空蝉の部屋 飯島晴子を読む
〔 18 〕
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小林苑を
『里』2012年11月号より転載
茶の花に押しつけてあるオートバイ 『八頭』
話は脇道に逸れてばかりなのだが、最近、京都に二度行った。現代俳句協会青年部のシンポジウム『今、伝えたい俳句 残したい俳句 ・洛外沸騰』があり、紅葉真っ盛りの物見遊山も兼ねてではあるが、晴子の育った町を歩くきっかけが欲しかったのだ。
お洒落な店が増えて、京都の町はずいぶん変わった。それでも、路地に入れば、大正や昭和の初めもこのままであったろう佇まいが残っており、ハイカラな服を着た利発そうな少女が角を曲がってきそうな気がする。この古い都には、新奇なものを受け入れる懐の深さがあり、それは揺るぎのない自負からくるようだ。どんな路地にも東京の下町の雑駁さは見られず、少なくとも外向きは背筋を伸ばしてシャンとしている。
晴子が生まれたのは京都府冨野荘村だが、四歳から小学二年生頃まで、上京区寺町通広小路上ル中御霊町で育つ。中御霊町は御所の東側、現在の府立医大の辺り。古い町並みの続く静かな都の中心であったところだ。
「寺町通に面した門を入ると玄関まで路地があり、秋口になると路地の石畳の両側は秋海棠で埋められた。二、三軒先は紫式部の邸跡とも伝えられる廬山寺であった。京都はどこへいっても歴史に出会う。向かいは萩で知られた梨木神社、その先は御所の御苑であった。」〔※1〕
父親の仕事の不振で、御室仁和寺の近くに転居。裏には田圃が広がるところで、小学三、四年生を過ごす。ここでの自然との触れあいが、後に俳句に関わって生きたという。
「勉強は放り出して野山をかけ廻った。仁和寺、龍安寺、妙心寺、兼好法師の双ヶ岡などを結んだ一帯が私の遊び場であった。」〔※1〕
店と住居をひとつにすることになり、母親の教育熱もあって、中京区新椹木町へ、次に金閣寺の側へと引越をする。京都で育てば見慣れた光景ではあったろうが、どこに住んでも明暗のある家と四季の変化が常に晴子の周りにはあった。さらに、文化、慣習も京都ならではの歴史に連なっている。
「私の育った京都というところは、土地伝来の美意識が日常生活のなかに働いていて…略…家の中は、思えばまさに歳時記的に運行されていた。」「いつも、外からの眺めが形として一定の秩序のなかにあるかどうかが問われる。」〔※2〕
三月になればどんなに寒くても春で、着るものも春着にする。そうでなければヤボと言うことで美意識に反する。こうしたことに若い時は反抗心を抱いたという晴子。それが俳句と出会って、「季語を生かす」こと向き合ったとき、再び「あの寒い三月」の「あざやかな<春>のイメージ」が蘇る。
「思えば私はまだ、あれほど確かな春に逢ってはいない。これから俳句の中で逢わねばならぬ春とはあの春」「季題とはもともと虚構の側のもの」〔※2〕と言うのである。
自然を肌で感じ、よく見、よく知るほど、言葉は虚であり、人のイメージなのだと得心する。この言葉を駆使して、あらたな作品を作ろうとしていた晴子に写生句が増えてくる。写生とは、実なのかといえば、言葉をもって書かれた、それはやはり虚だ。
掲句、自句自解によれば、初冬の所沢辺りを吟行したときのものだという〔※3〕。以前から茶の花垣の、刈り込まれて固くなった感じを句にしたいと思っていて、オートバイが走るのを見たことから一句になったと書いている。
だから垣に寄せてあるオートバイを見たわけではない。見てはいないが、光景を思い浮かべてできた写生の一句である。けれども、この句も虚であるのは、見たか否かではい。読み手が受け取るのが、目に浮かぶ姿形だけではなく、そのイメージ、感覚だということだ。
冬の冷気の中に茶の花の垣根がある。その垣にオートバイが「押しつけてある」というのだから、そこには人が介在し、それも少しの強引さがある。茶の花垣という昔からの強靱なものに、オートバイという新しい頑丈そうな動的なものが取り合わされて、それは、よくある、なんでもない、けれども微かな違和のある光景となる。
晴子のことを考えながら京都を歩いていると、掲句がこの町にこそ相応しい気がしてくる。
シンポジウムでは、若いシンポジスト四名が、こういう人にはという条件付きで伝えたい俳句、また残したい俳句を挙げるという資料が配付され、それを巡っての討論もあった。四人で約八十句ほど挙げ、そのうち晴子の句が三句あり、晴子句の存在感を思った。
脇道に逸れついでに、先日、森光子が死んで連日テレビで生前の舞台や番組が流れていた。晴子は森光子と小学校の同級生だった〔※4〕と書いている。九十歳を過ぎているとは思えぬ華やぎで人前に出る森光子を見ていると、庶民派のおかみさんを演じていたけれど、やはり京女だなと感じる。晴子もキリっと粧わなければ自分を許せない人だったのだろう。
〔※1〕『葛の花』「私の住んだ家」二〇〇三年
〔※2〕『飯島晴子読本』収録 「再会」『鷹』一九七三年
〔※3〕『飯島晴子読本』収録 「自句自解」『自解一〇〇句選・飯島晴子集』一九八七年
〔※4〕『飯島晴子読本』収録 「雛」『鷹』一九八一年
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