自由律俳句を読む41
塩谷鵜平
馬場古戸暢
塩谷鵜平(えんやうへい、1877-1940)は、当初は子規庵の句会に参加し、『ホトトギス』へも投句していた。後に碧梧桐に傾倒し、俳号を鵜平とする。1913年に発行した個人誌『土』は、28年間315号に及んだという。以下『自由律俳句作品史』(永田書房、1979)より、数句を選んで鑑賞したい。
くちなしの匂ふとも云はぬ人たちや 塩谷鵜平
作者にとっては、話題に出すほかないほど、くちなしの匂いが気になるのだろう。しかし周囲は、さほど気にしていない様子。なぜだ。
われのみおろかなるやうにて冷ゆる膝 同
複数人で座っている中で詠まれた句とみた。どうにもわれだけがおろかに思えて、膝ばかり眺めているのである。先の句と同様の景を覚えた。
花野来し君なれば庵の敗荷見て 同
この庵は、作者自身が住んでいるところか。花野と敗荷の対比によって、君がなお一層美しく見えたのではないだろうか。
我をながめている我なりし草萌ゆる 同
随分前にみかけた記憶のある句。作者が誰かわかる機会を得ることができて、嬉しい限りである。ここでの我は、結局は笑っているものと考えたい。草が萌ゆるのに、悩んでいるのはつまらない。
わが骨埋むも遠からず大地ここいらの芽 同
いつかは埋まることになるだろう、わが骨。この場所から遠くない大地で、きっと新たな生命となって芽生える。なかなかに、悪くはない死後である。
2014-05-04
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