【週俳11月の俳句を読む】
ひととおりではない気持ち
阪西敦子
閘門の照らされてゐる夜寒かな 本井英
開閉によって水位を変え、船を通してゆく閘門。その虚を突くようなからくりは人をひきつけ、見物もでる。その閘門が今煌々と照らされている。月明かりか、設備によるものか、大きな水をうごかす鉄の塊が夜に浮きあがるさまは、ふと体の奥から寒さをもたらせる。
二十歳でフランスへ留学した時、当地には本井英氏がいるだろうと句会の先輩方に言われていた。会うと良いと。なるほど興味を抱きながら、たいがいの二十歳がそうであるように(今ではそうでもないのか)、大人と関わるのは億劫だ。何がどう動くかわからないし、外国では特に。結局、連絡の取り方もわからず(もちろん求めれば見つかったと思うけれど)、お会いしにもいかなかった。最近、機会があって、氏の手がけた渡佛日記について調べ、氏がフランス滞在をきっかけに書かれた本を読みなおした。すっと悔いのようなものが消えた。物にも人にもきっと会うべき時には会う。あの時はきっとお会いしなくてもよかったのだなと思う。
遠くよりコスモス指してゐる水辺 山岸由佳
すこし言葉足らずな作りなのだけれど、水辺の遠く、同じ視界に入るか入らないかのところにコスモスがあって、そのしなった先が水辺を向いているのだと思う。コスモスの花を見ていて、その外を見るのは難しい。コスモスの群は大きいから。しかし、その視線の合わないコスモスを見るうちに、この花の意識はどこへ向いているのか気になりだしたのだろう。はっと気づいて眺めれば、そこには水辺があった。水辺との距離や、言葉足らずなことによって水辺からも照らされるコスモスが見える。由佳さんが吟行をする人だと知っていて、そう思っている。ときどき一緒に吟行する。月末が楽しみだ。
シャイな旗抵抗もいま一途恋 仁平勝
「女の園」(二人姓名読込之句・弐)より。女性俳人二人の名を一句に詠み込む。全部を見つけ出すのに常磐線一駅分。羽鳥から石岡の間かかったので、約5分。これは早いのか、遅いのか。ご近所にしてお会いする機会の多い鳥居真里子さんが一番最後まで見つけられなかった。文字で認識していないからかもしれない。作者解題にある「一句の意味も偶然にできたものですから、変に深読みしないでください」というのが曲者で、余計いろいろ考えてしまう。それにしてもわが師・汀子、わが先達・千鶴子の名の掲句はやはりいい。華やかでおおらか。『民衆を率いる女神』を思う。
ナッツの瓶ゆびでまさぐり日短 関根誠子
引き続き常磐線に乗っている。ナッツを指でまさぐりながら。入れものはビニールのパックだけれど。パソコンに向かっているようだけれど、本当は斜め前の席に座っている、時を追うごとに奥さんが聞こえよがしに甘えたになってきている夫婦の話を聞いている。「ねえ、(車内のパンフレットに)トム・ハンクスよ!」などというのを聞いている。
ナッツは取りにくい。丸く、塩が振ってあったりして、油も滑る。壁面にそって持ち上げても、最後のところで落ちたりする。でも、それもまたよい。瓶をもちあげて、傾けてとれるようになってからつまめばよいのだけど、それだと両手を使う。ナッツを食べるのは両手を使うほどのことではない。日が落ちてゆく。
実朝の墓の暗きに残る蜂 大和田アルミ
源氏最後の将軍にして歌人であった源実朝。若くして暗殺によってこの世を去った実朝は今も若く美しい。墓は鎌倉寿福寺にある。この寺には高濱虚子の墓もある。ともに谷戸の中にあって、墓の影ならずともあたりは暗いのだ。その暗がりの中に秋の蜂を見つけた。冬を越すものは雌であるという。この蜂がどちらかはわからないけれど、若くして多くの人に慕われながら、当然にこの世を去った実朝の墓に姿を現した蜂は、季題としての膨らみがいい。「御恩と奉公」として教科書にさらりと残された関係性の中に、多くの情があったことを改めて思う。あ、アルミ姉さん、私もあの夜の吉祥寺の御恩は生涯忘れません。
梟に胸の広場を空けてをく 岩淵喜代子
「広場」と題された連作の最終句で、今、広場は「胸」にある。「胸」は心とも取れるけれど、胸部ともとれる。遠く鳴く梟に心を奪われているようであり、ふさふさした姿を抱きとめたい気分でもある。実体はないが、不思議に感触はある。
犬の毛のふくらんでゐる文化の日 相沢文子
文ちゃんだ。仲良しだ。書きづらい。そもそも知っている句が多い。どこかでとった句も多い。しかし、掲句はそうではなく、今回初めて見た句。文化の日に、身ぎれいでふさふさした犬がゆく。なにやらお仕着せめいた名の祝日に、人とともに満足そうにいる犬の姿は、明確な気分を伝えるわけではないのだけれど、こちらにひととおりではない気持ちにさせる。読む者、読む時によって、句意は変わらないが、余韻は変化する。友人でもあるが、好きな作家でもある彼女の句は、なかなかきちんと見るのが難しい。友人のする話はなんとなく通じることの高揚もあって、その話が実際面白いかどうかということだけで、笑うわけではない。友人の句も同様、聞いているそばからわかるということがある。句会の中、無記名で回ってきても、なんだか届くなあと思うものは、彼女の句であることも多い。一方で、作家として好きな句は、読みはじめて終りがわかるような類のものではなく、親しいものには通じる目端の効いたものでもなく、表現がすこぶる気持ちいいものでもなく、どちらかというと平らかで、終わってから少し漣が起きる程度のもの。その瞬間は、知らない人を見ているようだ。
第342号2013年11月10日
■本井 英 柄長まじりに 10句 ≫読む
■山岸由佳 よるの鰯雲 10句 ≫読む
■仁平 勝 女の園 10句 ≫読む
第343号2013年11月17日
■関根誠子 ナッツの瓶 10句 ≫読む
■大和田アルミ 桃剥いて 10句 ≫読む
第344号2013年11月24日
■岩淵喜代子 広場 10句 ≫読む
■相沢文子 小六月 10句 ≫読む
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2013-12-15
【週俳11月の俳句を読む】ひととおりではない気持ち 阪西敦子
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