【週俳10月の俳句を読む】
異形の世界のワンシーン
羽田野令
白金の坩堝に白蛇とぐろ巻き 高橋修宏
蝉穴を出れば黄金殺倒す 同
六道の辻にごろりと鯨の頭 同
金環蝕王子の巨根祀るべし 同
これらのおどろおどろしさは何だろう。白金、黄金殺到、金環蝕のきらめき感。白蛇、とぐろ、六道の辻、鯨の頭、王子、巨根、祀るという民俗学的な素材。言葉の持つイメージを追うと一句一句に一つの宇宙が出来上がっているようであり、異形の世界のワンシーンが現れる。一句一句が合わさって曼荼羅をなしているような面白さがある。
松岡修造氏に
瀧口のはうの修造的きのこ 西原天気
「瀧口修造の詩的実験」というおそらく広告が現代詩手帖か何かに昔毎号のように載っていて、覚えてしまうぐらいその字面を見ていたので、瀧口修造というとそれぐらいしか知らないのだが、何かとても詩的であるようにその名前だけで思ってしまう。そんな私にとって瀧口修造的きのこというだけで幻覚でも起る様なきのこが想像出来る。名前が同じというだけで、あんたの方の修造じゃないのよ、とわざわざ引き合いに出された、ハーッピーで仕方がないというような面差しのテニスプレイヤーが気の毒である。
赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり 斎藤茂吉
赤茄子を二三歩離れものおもふ 上田信治
茂吉の赤茄子からこのように書かれると、細見綾子の「鶏頭を三尺離れもの思ふ」も果たして茂吉が下敷きにされているのではなかろうかと思ったりしてしまう。というか、掲句は茂吉よりも細見綾子なのではないだろうか。
他の作品からの発想では、西東三鬼「夜の湖ああ白い手に燐寸の火」、富澤赤黄男「一本のマツチをすれば湖は霧」、「めつむれば祖国は蒼き海の上」から寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 」が有名であるが、そういう作りの作品を見かける事はある。
俳句から短歌というのもあって、佐藤弓生「そのとき人は生きているのだ ひとは、と口ひらくとき卵食うとき」はどうしても三鬼の「広島や卵食ふ時口ひらく」を思い出すし、栗木京子は以前自分の歌を、渡辺白泉の「包帯を巻かれ巨大な兵となる」から発想したというような事を書いていたことがあった。
絵画ではコラージュということがある。他の絵や写真を張り合わせて別の新しい作品を作るというものである。その時の他の絵や写真はあくまでも材料であり、元の作品とは全く異なった画面が構成されている場合が多い。言葉の数の少ない短歌や俳句に於いてはどうなのであろうか。
爆発以後豚が育ててゐるコスモス 荒川倉庫
豚という主体をおくことでいろんなことが描けるものだと思う。豚はこの世界の中で自由に闊歩している。こういう書き方もできるものなのだなあと思う。コスモスを育てるというごく普通の事と並べて「爆発以後」と書かれ、原発事故以後の世界の中の豚を描く。
虫籠を鏡台に置く響きけり 髙勢祥子
「響きけり」がすてきだ。鏡の前なのだから音が反響するだろうなと納得できるのだが、実際には響くという程ではないだろう。「響きけり」は自分の感覚である。そう言い切っているのがここちよい。
第337号 2013年10月6日
■高橋修宏 金環蝕 10句 ≫読む
第338号 2013年10月13日
■西原天気 灰から灰へ 10句 ≫読む
■上田信治 SD 8句 ≫読む
第339号 2013年10月20日
■山口優夢 戸をたたく 10句 ≫読む
■生駒大祐 あかるき 10句 ≫読む
■村越 敦 秋の象 10句 ≫読む
第340号 2013年10月27日
■鈴木牛後 露に置く 10句 ≫読む
■荒川倉庫 豚の秋 10句 ≫読む
■髙勢祥子 秋 声 10句 ≫読む
2013-11-10
【週俳10月の俳句を読む】異形の世界のワンシーン 羽田野令
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 comments:
コメントを投稿