2014-02-09

朝の爽波103 小川春休



小川春休



103



さて、今回は第四句集『一筆』に収録された最後の年「昭和六十三年」から。今回鑑賞した句は昭和六十三年の盛夏から初秋にかけての句。この年の八月十五日、京都黒谷の真如堂で掃苔風景を見ていますが、そのものずばり、という句は見当たりません。

徳用マッチ置きたるそんな舟遊び  『一筆』(以下同)

夏になると納涼のため、海や川に船を出して遊ぶ。船の大小は様々あろうが、掲句は「舟」の字から、小型の船のようだ。置いてあるマッチは、簡易の喫煙所でも拵えてあったのだろう。それが徳用であったところも、いかにもざっくばらんな舟遊びという趣。

曝す書の石のはざまに落込みて

梅雨明けの時期や土用の頃に、書物を陰干しして湿気を取り、黴や虫の害を防ぐ。掲句、縁側に干していた本が、沓脱ぎ石の間に落ちたのか。陰干しとは言っても盛夏のこと、強い日差しに照らされた周囲の庭と、沓脱ぎ石の間の暗がりとの明暗の対比が印象的。

瓜冷しあること思ふ二階かな


夏の暑い時期、よく冷やした甜瓜(まくわうり)の瑞々しい涼味を楽しむ。特に時間帯は示されていないが、やはり暑い時間帯、午後二時か三時ぐらいを思う。気温が上がってくると、ふと冷やしてあった瓜のことを思い出すのである。ゆったりとした夏の一日だ。

花となく葉となく蓼を蟻走り

秋に入ると路傍などに、すらりとした茎の先に小さな花をぽつぽつと付けた蓼をよく見かける。酷暑の過ぎた頃の蟻が蓼の花を登り切っては降りてゆく。それほど丈の高くない蓼の、茎、花、葉までもが、素早い蟻の動きによってくっきりと輪郭を描き出されている。

野分禍のまづ御手洗に水通ず

野分とは、野の草を吹き分けるほどの風という意。古来から詩歌に用いられた野分と台風とではイメージが異なるが、人間の生活に支障をきたすものという点では同じ。水も電気も止まってしまい、今やっと水道が復旧したところ。とぼけた俳の味わいのある句だ。

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