【週俳1月の俳句を読む】
犬もすなる初詣淡海うたひ
毎年元日の午前中に、近所の神社に初詣に行く。住宅地の中にある神社のため、犬の散歩を兼ねて初詣をする人が多く、「ここはドッグショー会場か!」と思うほどである。
拝殿には、お正月用に鈴が5つも取りつけられていて、参拝者は5列に並ぶよう指示される。私の番が来て掌を合わせていると、右隣では飼い主に抱かれたトイプードルが神妙な顔をして前脚を揃えており、左を見るとダックスフントが舌を出してゼーゼー呟いていた。
私は、家内安全・無病息災を祈ったのだが、お中元にビーフジャーキーが届くかも知れない。
お正月白くて棒状のおしぼり 上田信治
去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子
に対するオマージュか、あるいは揶揄であろうか…。おしぼりが白くて棒状。この写生の正しさに、思わず笑ってしまった。目に痛いほど真っ白なおしぼりが固く棒状になっている。お正月そのものが白くて棒状のおしぼりなのである。棒状のおしぼりは四角に広げられ、使われて汚れる。淑気もやがて、ありふれた日常性のなかに消えてゆく。
これからは居酒屋でおしぼりを使うたびに、「白くて棒状のおしぼり」と、声に出してしまいそうである。
初富士やしがない町の橋の上 沖らくだ
一読即共鳴の句であった。わが家の最寄駅近くにある橋を電車が通過する時、富士山が大きく見える。今年もドアの前に立って初富士を拝んだ。
「しがない町」の措辞が良い。見晴らしのよい橋の上からでないと富士山が見えないのだから、この町は静岡県や山梨県にはないであろう。富士山からやや離れた地にあり、自然環境にはあまり恵まれていない、雑然とした町に違いない。この「しがない町」は「富士見町」ではない。この橋も「富士見橋」ではない。
しがない町のしがない橋の上に立っているしがない自分。しかし、純白の雪を頂いた青く美しいコニーデ、まして初富士の神々しさに対峙する時、しがない町のしがない橋の上のしがない自分が、特別な存在に思えるのである。
バレエ公演座席に破魔矢置いてあり 押野 裕
15歳から18歳だけが参加出来るローザンヌ国際バレエコンクールでは、昨年菅井円加さんが1位を獲得し、今年も3位に山本雅也さんが入った。日本人のバレエダンサーは、今や国際的に見て高水準にある。これは、近年日本でバレエ人気が爆発し、バレエ教室がいたるところに開設され、バレエ人口が急増していることが背景にあるという。幼児の頃から習う人も多いが、大人になってから始める者も少なくない。私の従妹も、40歳を過ぎてから娘と一緒にバレエを習い始め、嬉々として続けている。
掲句のバレエ公演も、プロのバレエ団の公演ではなく、子供たちが冬休みの間に開かれたバレエ教室の発表会ではなかろうか。子供の晴れ姿を見ようと、両親や祖父母、親戚の叔母さんや従姉妹たちも見に来るので、舞台のよく見える座席を人数分確保しなくていけない。ハンカチやプログラムだけでは足りず、ホールに来る途中、子供の舞台の成功を祈った神社で授かった破魔矢までもが動員され、座席に置かれた。矢だけに、陣取りはお手のものか。
しばらくは初日の残像と歩く 近 恵
昨年5月に金環蝕があった際、「太陽を肉眼で見てはいけません。」とテレビや新聞で注意を繰り返していた。目を痛め、失明する危険もあると脅されては、日蝕用グラスを買わざるを得ず、私も798円の物を買った。
日の出や日の入りはふつう裸眼で眺める。初日の出を拝むのにサングラスを掛けた、などという話は聞いたことがない。しかし、長時間眺めていると太陽から目を移しても、丸く赤い物体が視野に留まる。
掲句は、初日の出を拝んだ高揚感が続いている状態をストレートに詠んでいて、読者をしあわせな気分にしてくれる。
年明けて先ず嫁の面ととのえる 高畠葉子
嫁の立場を自覚するのが、お正月や法事である。ふだんは忘れている。考えたくない。
掲句は、婚家で年を越した状況であろうか。
新年の、明るくめでたく正しい嫁としての表情を演出しなければならない。「嫁の面ととのえる」の大胆な措辞がすばらしい。
定年の龍が蛇にと改りぬ 筑紫磐井
辰年が終ると巳年が始まる。龍が定年になって蛇に改まる。
「鷹化して鳩と為る」ではないが、龍は定年になると、髭は抜け、逆鱗も剥れ落ち、ツチノコのようになってしまうのか。
それとも、華々しく始まった辰年が竜頭蛇尾の一年に終ってしまったのか。
龍にも蛇にも哀れを感じる一句である。
第298号 2013年1月6日
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第299号 2013年1月13日
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