2014-04-27

第10回鬼貫青春俳句大賞受賞記念 今井心「眼鏡をはずす時わらう」を読む 黒岩徳将

第10回鬼貫青春俳句大賞受賞記念
今井心「眼鏡をはずす時わらう」を読む

黒岩徳将



鬼貫青春俳句大賞は、数少ない30歳以下の若手の登竜門の賞の一つであり、審査員四人の公開審査会によって受賞作が決まる。年々、応募作品数が増えており、今年は44作品が集まった。その中で、ふらここ所属の今井心が大賞を受賞し、角川『俳句』3月号p262-263に掲載された。

http://www.kakimori.jp/2013/12/post_192.php

  春光や眼鏡をはずす時わらう  今井心

細かいシチュエーションは自分で想像すればいいが、やわらかな光がある場所で主体は眼鏡をはずして笑う。理由などはあえて隠されていて、句の眼目は状況の意味ではなく、笑っている自分を確認することにある。この句単体で見ると、笑っているのはささやかな理由なのかもしれないが、「眼鏡をはずす時わらう」は30句連作のタイトルでもあり、意味深な「笑い」の要素が以後の29句にひっそりと織り込まれているように見えてくる。

  風船の重りとしての身体かな

二句目も同じく、最後に視点が主体自身に移る。句の構成から、独善的な内容に陥る危険性があるが、この作者は季語の斡旋と素直な語り口で、それらをかわしていく。

  雛祭りわたしのいない母の家

母は子ども(たち)が家を去っても、恒例行事をかかさない。あるいは雛壇は押入れにしまわれているのか。平明中七だが、自分の家ではなく、母の家と表現したところに母への思いが見える。この人が地元へ戻ることはあるのだろうか。

  東風吹いてかたまりになる一年生

運動場での体育の時間を思い出した。「かたまり」が適切で巧い。前へならえ、気をつけなどするのだろうか。わらわらと列を直そうとしている様子が見えてきた。

  春の夢自我をご用意致します

30句の中で最も採れなかった。誰が誰に向かって用意しているのか、このシチュエーションにおける自我とは何を指しているのか、ムードに凭り掛かりすぎているのではないか。深まる謎についていけなかった。

  宮島の客船夏を往来す

主体の存在する具体的な場所が伝わってくるのは、この句と17句目「除雪車や夜がさみしくないように」の2句のみ。大鳥居を横目に、客船がゆったりと行き来することを「夏を」と大きく捉えたところが手柄である。しかし、型にはまったきちんとした作りのこの句のすぐ近くに

  夏祭りスーパーボールのにおい嗅ぐ

があり、幅の広さも見せている。夏祭りの華やぎの中、実感をしっかり引きつけて書いた。しつこいまでの自己観察。

  秋麗大道芸に銭を置く

大道芸は俳人好みの素材だと個人的に思っている。句としてポエジーを出すための「銭」という卑俗な表現をあえて使う。五円か十円か百円か、銭入れに響く小さな音が聞こえてくるかのようだ。主体が初めて銭を置いたのか、他の人に誘われるように置いたのか、想像の広がりがある。

  林檎置きやがて絵となる美術室

まず始めに誰かの手と林檎が映り、そこから手がゆっくりと離れ、林檎の背景の黒板やイーゼルや絵の具、蛇口が見える。種明かしとしての下五が心憎い。説明するのが野暮だと思ってしまう。

  冬晴れや光の凝る熊の檻

冬眠中で出てこないのだろう、看板にも固まった光が留まっているのかもしれない。

  コート着るあなたが何か呟いた

30句目。それまでほぼすべて自己に回帰する句を読み続け、最後の句で他者を明確に登場させた。主体は「あなた」に聞き返すのか、なんとなく聞き返さない気がする。

総じて、一句における情報量は少なめで、それが余裕のある詠みぶりに繋がっている。今井は短歌をメインに活動している作家だが、俳句にその手法を適応できているのは、句の構造ではないだろうか。また、現代かな遣いが句の雰囲気に合っていることもこの作者の大きな武器だと言える。人間の登場する句が多かったので、次回は是非違った素材の扱った作品を読みたい。今井の呟く「何か」をこれからも期待している。

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