自由律俳句を読む35
『新墾』 〔1〕
馬場古戸暢
口語自由律俳誌『新墾(にいはり)』は、九州は遠賀に住まう重富架光氏を中心に、年に四回発行されている。インターネット上では展開していないため知らない方も多いが、吉岡禅寺洞の教えを受けた小川素光が1954年に創刊した、歴史ある俳誌である。今回より二回にわたって、『新懇』320号(2013.5)と321号(2013.8)、322号(2013.11)より数句を選び、鑑賞文を付したい。
石垣に父祖の頭蓋骨が組み込まれている たむらのぶゆき
昔は、家の側に遺体をそのまま埋葬することもあった。この父祖は、自身が石垣に組み込まれ、その家の礎となることを望んだのだろう。頭蓋骨のかたちのまま組み込まれているのならば、少し怖くはある。
ごめんなさいが言えたのに一人になった 野添芳枝
「ごめんなさい」は人としてあまりに当然のことであって、言えたからといって必ず許してもらえるわけではない、ということか。それとも、「ごめんなさい」の対象である相手が逝ってしまったということか。さびしさが滲み出る句。
この生活をまるめて風呂敷 荻島架人
世代差がためか、私は実際に風呂敷を用いたことはない。風呂敷を日常的に使っている方々は、この句のような印象を持っているのだろうか。
雪塀家路へ音を踏む 佐藤健次
韻律と相まって、ぎゅっ、ぎゅっという雪を踏む音が聞こえてくる句。夜空には星が輝いていたことだろう。
見えないあなたに盆提灯を吊るす 今石咲子
この「あなた」は、連れ合いか近しい人なのだろう。この盆提灯を頼りに、たまには顔を出してほしいものである。
2014-03-16
自由律俳句を読む35 『新墾』 〔1〕 馬場古戸暢
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