2013-12-15

【週俳11月の俳句を読む】 ことりことりと 杉原祐之

【週俳11月の俳句を読む】
ことりことりと

杉原祐之



週刊俳句11月に掲載の作品から一人一句ずつ引いてみた。

俳句というのはやはり季題が利いていて作者の得意げな顔が表に出すぎない作品というのが好ましいのではないか、という思いを新たにした。

閘門の照らされてゐる夜寒かな 本井英

→季題は「夜寒」。
「閘門(こうもん)」は船を通すために運河の水位を調整する機能を持った堰。世界的に名の知られたものではパナマ運河やスエズ運河にある。私もカナダにいたときにPeterborough(ペーターボロー)という町に世界最大の「何とか式閘門」というのを見た(下記写真)。


掲句の「閘門」はそのような大きなものでなく、日本のごくごく普通の川にあるものであろう。遡ってくる波が閘門に当たりそこに月明かりと電灯の明りが指す。如何にも晩秋の夜寒という風情が醸し出されている。

寝袋に入り木の実の音つづく 山岸由佳

→季題は「木の実降る」。
テント泊まりの夜、寝袋に入りしんと静まり返った闇の中では聴覚が敏感となり周辺の動植物の物音が妙に気になる。なかでも木の実の降る音が気になった。昼間の明るいときには気が付かなったが、夜の闇の中で音で聴く旺盛に木の実が降ってくる現実に自然の活動のスケールの大きさを見た。落ちた木の実から来年新しい命が誕生していく。


かたや魔弓こなた鎌先夕刻に  仁平 勝

→二人以上の女性俳人の名を五七五に読み込んだ十句。作者の華麗なる「技」に感嘆した。ある意味「解題」は不要であったかもしれない。結果として冗長に「技自慢」となってしまった感がある。それにしてもこの連作から、己の言葉の抽斗を充実させる必要を改めて実感した。

色抜けし狗尾草よおまへもか 関根誠子

→季題は「狗尾草」。
上五で枯色を「色抜けし」と強く呼び、下五で「おまへもか」と畳み掛けることで周辺の野の枯色具合へと連想が広がった。「色抜けし」の把握に至るまでしっかりと季題と会話をしていたのではないかと思う。

霞むまで線路真つ直神の旅 大和田アルミ

→季題は「神の旅」。
神無月の傍題。意外に鉄路というのはレールと温度の気温差が発生しやすいので水蒸気が上がりやすく、靄が出てしまい易い。その光景を上手に切取り、ある年末が近づいてくることを実感させる「神無月」と取り合わせたところが手柄であろう。この句も写生が背景にあるので、取合わせの面白さだけではなく、一歩踏み込んだ余情が出ているのではないか。

誰からも見えて広場の冬帽子 岩淵喜代子

→季題は「冬帽子」。
実に巧みな句。難しい表現や技は見せずに、寒々とした冬の公園と原色(私は赤と思う)の鮮やかな冬帽子、そしてその帽子にふさわしい溌剌とした若い女性(女の子含む)がどんどんこちらに向かっている様子が手に取るように分る。省略の仕方含め極めて感心した一句。

古本の脇に白菜積まれけり 相沢文子

→季題は「白菜」。
作者は「ホトトギス」の編集部で働かれており、実に虚子以来伝統的な「ホ社」の俳句を感じた。日常の何気ない様子を写生し、何気ない風景から市井の人々の暮らしの息遣いをとらえている。古本と白菜に何の因果もないが、それを並べることで市井の人々の暮らしが浮かび上がってくる。



実はこの夏にカナダから帰国して以来あまり俳句に熱心になれない自分に戸惑っている。思ったより日本での仕事/暮らしが多忙というのもあるが、俳句に対し向い合わなければ・詠まなければという思いが強く、苦しくなってしまっていた。

今回、「週刊俳句」から鑑賞の機会を与えて頂き、しっかりと読み込むことで、難しいことや格好良いことを読むのが俳句ではなく、自の現状を肯定し季題に託してゆくという姿勢の大切さを改めて思うことが出来た。

第342号2013年11月10日
本井 英 柄長まじりに 10句 ≫読む
山岸由佳 よるの鰯雲 10句 ≫読む
仁平 勝 女の園 10句 ≫読む
第343号2013年11月17日
関根誠子 ナッツの瓶  10句 ≫読む
大和田アルミ 桃剥いて 10句 ≫読む
第344号2013年11月24日
岩淵喜代子 広場 10句 ≫読む
相沢文子 小六月 10句 ≫読む

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