【落選展2012を読む】
その3 キリンの舌は青黒い
楢山惠都
空中の麒麟の舌や春の闇 藤尾ゆげ
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キリンの舌は青黒い。なぜなら、首が長すぎてチアノーゼだから。こんなに奇妙かつおそろしい話があるでしょうか。なぜそこまでして長い首に進化したのか。春の闇、も不穏な感じ。
引き返せ今引き返せと蟬の声 同
蝉が引き返せと言っていたことに気づくのは、蝉時雨の只中ではないだろう。引き返したくなった時点から遡ってそう感じる、と思う。
梟のまま瞬きす占い師 同
新宿の花園神社近くなどで占い師をみかけると、白い上っ張りに、白い四角い帽子をかむっている。あの神妙な様子は、言われて見れば梟のじっと動かない姿と似ている。
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風花やときに押入より唄ふ 佐藤文香
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押入れって入ると案外ひんやりする場所だ。入る、というかよじのぼる。ふとんはたいてい押入れの上の段に仕舞われているから。ふとんを敷いているときしか入る機会が無い。子どもの時分は隙をみてよく遊んだ。
でもこのひとは風花という季語も旧仮名遣いも使いこなせる、大人なんだろう。それでもよじのぼる。簡単なことではありません、身体の話でなくて。合板であろう棚は大人ひとり分の重さによくたわむ。木の香りがする。外では雪がちらついているのだ、肌寒いから毛布をまとってみたり、腰が痛くないよう枕の位置をずらしたり。
閉め切られてほんとうに独りだから唄う。合板に声がひびいて少し安心する、いや安心しない。これは孤独の訓練だ。
ゆふがたといふかたまりと霜の鶴 同
その大人(または大人について逡巡すること)の孤独は、かたまりとしてあるらしい。冬の夕焼けは特に濃いバラ色をしている。雲を、建物を、道を染める。その夕方を、染みこむ液体でなく固体だと捉え直すこと。油断してはいけない。圧倒的な塊に圧迫されて凍てつく鶴、その孤独を思う。美しいりんかくである。
春の夕日は君の眉間を裏から突く 同
ときにその硬質は、寄り添うべきひとをも襲う。しかし、掲句と韻を踏んで、
古草やけものは君を嗅ぎあて笑む 同
しんなりとなじむ古草、体臭、のようにゆるむこともある。
ふきのたう愛の湿度のととのほる 同
川までのてのひらに雛あたたまり 同
かたまりをゆるめる愛には、春めいた温かさこそふさわしくあってほしい。
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湯冷めして体の中にゐたりけり 生駒大祐
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わたしたちの内臓、血、骨は皮膚に包まれている。掲句の湯冷めは、皮膚と身体内部の温度にずれがあるような感覚だろうか。「ゐる」ことのふしぎさ。
神酒にあるつよきよはきや青嵐 同
北海道にいる宮司の友人は月に一度の直会を欠かさない。結局、皆を招いての宴会なのだけれど。
また、神奈川の神社で正月の助勤をしたとき。御祈祷を終えた方々に御神酒とお土産を授ける役目をしていたのだが、水色袴の若い宮司が盗み飲みするのですよね。神器に入ってるから銘柄は分からないんだけど、正月の清新さにあってとてもおいしいんだろうなと思いました。神社は暖房を使わないというのもあり。結局その場にいた十人くらいの男たちが飲酒した。
翌年から御神酒は厳重な監視下に置かれることになったそうです。すべての裏には人間がいるのです。
蝸牛まみどりを糞りつづくなり 同
きらきらしい詩語。
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新しき靴に履き替え墓參かな 高井楚良
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お墓参りは清々しい。水をひしゃくで汲んで、乾いた墓石のてっぺんから流すのは、きもちいい。枯れた花、燃え尽きた線香を掃除する。靴を履き替えるところから清新さを保とうとするのは、故人への思いが強いからなのかな。
この島はウタに恵まれ踊りけり 同
田植唄世界の始めと思ひけり 同
ウタ、と表記するのは沖縄の歌謡という気がする。日本文化は南島を出発地とするのだという学説がある。文学の範囲を常民の暮らしぶりにまで広げた民俗学は、特にそれを言う。うたうことから始まったのだ。
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流氷の上なる人に礼をなす 川奈正和
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船上からあたりを眺めていたら、流氷がやってきて、その上にひとがいたんだろうか。そして慌てて挨拶したのか。ほんとうだろうか。でも、すれ違う一瞬で目を合わせ、その瞬間に友だちになるようなことが世の中にはあると思う。その後二度と会わなくても。
劇いまだ劇中劇や花は葉に 同
例えばじぶんが劇作家だとして、劇中劇を書くときがいちばん愉しいんじゃないか。戯曲の骨組みから離れてドタバタやれそう。そして葉桜の季節の劇とは、それだけで面白そうです。
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遥かなり三万人の春休み 大穂照久
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日本列島に一億三千万ほどのにんげんがいて、そのうち三万人ほどが春の決まった時期に、一斉に休暇をとる。そして移動する。もちろん移動しない一億人も存在するので、人口の密集にむらができる。そのくせこの小さな島全体の人口に変化は無いわけで、奇妙だ。天から地上を見下ろしてみれば、にんげんの営みはかくも奇妙だ。惑星のうわっつらでわらわら動くわたしたち。遥かなきもちがします。
掲句でもっとも奇妙なのは、遥かなりと嘆息する作者もにんげんのひとりである、ということ。宇宙からの巨きな視座と、じぶんの嘆息を聞き分けてしまうくらいの近さとが両立している。
遠い火事ぼくには口内炎がある 同
そして中間がすっぽり抜けている。近さと遠さしか無い。そのせいだろうか、ふたり集まると、ぼやける。
公園の落ち葉を散らすふたりかな 同
作者を含めたふたりなのか、作者がふたりを眺めているのか。
切手貼る愛を込めつつ貼る痛いか 同
じぶんと同じ近さを持つひとを探して、問いかけずにはいられない。手探りでなにか探すとき、痛覚以上に原始的で明確な指針があるのだろうか。
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風船に歯を括りつけ抜きにけり 山下つばさ
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ぐらつく歯の裏を何度も舌で探る。もう歯を支えているのは針の先ほどの歯茎だけだ。その歯と歯茎を分離するときの、ぷつっとした痛み。
脱毛の手足を畳む木下闇 同
たぶん自宅で脱毛したんだろう。毛抜きを使ったか、脱毛クリームを塗ったかは分からないが、とにかくぷつっと痛いものである。身体を労って丸まっているようす。
耳朶を過ぎて落花となりにけり 同
耳をかすめて落ちていった花は、そのまま落花と呼ばれる。ぷつっとした瞬間が、やがて状態になるということ。
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