2013-05-26

沖縄は今日も雨だった 山口優夢

沖縄は今日も雨だった

山口優夢


●5月10日(金)

僕は久しぶりにあせっていた。タクシーの車内で、気持ちははやるもののできることはなにもなく、ただただ雨にぬれた東京タワーを泣きそうな気持ちで眺めていた。

恵比寿駅でタクシーをつかまえたのは、その5分ほど前だった。
「どこまで行きますか」
「羽田空港までお願いします。あの、できれば急ぎで」
「何時の飛行機なんですか」
「たぶん無理だと思うんですけど、8時のフライトです」
時刻は7時半。運転手のおじさんは一瞬絶句したようだったが、
「首都高が空いていれば首都高を使いましょう」
と即座に対応してくれた。

そんなにぎりぎりに行くつもりではもちろんなかった。この日は休みを取ってあったし、お昼くらいには今住んでいる山梨を出て東京にいるつもりだった。ただ、新聞記者というのはやくざな仕事で、休みの日でも面倒ごとが起きれば対処しなければならない。夕方くらいまで急な仕事をこなし、先輩に引き継いで、韮崎駅から中央線に飛び乗った。否、飛び乗ろうとした。

韮崎駅に着いたのが午後5時前。携帯で調べると午後7時半には空港に着く。少し時間がないが、那覇行きの最終便が出る午後8時には間に合いそうだった。時間通りに中央線に飛び乗ることが出来ていれば。

午後5時前に韮崎駅に着く予定だった特急あずさは小淵沢駅の手前で異音を感じ、車両点検で停車したため、韮崎駅に着いたのは5時半前。30分遅れの特急に乗って、一緒に那覇に行くS井とS崎に「僕はもうだめだ。明日の朝一の飛行機で追いつくから先に行っていてほしい」とメール。するとS崎から「新宿着いたら恵比寿まで電車で出て、そこからタクシーで空港に行け」と返信が。「新宿とか渋谷からタクシーに乗ったら渋滞に巻き込まれるから、恵比寿から乗ると良い」ということなので、一縷の望みをかけてタクシーに飛び乗ったのだった。

東京タワー濡れて真つ赤や夏休み

首都高は幸い空いていた。S崎と電話で連絡を取る。「今どこ?東京タワーが見える?じゃあなんとか間に合いそうかな」「チケットはカウンターに預けておいたから」「携帯とか手荷物検査で出すものは先にまとめておいた方がいいよ」。何から何まで的確な指示にあたふたと身支度を調える。

運転手さんの腕が良かったのだろう。空港には7時45分に着いた。運転手さんには8000円を渡して「お釣りはとっておいてください」とタクシーを飛び出る。カウンターでチケットを受け取り、手荷物検査を通って出発ロビーまで動く歩道を通ったりちょっと走ったりしてたどり着くと、携帯を耳に当てて不安げな顔でどこやらに電話するS井がいた。どうやら僕に電話していたようだ。S崎もトイレから出てきて3人が揃う。

僕の妻とS井の奥さんたちが週末を利用して韓国旅行に行くと言う。その間を利用して、僕とS井にS崎も加えて高校時代からの友達3人で沖縄にでも遊びに行こうじゃないかと企画された旅だった。この3人はロシアに2泊3日で行った組み合わせ(「ロシアに2泊3日で行ってきました日記」1日目2日目3日目参照)。3人で旅行というのは奥多摩(「奥多摩ホリデー」前篇後篇参照)以来だ。

飛行機は8時過ぎに出発。那覇空港まではおよそ3時間の旅だ。S井とS崎が並んで座り、その後ろに僕が座る。S井とS崎は非常口のすぐ隣、座席の一番前の列だ。夜の東京は離陸してみると細かな灯りに彩られていた。僕はなんとかぎりぎりで間に合った安堵で、2人がなにやら前の座席で話している声に聞き耳を立てながらうとうとと眠ってしまった。

ふと目が覚めたときにはまだ飛行機は空の上だった。スチュワーデスのお姉さんが2人の前に立ち、なにやら楽しそうにおしゃべりをしている。しかも「ロシアに旅行に行って・・・」とか「帽子がほしかったらしくて・・・」とS井が話す声が聞こえる。僕が帽子をほしがった余りロシア旅行で連れ去られそうになった事件(「ロシアに2泊3日で行ってきました日記」参照)のことじゃないか。人の話でスッチーと楽しくおしゃべりしやがって、と思いながらも眠気に勝てずまた眠りについた。

あとで聞いたところだと、S井とS崎が話していると、S崎が「国立競技場」の「こくりつ」を「くにたち」と言い間違えたのをきっかけにスッチーが「くにたちにお住まいなんですか、私もくにたちなんですよ」と会話にカットインしてきたらしい。

竹婦人もスチュワーデスも笑顔なり

ええ、ええ、どうせ僕はスッチーとはほとんど一言も会話できませんでしたよ。

那覇空港の少しべとつく空気の中に降り立ち、タクシーでホテルへ。荷物を置いて国際通りに繰り出し、沖縄にもう8回くらい来ているとかいう沖縄マスターのS崎おすすめのお店に行こうとするが残念ながらつぶれている模様だったので、適当に見つけたそれっぽい沖縄料理屋に入り、ラフテーだの海ぶどうだの沖縄っぽいものを食べ、下ネタで盛り上がってホテルに帰る。

明易し皿にたぷんと海ぶだう


●5月11日(土)

ツインの部屋にあとからひとつシングルのベッドを入れたような3人部屋に泊まったのだが、真ん中のベッドで寝ていたS井は、僕とS崎のいびきがステレオのように両側から押し寄せてくる中、寝付くのに大変苦労したらしい。

沖縄は今日も雨だった。せっかくのオーシャンビューの部屋も、灰色の空と海では景色としては冬の日本海と変わりがない。午前中は雨なのもあって、ホテルに付属している打ちっ放しでゴルフの練習に行くことにした。今回の沖縄旅行は、何を思ったのか3人でゴルフをやるという目的があるそうで、僕自身ゴルフクラブなど1回も持ったことがないわけだが、S井もS崎もどちらかというと初心者に近いらしかった。

打ちっ放しに行く途中、「うちら教えられるほどうまくないから、ゆーむさん一人でどうにか上達してね」と言われ、「よし、なんとかしようじゃないか」と意気込んでクラブを振ったもののボールにかすりもせず、結局S井がクラブの握り方から振るときの姿勢まで何もかも教えてくれる。S崎は基本的に黙々と練習に打ち込んでいたが、ふとしたときに僕のフォームを見て「こういう握り方にしてみたら」とアドバイスをくれた。

1時間半ばかり汗を流してどうにか見られるようになってくる。まあ1日中いても仕方がないので、適当に切り上げて午後はレンタカーでぐるぐると観光だ。

パンフレットを渡されてどこか行きたいところはないのかと言われても何の下調べもしてこなかった怠惰な旅行者としてはどこに何があるのやらよく分からんと悩んでいたら、せっかくだから沖縄本島の一番北の辺戸岬とやらに行ってみようという話に。カーナビによると2時間以上かかるらしい。何がせっかくなのかやっぱりよく分からんが、一番北の岬、というのはどこか心躍る響きではある。S井の運転でそぼ降る雨の中をレンタカーは滑り出した。

「沖縄で一番北、って牛丼屋で一番高い店、っていう感じだよな」

辺戸岬に到着し、歩いているとS崎が不意に言う。分かるような気もするがだからどうとも言えないので黙っていた。つまり、南国が売りの沖縄と、安さが売りの牛丼屋、ということだろう。雨脚は強くなったり弱くなったりだが、傘が手放せないというほどではない。

数十メートルのがけの真下に海。しかし波はとても穏やかで、本当に打ち寄せているのかどうかさえ分からないくらいだ。人の背丈より大きいぬりかべのような石碑があると思って近づいてみれば、本土復帰の記念碑だった。

沖に雨碑はゆつくりと石にかへる

帰りはコンビニで一人一枚CDを買って車内でかける。S崎はMAXやhitomiの曲が入った、90年代のベストヒットを、S井はスピードのベスト盤をそれぞれ購入し、僕はシャ乱Qのベスト盤を買って不評を買った。「まあ、シャ乱Qは今度大阪に旅行に行った時にでもかけようよ」ということで、ここでは沖縄出身のスピードを繰り返しかけた。

沖縄通のS崎おすすめの名護のビーチに着いたときにはすでに午後7時を回っていたが、本州よりだいぶ西にあるここ沖縄ではまだ日は沈んでおらず、ちょうど壮大な夕焼けに直面したところだった。

時間帯の問題なのか、季節の問題なのか、ビーチには我々3人のほか誰もいなかった。水着をそのまま着ていたS崎がシャツを脱いで海に入っていく。僕とS井は水着の用意がなく、まごまごとしていたが、ここまで来て泳がないのももったいないと、パンツ1丁で海へ。足の着かない沖合まで行って引き返し、立ち泳ぎしては平泳ぎに切り替え、30分ばかり遊んでいるうちに日はいよいよ森の向こうに姿を消していった。

沖縄の戦跡を見ず泳ぐかな
何千の夕焼の一つ君らと見き
夕焼や泳いで体もうかはく

浜辺にあがって全身を平手でたたき、水を落としてシャツやズボンを着る。ぬれたパンツの上からズボンをはいたのでズボンが気持ち悪くしめった。

打ちっ放しにドライブに海にとさんざん遊んで帰って、タクシーで飲み屋に繰り出せばもう11時過ぎ。居酒屋でまた下ネネ中心に盛り上がったわけだが、S崎と2人でハブ酒のショットを頼み、せーの、で一緒に一気飲みしようとしたらS崎は飲むふりで1人だけ一気飲みをさせられたのも今やいい思い出だ。

夏の月ハブ酒我が口からにほふ


●5月12日(日)

飲み過ぎてグロッキーで起きたくないとごねるS崎と僕にさんざんてこずりながら、S井が沖縄旅行の目的の一つであるゴルフをするためにゴルフ場を予約し、なんとか2人をたたき起こしてゴルフ場にたどり着いたのはすでに午前11時だった。

この日は絶好のゴルフ日よりとも言うべき晴れ。南国の日差しの強さに、早速日焼け止めも帽子もサングラスも何も持たずに来たことを後悔する。ハーフでまわったのに終わりは午後2時半。半袖のシャツだったこともあって両腕は真っ赤になった。

見事に池ポチャした直後に池の手前からもう一度打ったらまた池にボールが落ち、仕方がないから池を超えた場所から打たせてもらったり、ボールにかすりもしなかった空振りを素振りと言い張ってもう一度打ったり、むちゃくちゃな初体験だったが、とりあえずハーフを87で回る。お世辞にもいいスコアではないが、前日初めてクラブを握ったにしては、まあ悪くないのではないかという評をいただく。

母の日晴れて戦闘機みな抜き身

ゴルフ場から見上げた青空を、旅客機ではない飛行機が何機か過ぎていったのが分かった。分かってしまった。

一汗かいたあとは近くの古民家風の店でソーキそばを食べ、またビーチを探してドライブ。前日の名護はちょっと遠すぎるので近くで探して行ってみると、なぜか閉鎖している。近くの人に勝手に入って遊んでも大丈夫と言われて、ゲートを乗り越えようとしたら管理人らしきおじさんに怒られる。そのビーチの脇に砂浜があるから、そこでなら勝手に泳いでいいと言われ、教えられた道を進むと車一台がやっと通れる道の両側からさとうきびの葉が垂れ下がり、がさがさと葉をかきわけるようにしてようやく砂浜まで出た。

僕は泳ぐのも面倒くさくなって浜辺に寝ころび、広い空を眺めてうとうとと昼寝した。S井とS崎は海の中にわき水を見つけたらしく、元気に泳いできらきらと遠い海の中に見えなくなった。何も遮るものがない空をジャンボ機が左の空から右の空へ1機飛び去っていく。果たしてしばらくすると同じようにジャンボ機が左の空へ表れ、右の空に吸い込まれていく。何度も何度も、飛行機は同じように過ぎていく。その繰り返しが世界が終わるまで続いていくような天気だった。

空は半球飛行機夏を何機も過ぐ

浜辺では死んだ生き物にたかるハエやガが他者の生をあからさまに奪っている。僕にもまとわりつこうとしてくるものだから、手でさっさっと払ってやったが、やつらは何度でも襲ってくるのだ。ブン・・・ブン・・・という羽音が耳をかすめ、うんざりしながら僕はハエを払い続けた。

死にたれば蠅追ひ払ふことできず

日が傾き描けた頃に海を後にして、温泉で砂やら汗やらをさっと流し、レンタカーを返して空港へ。この日の最終便で羽田なのだ。空港の土産物屋で母の日ということもあって母用のバッグを買い、職場からリクエストのあった紅芋タルトを買っているうち、レジ脇に置いてあったいかにも南国風な原色をあしらったシュシュが目に留まる。奥さんに買って行ってやろうとカゴに一緒に入れた。

遊び疲れた帰りの飛行機は寝て過ごすに限る。しかし羽織ったジャケットにこすれる両腕の日焼け跡が痛くてなかなか寝付けなかった。沖縄にまた行くことはあるのだろうか。とにかく今は、もうすぐに始まる仕事のことを考えなければならない。

日焼け跡疼いてならぬスーツかな

空港で解散。また沖縄に、と言うよりは、またこの3人で、どこかへ行くならば、この旅行記の続きも書く日があるだろう。

ちなみに、シュシュを韓国から帰ってきた奥さんに渡したら「私、見ての通り今ショートヘアなんだけどこのシュシュどこにつければいいの」と不思議そうな顔をされたのだった。

(了)

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