まだまだ虫ますね
解説「俳風昆虫記・夏の思ひ出篇」
近 恵
すっとぼけている。一句目からこれだ。
俳諧は蠅蠅蚊蚊蚊ふと涙
1981年、エアゾール式殺虫剤『キンチョール(大日本除虫菊株式会社)』のCMで、郷ひろみは「ハエハエカカカ、キンチョール!」と叫び、一世を風靡した。あれから早30年、若い方はご存じないだろう。「ハエハエカカカ」は既に懐かしの響きと思いきや、この生きのよさ、調子のよさ。「俳諧」と「蠅蠅蚊蚊蚊」の絶妙な頭韻の踏み具合もうまく出来ている。「ふと涙」で落とされたと思ったら、すでにこの俳風昆虫記の世界に取り込まれているのだ。
天気さんの俳句は大概心地いい響きを持っている。程よくふざけていて、程よくウィットに富んでいて、気負いをあまり感じさせない。難しい言葉もないし、難しいことも言わない。それでいて、結構緻密に計算されている。昨年上梓された句集『けむり』の帯に八田木枯氏が「あなたの句は、とにかく響きがいいので、私は魅かれるのです」とあるが、まさにその通りである。句会よりも、こういう形でまとまったものを読むと、なおさらそう感じる。
天気さんが作品を発表するときは、寝かせておいた句から出すことも多いとか。当然推敲もするのだろうが、実はこの99句も纏めてから最終形になるまで何度も見直し、かなり推敲している。この99句の最終形が、この稿を書き上げる締め切りの一日前に届くという鬼の所業。つまり天気さんは、いかに心地よく読める作品に仕上げるかに並々ならぬこだわりをもつ人なのである。
一読心地よく見せながら、実はリアルに想像するとグロテスクな光景もさらりとした気配を漂わせている。
つぶされてごきぶりの具に黄の混じる
銀幕に斃れし人よ眼から蛆
木工用ボンドのやうな虫の汁
全体の並びの中にあるとそのグロテスクさが薄まって見えるが、こうやって抜き出すとかなりグロテスクで、想像すると気色悪い。並ばせ方の技が効いている。
敢えてやや意地悪な空気を漂わせるものもある。これは明らかにそうと解りやすい言葉を選んでいるのだろう。特に後半の【祝婚三句】なんて、ちっとも祝わっている気がしない意地の悪さである。しかし、これは裏を返せば何かしらの含羞の表れであるようにも見える。
ちょいと洒落の効いた句も混じっている。このあたりの句を作らせたら天気さんの右に出るものはいないのではないか。
お茶をひく薄翅蜉蝣ふうメイク
テラワロス吐く息すべて黒揚羽
ひしめいて墓碑やら句碑や蟬の尿
程よく抑制が効き、かつ的確にツボを押さえ、作品群の中にあって時折現れるこれらの句は、ただでさえ力を入れずに読んでいる読み手の肩の力を更に抜き取る。冒頭の句もそうだが、実はこういう句に一番計算を尽くしているのではないかと疑っている。
ががんぼのがの抜け落ちてがんぼなる
また蚊柱にからまれてゐる野口
千年惑ふ三葉虫はヌーブラに
かのように、天気さんの句は種別に分けるとバラエティに富んでるが、一貫しているのは響きのよさ。さらりと麻布で素肌をなでられたような心地の良さである。これは天気さんの、人を気持ちよく楽しませたいというサービス精神の表れなのかもしれない。ということで、天気さんの本質は、付かず離れずのサービス精神。だから作品として色んなものを見せてくれるのだ。皆がどこかで気持ちよくなれるように。
最後に、数ある私の好きな句から厳選していくつか。
蜘蛛の囲のきらめきわたる蜘蛛の留守
旗振れど振れど舟虫あつまらず
虫垂はさみしい臓器みなみ吹く
そして、皆さんまた会いましょう的な雰囲気を持つ最後の一句。
いろいろとありましてまた夜明けの蚊
ここで、はたと、この作品群は「夏の思ひ出篇」であったことに気付かされるのだ。なんとも憎い演出。だって次回乞うご期待的空気満々なんですもの。きっと次は秋の虫99句に違いない。
≫西原天気「俳風昆虫記・夏の思ひ出篇」99句
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2012-09-30
まだまだ虫ますね 解説「俳風昆虫記・夏の思ひ出篇」 近恵
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