【週俳2月の俳句を読む】
それだけなのに
榊 倫代
日常の、いつもだったらそのまま通り過ぎてしまう事象に目をとめてみたらちょっと面白かったとか、日常の中にちらちら見え隠れする一瞬の非日常を詠んだ句に魅かれる。
鳥曇りトイレットペーパー三個抱へ 瀬戸正洋
そういえば、二か月に一度の古紙回収の時にもらうトイレットペーパーはいつも三個だ。一個や二個なら手に「持ち」だけれど、三個以上になると確かに「抱へ」という感じになる。
一読して、上のようなちり紙交換の場面を思い浮かべたけれども、具体的な理由の説明は必要ないだろう。トイレットペーパー「三個」というのが絶妙で、落とさないように工夫して抱えているその人の姿、状況そのものに俳味がある。「鳥曇り」との取り合わせもいい。
永き日やドラッグストアーの束子 同
ドラッグストアーなので、あの茶色くてちくちくした亀の子束子ではなく、色とりどりのナイロンのスポンジたわしを思い浮かべた。
店先に3個入りや4個入り百数十円で売られている一山の束子。それだけなのに、何とものどかで春らしい。
春大根口を利かなくなつた妻 同
夫婦喧嘩か、そこまでいかないまでも何かしら妻の不興を買ったのだろう。帰りが遅かったとか約束を守れなかったとか。
不穏な状況のように見えるけれども、あまり深刻さは感じられないのは「春大根」のおかげ。とんとん切って煮たり焼いたり和えたり。
料理ができあがる頃には仲直りができただろうか。
蠟梅の黄にうつくしき鼻濁音 原 知子
いわゆる「標準語」圏での鼻濁音は廃れつつある中で、自然にきれいな鼻濁音を使える人は少ない。意識して聞き取らないとそれとは気づかないほどのわずかな差であるけれども、柔らかく美しい響きは耳に心地よい。鼻濁音の持つ響きの美しさや奥ゆかしさと、蠟梅の黄色が響きあっている一句。
お三時や二人で汚す春の指 同
「お三時」の少し古めかしいというか上品な言い回しから、「二人で汚す」「春の指」までの流れで、いくらでも物語というか妄想が広がる。
(いわゆるBL読みも可能か。時代設定としては昭和初期あたり。舞台はお屋敷あるいは寄宿舎的な場所)
旅行記に雨の匂いの残りけり 同
どこの国へ行ったとか、どんな旅行だったかはわからないけれども、無季句であるので、日本とは異なる気候の、たとえば東南アジアなどの雨の多い国ではないかと想像した。
嗅覚には記憶や感情を呼び覚ます作用がある。旅行記に残る雨の匂いは、作者の感覚を軽々と旅という非日常に連れ出してくれる。
第354号 2014年2月2日
■内藤独楽 混 沌 10句 ≫読む
第355号2014年2月9日
■原 知子 お三時 10句 ≫読む
■加藤水名 斑模様 10句 ≫読む
第356号 2014年2月16日
■瀬戸正洋 軽薄考 10句 ≫読む
第357号 2014年2月23日
■広渡敬雄 ペリット 10句 ≫読む
■内村恭子 ケセラセラ 10句 ≫読む
2014-03-16
【週俳2月の俳句を読む】それだけなのに 榊倫代
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