【週俳10月の俳句を読む】
変換する装置
鈴木茂雄
ともだちが帰つてこない冷蔵庫 西原天気
「冷蔵庫」にまつわる話はたくさんあって、過日はツイッター上にコンビニの冷蔵庫の中で商品と一緒に寝るというとんでもない店員が現れたが、俳句の世界ではたいていの場合、たとえば「金塊のごとくバタあり(注1)」「冷えゆく愛のトマト(注2)」「妻子のものばかり(注3)」「フランスの水と灘の酒(注4)」など「ごちゃごちゃと(注5)」描かれ、「わがためのもの奥にあり(注6)」「好きな物みんなあり(注7)」と既婚者らしき男と未婚者らしき女がつぶやくなど、その中身になるわけだが、揚句はそれらの先行作品に描かれた平凡な日常とはあきらかに一線を画していて、冷蔵庫の本体自身がこれから始まる物語の入口という設定になっている。時は第二次世界大戦下のイギリス、田舎に疎開していた4人の兄弟姉妹が古い屋敷の空き部屋で見つけた不思議なワードローブ。それはナルニア国と呼ばれる、神話に登場するような生き物や妖精が住む世界へと通じていたが、そこは冷酷な白い魔女に征服されていた。これはC.S.ルイス の小説『ナルニア国物語』の第1巻「ライオンと魔女」に出てくる大きな衣裳箪笥のお話。上掲の句では小さな冷蔵庫になっているが、「ともだち」と二人で入って行くには十分な大きさだ。現代の冒険譚の入口として洞窟よりもかえってリアリティがある。だが、「ともだちが帰つてこない」とはどういうことなのだろう。どういう状況下であろうと、こういう場合はSFやファンタジーの世界で大スペクタクルを展開しているのが物語の常套手法だが、一方でいっこうに帰ってこないともだちをいまかいまかと冷蔵庫の扉の前で待っている身にとっては、その不安は夜の海の波のように押し寄せていることだろう。ところで、この「ともだち」という表現だが、自分の友人のことを第三者に言う場合、いつまで「ともだち」という言葉を使っていたのだろう。改めて考えてみると、やはり少年期の頃までだったのではなかったか。その「ともだち」が帰つてこないというのだ。コンビニに買い出しにでも行ったまま帰ってこないというのではない。「冷蔵庫」の中に入ったまま「帰つてこない」というのだから、読者の想像力はいやが上にも掻き立てられる。だが、この冷蔵庫、開けると「海があふれ出す(注8)」らしいから要注意。ではこの「冷蔵庫」は何のメタファーなのだろうと、しばらく眺めていたのであるが、そのうちドアを開けたり閉めたり、中を覗いたり、まわりを叩いたり、挙句の果ては中に入ろうと試みたりしているうちに、これ以上詮索するのは愚の骨頂、そう思えてきたところで、その疑問は氷解した。「ともだちが帰つてこない」と「冷蔵庫」という言葉の新しい関係、その詩的関係が読者のわたしを魅了したのだ。なんだ、そうだったのか、と。さらに言うと、これは意識の表象として作者の前に立ち上がった冷蔵庫、本来の意味とは別の意味を持った冷蔵庫、言語化出来ない思いの表出としての冷蔵庫なのだ、と。形の定まらないことば、形になろうともがいているコトバ、存在しないものを存在するものにしようとする言葉の、いわば俳句的形象化、それがここでは、一年中台所の片隅にある冷蔵庫が作者によって季語として仕掛けられた「冷蔵庫」なのだ、と。共有感覚の季語としての「冷蔵庫」こそ「聞こえていなかったもの」を「聞こえたもの」に、「見えていなかったもの」を「見えたもの」に変換する装置なのだと再認識させてくれる一句であった。
(注1)金塊のごとくバタあり冷蔵庫 吉屋信子
(注2)冷蔵庫に冷えゆく愛のトマトかな 寺山修司
(注3)冷蔵庫ひらく妻子のものばかり 辻田克巳
(注4)冷蔵庫にフランスの水と灘の酒 池田琴線女
(注5)ごちゃごちゃとまたごちゃごちゃと冷蔵庫 石塚友二
(注6)わがためのもの奥にあり冷蔵庫 森田峠
(注7)好きな物みんなありけり冷蔵庫 市川きつね
(注8)夜の冷蔵庫開けるな海があふれ出す 高野ムツオ
第337号 2013年10月6日
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2013-11-10
【週俳10月の俳句を読む】変換する装置 鈴木茂雄
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