2012-09-09

松山 巖 インタビュー 震災・原発・都市・言葉・文明【後篇】

松山 巖 インタビュー
震災・原発・都市・言葉・文明 【後篇】

『塵風』第4号(2011年12月)より転載





承前:中篇

承前:前篇








渡邊白泉のギャグ精神がいい

  いちおう俳句の雑誌なんですよね、これ(笑)。俳句、詠まれますか。

松山 冗談みたいのはときどきやりますよ。僕は子規が手紙を俳句で書いたりするの、ああいうの大好きですね。ああいう玩具みたいに使うというのが大好き。

  句集を送られて、読んだりとかは。

松山 いっぱい送られてきますよ(笑)。坪内稔典さんと友達なので稔典一派が大量に送ってくるの。最初のころは「この句がいいですね」って返事していたけど、そう書くと「ありがとうございます。それを選句していただいて」とかまた来ちゃうものだから、止めた(笑)。稔典さんの『船団』で一度、戦後を考えるうえでいつも考える句は何ですかって言われたときにね、渡邊白泉が軍艦で敗戦を迎えたときに詠んだ「新しき猿又ほしや百日紅」と答えた。あれ猿又じゃないとダメなのよ。百日紅だから、駄洒落みたいなもんだから。大好きなの。

  「戦争が廊下の奥に立つていた」の方にはいかないんですか。

松山 もちろん好きですよ。「銃後といふ不思議な町を丘で見た」「憲兵の前で滑つてころんぢやつた」とかね。でも、戦後ということがあったから、そこから戦後が始まったなと思ったときに、白泉って人の諧謔、嗜虐、ギャグの世界みたいなの、ユーモアがあっていいじゃないですか。戦前あんなに批判的で、京大事件で捕まったりしたけど、あのギャグ精神、いいじゃないですか。

  あの句を松山さんが取るってよく分かりますね。

松山 ちゃんとした句も好きだけど(笑)、ちゃんとした句を思い付かない(笑)。

  猿又の句は身についた実感があるでしょ。それがあって、駄洒落っておっしゃいましたけど、それもイコノロジー的と言うか。

松山 つまり言葉遊びとか、パロディとか大好きなんですよ。

  実感と言葉遊びがうまく融合した句ってあんまりないんですよね。

松山 相当気持ちに余裕がないとそんなもの書けませんよ。猿又は名句ですよ。「ほしや」っていうのが、干したいことと欲しいことを二つ掛けてるじゃない。夏だから、あの百日紅の紅い花が咲くわけですよ。いいなァ。白泉って変な人ですよ。白泉の句集が欲しいんだけど持ってないの。三鬼なんかもいいと思うけどね。やっぱり前衛俳句〔初出原文ママ〕の面白さ。言わなきゃいけないことは言うっていうのは正直なんだ。恥ずかしいんだけど恥ずかしくないみたいな。子規の「糸瓜云々」なんて句は僕にはいいかどうか分かんないけどさ。蕪村は分かりやすいよ。絵みたいなもんだから。絵描きだしね。情景が浮かぶように作っているから。でも、いいって言えばその通りだけど、はたして面白いかってなるとどうかなってくる。ああいうものを蕪村が作ればいいけれど、いまの若い俳人が作ると困るわけ。よくできましたねってことだけだから。

  短歌は馴染みにくいですか。

松山 いや、書くんなら短歌の方が書きやすいんじゃないですか。俳句はある意味で洗練された世界ですからね。七七が省略されて。短歌の方は通信文みたいなところがあるじゃないですか。制約がもっとないし、惚れたはれたって感じもあるしね。

  基本的には自分の思いを述べると歌になる。

松山 そういう感じですよ。手紙みたいなところあるから。でも日本人凄いね。よく考えたよね(笑)。


お経を現代文でやられると困る

  最近、現代詩の詩人の間では朗読が盛んで、先日会った詩人も般若心経とか詳しく読み込んでるんですけれども。それもサンスクリット語だとこれが破裂音で、それがどんな魔力的な意味があるかとか話してくれまして。

松山 山崎佳代子なんかいつもやってるけど、彼女の言うにはベオグラードにいると本というものが少ないんだって。三千部で大ベストセラーなもんで、詩集なんてごく僅かだから、みんなで詩を作って読む場がベオグラードにはあるわけ。だけど、これだけ大量に本が出ている日本にはそういう場がないでしょ。句会はそういう場所なのかもしれないけど、僕はわかんないから黙読する。そこまで言われると嫌だなって思っちゃうから、まったく朗読会には行きませんね。荒川洋治が「そんな面倒臭いことやる時間、あるわけないじゃないか」って書いてたの、一番カッコよかった(笑)。

  句会は朗読はないですよ。ジャンルによって顔を合わせてやることがぜんぜん違って、現代詩は朗読する。

松山 日本語の現代詩ってね、声を出して読むように作られてないと思う。短歌は歌会始を聞いていると、なるほどなァと思うじゃないですか(笑)。

  ある時期まで日本の現代詩は黙読でしたが、いま揺り戻しなのか、みんな朗読ばかりやってます。

松山 日本語自体が朗読に向いてない。ちょっと違う歌なんだよ。擬古文って七五調であったり、二三になったりもして複雑なんだけど、でもリズムで読んでいく。それで擬古文の持つ力強さと声を出しているときのリズム感が出てくるわけですよ。それは耳に入って来るとき凄いもんだと思う。ところが、明治以降、口語になったとき、歌というか耳で聞く、声に出していく文章は消えていったんだと思う。お経を現代文でやられると困るわけで、そういうことに近いと思いますよ。

  樋口一葉とか鷗外がそういう意味で音読に適しているというのは解るんですが、三島由紀夫は音読できませんね。

松山 できませんよ。あれは理屈っぽくて、ぐぢゃぐぢゃ、ぐぢゃぐぢゃ、核心に行くまでに言い訳ばっかり書いてる(笑)。橋本治がそう書いていて、なるほどと思ったけど、橋本治もそういうタイプなんだよ。よく似てるじゃんって思ってさ(笑)。

  乱歩は音読して面白そうですね。

松山 面白いでしょうね。まあ、でも露伴までだね。このまえ、白石加代子さんの朗読会聞いたけど、やっぱりいいですよ。『幻談』〔註20〕をやったんだけど、よかった。

  あれは音読したら面白そうですね。

松山 やっぱり怖いです。

  白石加代子が演ったら、なんでも怖くなっちゃう(笑)。

松山 僕の『猫風船』を以前に演ったわけ。それで招待してくれたんだけど、やっぱりそういう風に書いてないから、白石さん、読みにくそうだった。

  ここで怖がらせるぞという山場がなくて、いきなり変なイメージが出て飛んでいって終わりですからね(笑)。

松山 そういうのは露伴までで、聞いていて切々と迫ってくるところと、ちょっと江戸の笑いみたいのがあったりね。俳句や短歌、あるいは漢詩について詳しい人だからできたんでしょうね。芭蕉をあれだけ研究してた人だから。

  七部集の評釈とか書いている。

松山 そうそう。正しいのかどうかわかんないけど。

  正しいっていうか、字面そのまんまですよ。

松山 耳でよく知っている人の世代の力ですよね。

  江戸の語りと言うと、落語はお聞きになりますか。

松山  聞く。子供のころ、親父がラジオで落語と六大学野球しか聞いてなかったから。落語、講談、浪曲は耳に馴染んでる。

  そうやって身体に入ってみんな門前の小僧的に覚えちゃったり。

松山 うん。落語好きな奴より、浪曲好きな奴より、僕、よく知ってるの。

  好きな話なら、ここで一席やれそうですか(笑)。

松山 覚えてないなァ(笑)。だって一席が長いもの。できるわけないよ。聞けば思い出すけど。このあいだ真田十勇士の名前を全部言えるかなって思って、思い出そうとしたんだけど、やっぱり忘れてるね。子供のときは全部覚えてたものね。くだらないの覚えてるもんですよね。子供んときは知ってるってのが自慢じゃない。

編集部 あれは杉浦茂のマンガで覚えましたね。

松山 そうですよ。最高のマンガ家はというアンケートで答えたけど、「手塚は絶対入れまいと思った」(笑)。一位・杉浦、二位・赤塚、あとは忘れたけど、みんなギャグ漫画。

  手塚を入れないっていうのは。

松山 手塚治虫は凄いマンガ家だと思うけれども、やっぱり僕は杉浦茂。杉浦さんはものすごく真面目な人だったんだよ。赤塚さんみたいにふざけてない。ギャグを書ける人を僕は尊敬してる。谷岡ヤスジなんか「アサーッ」だけで大好きだった(笑)。「アサーッ」って言ってるだけでなんで可笑しいのかって思うけど、マンガで観れば可笑しい。どっからこんな発想出てきたんだか、よく分からない。谷岡ヤスジは天才だね。だから早く死んじゃう。で、僕らは凡才(笑)。だけど変。変ってびっくりさせてくれる。それってとってもいいことだからね。

(終わり)


〔註20〕
『幻談』 幸田露伴著の短篇小説。『露伴全集』第六巻(岩波書店)、『幻談・観画談 他三篇』(岩波文庫)他刊本多数。聞き書きという形で、釣りのさなかに現出した幻覚的怪事をさらりと描き出した幻想文学の佳品。

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