2013-03-17

【週俳2月の俳句を読む】星間の羽ばたき 堺谷真人

【週俳2月の俳句を読む】
星間の羽ばたき

堺谷真人



星間に棲み思ひ出の凍を待つ  竹岡一郎

広漠たる星間にちらばるガスや宇宙塵にも記憶があるというと、どこかSFめいた言説に思われるかもしれない。しかし、脳内物質のふるまいが(そのメカニズム解明への道程はなお遼遠であるとしても)我々の意識活動を現前させている事実に想到するならば、無機物の記憶や思考の存在もあながち荒唐無稽とはいえない。「思ひ出の凍を待つ」のは恐らく宇宙意志=全知全能の超越者なのだ。そして、そのような超越者を措定することによって人間もつかのま無限の一端に触れることができる。「神人合一論」というタイトルに最もふさわしい一句であろう。「この無限の空間の永遠の沈黙は、私に恐怖をおこさせる」(『定本パンセ』松浪信三郎訳)


誰よりも大きな石の冷たかり  宮本佳世乃

パスクア島(英語名:イースター島)にはかつて複数の王国が割拠していた。彼らは奇怪な石像を次々に造顕し、こもごもその大を競った。より巨大な石像を造ることで国威を示し、他を圧倒しようとしたのである。さて、掲句の「大きな石」とは何であろう。どうやら自然石ではなさそうだ。直方体に切り出され、表面加工を施された石。例えば、墓碑や頌徳碑のような個人の記憶にまつわるモニュメントであるように筆者には思われる。他の誰よりも大きなモニュメントを遺したその人の非在を、作者は掌でそっと感じ取っている。


にんげんは戦争が好き雪の弾  照屋眞理子

戦争がなくならない理由を、政治学や社会経済学の観点からのみ考察するのは不十分である。それは儀礼や文化、遊びやスポーツといった人間の諸営為となだらかにつながる地平の上に生起する事柄だからだ。掲句、人間にとっての戦争の持つ多義性、多面性をいみじくも言い当てている。雪合戦に興ずる子どものメンタリティと近代戦を闘う兵士のそれとがどこかで通底するというブラックな視点には、ぞっとしつつも共感を覚えた。


臈たけて千年のちも苦蓬  皆川 燈

「臈たける」とは個人における経験と洗練のもたらす恩寵を肯定的にとらえた表現である。しかし、この句では「千年のち」という長期スパンが提示される。つまり、一個人ではなく人類社会全体の経験と洗練の可能性がここでは問題にされているのである。そして、下五は今や放射能汚染の記号となった「苦蓬」。科学技術がどんなに進歩しても、人類の叡智はこれに正比例して進歩するものではなく、我々そして我々の後裔たちはこれからも常にカタストロフィと背中合わせに生きてゆく他ないという苦い認識が、優雅きわまりない句の佇まいの向こうに垣間見える。


つつがなく酒が回れば諸子焦げ  中原道夫

琵琶湖の諸子は最高である。炭火で炙って、生醤油で食べる。口中でさくさくとほぐれてゆく儚さが身上の、早春の味覚である。「つつがなく酒が回る」とは、同席の人々のなごやかな献酬のさまと、めいめいが心地よい微醺に身を委ねている状態とをふたつながら指す表現であろう。そんな中、誰かが諸子が焦げていることに気づいたのだ。俳人という生き物はなぜかアクシデントが好きである。幸福の中のささやかな不幸を山菜のほろ苦さのように賞玩するのである。俳人の好尚のツボを見事に押さえた、俳句らしい俳句といえよう。


奥の間へ低く飛びゆき春の蠅   岩田由美

「春の蠅」は越冬した蠅である。奥の間へと低く飛んでゆく蠅にはもう残り時間がない。辛くも露命をつなぎ、春の陽気に誘われて力なく飛ぶ蠅だからである。万象、清輝を帯びる好時節を目前にして、老いたる落ち武者のように死に所を探す蠅。その卑小な昆虫との一瞬の邂逅と別れが作者に如何なる感慨を与えたのか、俳句という形式は黙して語らない。ただ微かな羽音がくぐもった耳鳴りのように長く読者の脳裏に残るだけである。


第302号 2013年2月3日
竹岡一郎 神人合一論 10句 ≫読む
宮本佳世乃 咲きながら 10句 ≫読む
第303号 2013年2月10日
照屋眞理子 雪の弾 10句 ≫読む
第304号 2013年2月17日
皆川 燈 千年のち 10句 ≫読む
第305号 2013年2月24日 
中原道夫 西下 12句 ≫読む 
岩田由美 中ジョッキ 10句 ≫読む

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