【句集を読む】
人間の俳句
大沼正明句集『異執』
谷口慎也
『連衆』第66号(2013年9月)より転載
『大沼正明句集』(昭和六十一年)以後の作品をまとめたもの。彼は私にとっての伝説の俳人。昭和二十一年、旧満州生。かつて『海程』で活躍した人だ。一九九一年から四年間、長春の吉林大学で日本語・日本文学を教えている。私が知っているのはその辺までであった。そして今回の突然の句集。帯文を夏石番矢・江里昭彦・大石雄介。「この分厚い鈍器を、二十一世紀はどう評価するだろうか」(江里)とある。
彼の俳句は〈即身句〉。〈こちとら十年(ととせ)スルメして即身句だオーイ〉から拝借した。
天皇制のむこうの豚舎もまずは健康
好戦って本能赤ちゃんキャタピラ這いしてる
永遠と一列放尿コソボの虹と
ピョンヤンの脚十色鷺より細きあり
酔わば人生遠雷がバックホームのように
寧の生家はあの解放(ジェファンダ―)大路(ルウ)の暗(あん)帰りぬ
などがわかり易い作品。
だがこういう抽出の仕方は何の役にも立たない。時系列に並べられた作品は、苦汁を背負った「鈍器」の如き彼の身体性と共に読まねばならない。俳句を盆栽の枝ぶりの宜しさ加減で鑑賞することの馬鹿らしさ。だから「異執」(正論から外れた見解に執着すること)なのである。
ことは表現の問題であり読みの問題。人体はあらゆる場所のあらゆる時間を動き回る。それを纏めて人間と言う。であれば、「異執」をも呑み込まなければ〔人間〕の俳句は見えてこない。
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