2013-12-15

【週俳11月の俳句を読む】他人事とは思えない 近恵

【週俳11月の俳句を読む】
他人事とは思えない

近 恵




最近、体力とか視力とか記憶力とか集中力の低下がはなはだしい。特に視力に至っては、老眼と視力低下が一気に到来し、近眼用のメガネを作るべきか老眼鏡にするべきか迷いつつ、もしメガネデビューを果たしたあかつきには「メガネっ娘」とか言われるんだろうかなどと妄想してみたり。かといって眼科にも眼鏡屋にも行く気にならないというやる気のなさ。ああ、これは明らかに老化なのだ。「メガネっ娘」ではなく「メガネ婆」ではないか。そういや「戦争が廊下の奥に立つてゐた」(渡辺白泉)なんて句があったが、「戦争が老化の奥に立つてゐた」でも何かしら意味を持ちそうだなあ、などと思考は散らばり、くだらないことばかり考えてしまう師走の夜。


霜月の身を水平にして深夜   岩淵喜代子

さて、こちらは師走ではなく霜月。難しくない。ただ深夜に横たわっているだけのことである。けれど「霜月の身を」と言われると、なんとも寒々しい。布団の中ではなく、どこかに直に横たわって体の下側からどんどん冷えていく感じ。霜に持ち上げられて少しだけ体が浮いているような錯覚。こんな時、人は何を考えるんだろう。


林檎噛む時々顔を歪ませて   相沢文子
爪楊枝噛みすぎてゐる一茶の忌

噛むで始まり噛むで終わる小六月である。林檎を齧ると歯茎から血が出ませんか(ああ古い)、いやもうそれどころか歯がぐらぐらしてもげそうなんですよといった風情。そんなになっても爪楊枝をボロボロになるまで噛み続ける。仄かに貧乏くささも漂う。今年の一月から歯根の治療を開始し、来年の一月からは上の歯の矯正に突入する自分としては他人事とは思えない。


ナッツの瓶ゆびでまさぐり日短   関根誠子

歯根の治療は歯茎を切ったり張ったりして、ナッツ類はかなりの天敵である。歯の隙間にも挟まりやすいしね。と、これは個人的な事情であるが。指でまさぐるということは、多分他のことをしているのであろう。読書とかなんとか。で、そんなこんなのうちに日が暮れてしまうのである。ああ、なんと怠惰な一日。気付いたらナッツの瓶も空っぽに。ちなみにナッツ類は意外とカロリーが高いので食べ過ぎには注意したいところ。


霞むまで線路真つ直神の旅   大和田アルミ

霞みの向こうに伸びている線路は、まだ真っ直ぐなんだろうか、それとも緩やかに曲がっているんだろうか。神の旅だけに、もしかしたら雲に向かって上に伸びているのかもしれない。そんなことを思わせてくれる。


高く飛ぶときも鶺鴒波描き   本井 英

鶺鴒が道にいると、ついつい後ろをついて行きたくなる。鶺鴒は背後に何かを察知するのかちょんちょんとにげるように先へ進み、ついには飛び立ってしまう。そんなときも鶺鴒は一直線ではなく、確かに波を描いてちょーんちょーんと飛んで遠くへ行ってしまうのだ。なんだかさみしい。


銀杏降る夜空へ近き交差点   山岸由佳

降ってくる銀杏の葉を見上げるとそこのは藍色の夜空。四方の開けた交差点で、まるで自分の体が宙へ浮いていくのと同時に空が迫ってくるような錯覚。そう、すべて錯覚。信号が赤になる前に渡らないと、本当に天に召されてしまいかねないです。


かたや魔弓こなた鎌先夕刻に   仁平 勝

初めて異性と二人で見に行った映画は、千葉真一、真田広之、薬師丸ひろ子が出演していた「里見八犬伝」だった。バイト先で偶然一緒になった彼は、二つ年下の高校の後輩で、在学中は接点はなかったのだが実は顔が好みだったので密かに名前を知っていた。そんな訳で何かしらチャンス到来。バイトが休みの日に思い切って映画を見に行こうとデートに誘ったのだ。ただ映画を見て、喫茶店でお茶をして、それだけ。翌日からまたバイトに勤しみ、冬休みが終わってそれっきりである。映画の内容は全くといっていいほど覚えていないけれど、魔弓とか鎌先とか、いかにもその映画に出てきそうではないか。この句を読んで、そんなことを思い出してしまった。10代の終わり頃の話。


第342号2013年11月10日
本井 英 柄長まじりに 10句 ≫読む
山岸由佳 よるの鰯雲 10句 ≫読む
仁平 勝 女の園 10句 ≫読む
第343号2013年11月17日
関根誠子 ナッツの瓶  10句 ≫読む
大和田アルミ 桃剥いて 10句 ≫読む
第344号2013年11月24日
岩淵喜代子 広場 10句 ≫読む
相沢文子 小六月 10句 ≫読む

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