2013-10-06

【週俳9月の俳句を読む】  D 九堂夜想

【週俳9月の俳句を読む】
 D

九堂夜想



Arabesque女王西瓜のるるるるる
鬼灯の子らに目玉の蒼き坂
DDDD圧倒的にDの海

               佐々木貴子「モザイク」抄

ピーチ姫を助けに行くわたしは実はあみどだった
ばっきゅーんうちぬかれたハートはもうはつなつのチョークのよう
世の中の関節外れてしまったというか折れたんでしょめだかさん

     内田遼乃「前髪ぱっつん症候群(シンドローム)」抄


結論から言えば、「俳句形式とは何か」を考えよ、ということである。

俳句の世界に限らず、共有・共鳴・共感が求められて倦むことのない世の中だが、そうした御題目とそれらの蔓延する空気に何の違和感も抱かない人がいたとしたら余程〝幸福なヒト〟と言わねばならない。その意味で、ベクトルの異なる両者の〝病(やまい)振り〟にはそれなりに見るべきものがあろう。

(読み手のココロを逆撫でしない作品など〝読む〟に値しない)

問題は、いずれも湧出する己の詩的力能を制し切れていないことである。

〝荒(すさ)び〟の佐々木―随所に己と俳句(形式)との格闘のカゲが仄見えるが、まだまだ足りない。「DDDD圧倒的にDの海」の上五「D」の羅列は、ともすれば作者の押し付け(それに伴う〝甘え〟)につながる。中七下五「圧倒的にDの海」との連携(というよりは〝ダブり感〟)を考えれば尚更である。

〝遊(すさ)び〟の内田―たとえば「私を月につれてってなんてはつなつのぬるい海で我慢してね」などは、書いていて自身かったるくならないだろうか。前髪ならぬ後ろ髪をぱっつんして「私を月につれてってなんてはつなつのぬるい海」で充分ではないか。しかし、いずれ自身のアナーキズムに飽きる時が来るだろう。その折は、やはり飽きるまで「五七五定型」に殺されてみるがよいのだ。

(ちなみに外山の「解題」は無用である。賢明な氏ならば多言は要すまい。何より、俳句作家・内田遼乃の為にならない)



第332号 2013年9月1日
髙柳克弘 ミント 10句 ≫読む

第333号 2013年9月8日
佐々木貴子 モザイク mosaic 10句 ≫読む
内田遼乃 前髪パッツン症候群 10句 ≫読む

第334号2013年9月15日
村田 篠 草の絮 10句 ≫読む

第335号2013年9月22日
小早川忠義 客のゐぬ間に 10句 ≫読む
今泉礼奈 くるぶし 10句 ≫読む
仁平 勝 二人姓名詠込之句 8句 ≫読む

第336号2013年9月29日
北川美美 さびしい幽霊 10句 ≫読む

2 comments:

天気 さんのコメント...

ご寄稿、ありがとうございます。

ちなみに、外山さんに「解題」の執筆をお願いしたのは、私です。

なので、「解題」は無用であるとのご指摘は、私が受け止めておきます。

九堂夜想 さんのコメント...

この度はお世話になりました。

外山氏「解題」への経緯、了解しました。念の為に補足すれば、当方は「解題」の内容(と掲載)までは否定しません。
編集における〝感覚〟の相違と思いますが、たとえば同じ内容が編集方の筆を借りて「後記」または他の箇所に掲載されていたのであれば、とくに違和感はなかったかと思います。

いずれにしろ〝旅立つ子〟に〝親がべったり〟という状況はいただけないと感じた次第。
妄言多謝。