒板に描いてあっちゃだめでしょ、と誰かに言われそうと思いつつ、簡単な、という言葉と色彩に惹かれる。
三十五句を過ぎたあたりからピンと来始める。慣れて来たのでは多分ないので、作者にとっては喜ばしくはないのかも、と僻みつつ読み進む。
噴水の止む間に見ゆる木立かな 同
明後日のこと貼られある冷蔵庫
七夕を小さな家の中にかな
鶏頭の揺れて大きな家が建つ
夏木立が、夏休みの子供が、庭の鶏頭が見える。そして、
西瓜食ひ終えあけぼの色の皮残る 同
豪快に食われたあとの西瓜の皮が、雅なあけぼの色とは思いがけなく、詩情を感じる。
水飲んで楽しくなりぬ菊の花 同
六十四句目、題が「水を飲む」なので作者の思いがある一句なのだと思うが、どうしても、菊の花、がわからない。考えてはだめですよ、とよく言われるのだが一読して感じられない時は考えるしかなく、申し訳ない気持ちになる。
くらしてふしづかな言葉水澄めり 同
せっかく、水澄む、なのだから、しづかと言わなくてもいいかもしれないが、くらし、という言葉と、水澄む、の響き合いがいい。
投げられし秋扇はづむ畳かな 同
もし目の前で激昂して投げつけられたとすると、はづむ、に作者の冷静な視線を感じてちょっとした物語を思わせる、いずれにしても物寂しい秋扇。
そして終盤、
校庭の静かに消えてゆくや雪 同
雪、と最後にぽつりと置くことによって、雪はひたすら降り続き、風景のありきたり感も気にならない。
いつ来ても叔母さんがゐる歌留多かな 同
思春期の少年のようなむずがゆさが、叔母さん、に表れておもしろい九十八句目。
いずれの方の作品も夏休み惚けの頭を刺激して下さり、感謝。
第271号
■栗山 心 下北澤驛前食品市場 10句 ≫読む
第272号
■生駒大祐 水を飲む 100句(西原天気撰) ≫読む
第274号
■小池康生 光(かげ) 10句 ≫読む
第275号
■御中虫 もようがえ 10句 ≫読む
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2012-08-12
【週俳7月の俳句を読む】刺激 今井肖子
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