【週俳6月の俳句を読む】
からくりの構造
羽田野 令
未亡人下宿春雷鳴りやまず 閒村俊一
「未亡人下宿」とは、一時代前の、いかにも男にとってあらまほしきしセッティングである。昔は大学の近くには沢山下宿屋があったから、実際にそう呼べるものもあったのであろうが、ここで言われる未亡人とは年を経て伴侶に先立たれた人ではなくて、若く且つ妖艶な人である。夏の大きな雷とは違う春雷が、ゴロゴロと妄想の中にも鳴っている。春雷とこういう取り合わせはちょっと可笑しいような可愛らしいような……。
覺めぎはのかうかうとしろはちすのしろ 同
夢ともうつつともつかぬ間の白。それは、蓮の花の色。蓮だからかなりな大きさの花びらであるわけだが、煌煌と輝く様な白であるという。その白の印象のままに目覚めて、その白にまだ引っ張られている目にうつつの景が重なりつつはあるのだが、夢の中の白の印象にすっぽり捕われているといった状態。「覺」以外が全てひらがなで書かれているのは、現実感の希薄な、まだ覚めやらぬといったところを思わせる。
首飾りはづすまはひや梅雨の月 秦 夕美
あまり言葉にしない事柄も、頭の中ではいろいろ気にしている場合がある。色々な行動の「まはひ」は、自分の外に人が居る場合は誰しも無意識に考えている。掲句では首飾りを外すシーンである。かなりもう二人は接近していて、コトを妨げないように外すべく「まはい」をはかる微妙な心の動きに、梅雨のじっとりとした季節の月がいい案配である。
酢と塩とあとしらなみのほととぎす 永末恵子
思わず、くすっと笑ってしまうような句である。掛詞が面白い。「しらなみ」から「知らぬ」を引き出す事は、昔からあって、例えば万葉集では巻三、巻十一に、
見吉野之 瀧乃白浪 雖不知 語之告者 古所念があり、どちらも「白浪 雖不知」である。まだこの時代には「しらなみ しらね ども」「しらなみ しらずとも」と重ねてあって、白波のように知らないけれど、と説明的である。後になると「雖不知」の部分は省かれて、「しらなみの」と言うだけで波と知らないという事のどちらもを表す様になってくる。謡曲や歌舞伎やいろいろな語りにもそのように登場する。
みよしのの たぎのしらなみ しらね ども かたりしつげば いにしへおもほゆ
淡海〻 奥白浪 雖不知 妹所云 七日越来
あふみのうみ おきつしらなみ しらずとも いもがりといはば なぬかこえこむ(『萬葉集』桜風社1993年発行より)
掲句は、あとは知らねぃほっとけぃと、第三で大見得を切っているような感じである。
陶枕に穴遠くから人がくる 永末恵子
「陶枕に穴」ということと、「遠くから人がくる」という二つの事柄から成っている句であるが、なんとも面白い。
中国の話には奇想天外なものがよくある。壺中の天にしろ、西遊記の金閣銀閣にしろ、なんという話か忘れたが口の中からものを取り出す物売りの話もあったが、どれも現実の世界の中にある小さな口(穴)を堺にして別の空間が広がるという話である。
陶枕は如何にも中国的なもので、そういう異空間を兼ね備えた装置だと思われないこともない。陶枕の穴はその向こうの時空へ延々と続いているのかも知れない。そういう中国的な空間認識を踏まえて、「遠くから人がくる」ことが配されていると読んだ。陶枕にある穴は二つの空間の位相の境界であり、そのからくりの構造が句を大きく広げている。
第319号2013年6月2日
■閒村俊一 しろはちす 10句 ≫読む
第320号 2013年6月9日
■石井薔子 ワッフル売 10句 ≫読む
第321号 2013年6月16日
■秦 夕美 夢のゆめ 10句 ≫読む
第322号 2013年6月23日
■永末恵子 するすると 10句 ≫読む
第323号 2013年6月30日
■飯田冬眞 外角低め 10句 ≫読む
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