2013-09-01

【週俳8月の俳句を読む】うすぼんやりした彼方へ 小林千史

【週俳8月の俳句を読む】
うすぼんやりした彼方へ

小林千史



心惹かれる句は誤読を恐れず深読みしたいと思う今日この頃。また、一方で、句数の制限の中で舞台で演じるようにどのように句を並べているのかという構造にも興味津々である。

昨今の自己愛や自己表出としての俳句が多く作られている状況の中で、彌榮浩樹氏の句がめざすのは真逆の方向。そこに出現するのは、彼自身が物の側に移りきった瞬間の官能的ともいえる状況だ。

もちろん直接的にそのようなエロチックな言葉が使われるわけでもないが、どこか含み笑いのようなひめやかさが付きまとうのである。

しかも、その焦点をかちりとは結ばず、うすぼんやりした彼方に消えようとするかのようだ。

読み手を試しているのか? そう思わないでもない。並んでいる句は、隣同士が裏表の関係にあるかのように、よそよそしくふてぶてしくもある。偶数句の端正な面持ちはいったいなんだろう。逆に気味悪いくらいではないか。

金堂を遠くにきざみおくらかな
  彌榮浩樹

秋雨の中の小鉢のやうな花  同

なんだかあまりにもひねられていないので、何か仕掛けでもあるのではと勘ぐってしまうくらいだ。だが、私にはこの十句の仕掛けはその隣り合わせた端正でないほうの句を、実は表の顔ですよと、ぬーーーっと出してくるところにあると思うのだ。

秋蝉やP氏このごろきてくれず  同

P氏は自分にとっての来てくれない人、来てくれないものなら何でもあてはめてよいのだ(私なりに断言してしまおう)。

奇数句は、実態という束縛からのがれてするりと楽になった句でもある。そして、悪戯のように様々な妄想を掻き立たせる句でもある。だから

あつまつて笑ふでもなく未草  同

は、笑わないのは人でもいいが、未草でもいいのだ。我と他人と、ものと人との境を越えて不思議ワールドに入り込む。その仕掛けとして端正な偶数句たちが並んだ気がするのだが、むしろそれは一句くらいで十分であとの九句は不思議ワールドの句でよいのではと欲張ってしまうのである。それにしても、ひざを曲げてくつくつ笑うのはいったいだれなのだろうか? 彌榮浩樹氏にとって、私にとって。案外、彌榮浩樹氏の目指すところは深く果てしない暗闇かもしれない。



第328号 2013年8月4日
彌榮浩樹 P氏 10句 ≫読む


第329号 2013年8月11日
鴇田智哉 目とゆく 10句 ≫読む
村上鞆彦 届かず 10句 ≫読む
 

第330号 2013年8月18日
井口吾郎 ゾンビ 10句 ≫読む


第331号 2013年8月25日
久保純夫 夕ぐれ 10句 ≫読む

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