【俳句関連書を読む】
必携!
遠山陽子『評伝 三橋敏雄—したたかなダンディズム—』のCM
佐藤文香
同人誌「鏡」の仲間である遠山陽子さんより、分厚い本が届きました。
『評伝 三橋敏雄 —したたかなダンディズム—』(沖積舎)……ダンディズムと書かずとも、表紙の三橋敏雄がすでにダンディー。600余ページの二段組、圧巻であります。
三橋敏雄については、ほとんど池田澄子のエッセイでしか知らない私は、こんなに敏雄さんのことを! と嬉しい気持ちで、さっそくページをめくりました。(まだ、全部読んだわけではないです。)
路地せまくはざまのそらへ髪伸びたり 三橋敏雄(昭和12年)
雑誌や新聞などに発表した作品はもちろん、青年期の同人誌の中の詩から句会録、1年ごとにその年の時事も(たとえば昭和60年なら、「スーパーマリオブラザーズ」発売大ヒット、などまで)添えてあります。
新興俳句からの出発、古俳諧研究、朝日文庫の監修のこと、敏雄句集それぞれのいきさつなどからは、三橋敏雄と遠山さんを介して、俳句の歴史を面白く覗くことができます。
敏雄の動向や交友関係に関しては、遠山さんが実際に現地を訪れたり、多くの人へのインタビューや手紙のやりとりを通して得た、こぼれ話に満ちた軽やかな記述が、読ませます。
月曜会(黒田杏子氏がとりしきり、小料理屋「卯波」で毎月行われた句会)のメンバーが口々に、三橋先生の真摯な句作態度と格好のお洒落さについて語っているのが印象的でした。
写真も豊富で、達筆の葉書は想像の範囲内にしても、奥様との仲睦まじいツーショットやベレー帽の西東三鬼、阿部青鞋の半裸写真は見どころと思います。
うえしたの兄弟を蝕んだホーズキムシのこと、全財産を失った詐欺事件の折に、遠山さんが運転する車で多摩地区の公団を見て回った話。遺影を頼みに奥様が写真館へ行ったとき、すでに敏雄本人の依頼で遺影が作られていたこと。
ある人の、いや、三橋敏雄という人の人生というのは、こうも苦しく愛おしいものなのかと、これから読み進めるのが楽しみです。
手をつなぐ男女あるいは秋の国 三橋敏雄(昭和61年)
あとがきによれば遠山さんは、師である三橋敏雄の来し方を書き残すことをライフワークと決め、その場として個人誌「弦」を創刊したということです。以来9年間35回にわたっての取材・執筆。俳句書くなら一家に一冊ダンディズム!だと思います。
門下生というのはそれぞれ長所を生かして師の遺志を継ぐものであり、皆が評伝を書けばいいというものではありません。それに、三橋敏雄の性格を察するに、適当なことを書くくらいなら書かない方が喜びそう。
でも、今ごろ敏雄さんも、「遠山陽子あたりなら、全部書いちゃうかもしれないなぁとは思ってたよ」と微笑んでいるのではないでしょうか。
2012-09-16
【俳句関連書を読む】必携! 遠山陽子『評伝 三橋敏雄 ーしたたかなダンディズムー』のCM 佐藤文香
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