自由律俳句を読む30
吉岡禅寺洞 〔2〕
馬場古戸暢
前回に引き続き、吉岡禅寺洞句を鑑賞する。
大空をさゝえて仏舎利塔の昼がまだある 吉岡禅寺洞
子供の頃に住んでた家の近所に、仏舎利塔があった。何なのかまったく見当がつかず、やけに怖かったのを覚えている。大空を支えていたのか。
鶴の墓あるかときけばだまつてゐる 同
殉職?した鶴で有名な観光地での景だろうか。あるいは、鶴を預けた知人を訪ねた時の様子か。たぶん鶴の墓はつくられることがなかったのだろう。
人がきて おめでとうというので 元日となった 同
禅寺洞は元日を来客の挨拶にみた。私は元日を新聞の広告の厚みにみる。
新緑がもえても平和の鳩がとびたたない 同
鳩にはとびたたない自由があることが、よくわかる句。なおたまに、平和を押しつけられた鳩の気持ちを考えることがある。
季節の歯車を 早くまわせ スウィートピーを まいてくれ 同
禅寺洞の辞世の句。最後の最後にこうした自由な句を詠んで逝ったところに、「らしさ」をみたい。
※掲句は、上田都史ほか(編)『自由律俳句作品史』(1979年/永田書房)、裏文子「吉岡禅寺洞」(『自由律句のひろば』創刊号/2013年)より。
2014-02-09
自由律俳句を読む30 吉岡禅寺洞 〔2〕 馬場古戸暢
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