【週俳4月の俳句を読む】
貧乏神のいる風景
守屋明俊
死んでゐるすずめそのほかすべて春 川嶋一美
作品「あゆむ」の最後の句。初句が〈鳥雲に入るプリッツに塩の粒〉なので、この「死んでゐるすずめ」の重さに些か驚く。作品中に「鳥」「亀」「抱卵」「雉」そして「樹」「倒木」「樹皮」の言葉が置かれ、生き物と近しいらしい作者の嗜好がわかる。季は春。言祝ぐべき春の到来は「雨」「土」「風」といったものと深く結びつきこれらの生き物を輝かせる。その一方で、生を静かに終えた雀。雀の死すらも「すべて春」に包含した作者の冷徹な抒情を思う。
目を閉じないこと枝垂桜をくぐる時 近 恵
普段は目を閉じていることが多いのだろう、枝垂桜をくぐる時以外は。生きているこの嘘の世界を無視するには、我々は目を閉じるしかないし、耳を塞ぐしかない。でも、紅枝垂は別。タイムカプセルを思わせるその枝垂れの中にこそ、一瞬の自由とこの世の美がありそうだ。この句、「閉じないこと」の「こと」に大きな意思が感じられる。そういう意思を育てる枝垂桜は、もはや魔物といっていいだろう。
早蕨を映す鏡としてありぬ 西村麒麟
早蕨とそれを映す鏡。この二点がこの句の言葉の装置。鏡は何でも映すけれど、早蕨とは意外な取合せであり新鮮である。早蕨を映すために作られたわけでもないだろうに、こう詠まれてみると、この鏡は運命的に早蕨と出逢ったに相違ない。早蕨を永遠に早蕨のまま映し続ける鏡としてありぬ、と思うことは読者の勝手である。世界が滅んでも、蕨の類は鏡の中で早春の息吹を再生していくのだ。そう言えば、蕨や薇というのは人類が滅んでも生き続ける宇宙人のような形をしている。
春の野に貧乏神の黄色き歯 野口る理
貧乏神に憑りつかれた家では、病人や災難が年中起るし、代々主人は短命である。幸せは薄く貧窮に陥る。貴方の家? いえ、私の家が然う。でも、長くその家で不幸の限りを尽くした貧乏神は、その家がどん底になれば、次の家を探しに出ていくという。子どもに買ってあげた水木しげるの『妖怪事典』によれば、貧乏神の風体は、痩せ衰えて古い衣に白菅の笠、頭陀袋を掛けている。ほぼモノクロの出立ちであるから、この句の「貧乏神の黄色き歯」は殊更リアルに感じられる。貧乏神が春の野に遊ぶなどということは想像できないが、そこを敢えて明るい「春の野」を取り合わせたところに俳諧がある。
春夕焼郵便受で手紙読む 仮屋賢一
誰でもこういう経験をする風景をうまく描写している。郵便受から手紙を取り出したときに、後で読めばいいものと、今すぐ読んでみたいものとを一瞬にして見分けることはよくあることだが、鋏も無しにその場で手紙を破いて読み始めるというのは、今やごく限られた行為だろう。合格通知の類はパソコンで確認することができるし、かつてのラブレターなどはもはや電子の世界でこと足りる。そうであるが故に、一時代を思わせるこの句は妙に懐かしく、「春夕焼」も上手く効果を上げている。
第363号 2014年4月6日
■川嶋一美 あゆむ 10句 ≫読む
■近 恵 桜さよなら 10句 ≫読む
第364号 2014年4月13日
■西村麒麟 栃木 10句 ≫読む
■野口る理 四月10句 ≫読む
第365号 2014年4月20日
■曾根 毅 陰陽 10句 ≫読む
第366号 2014年4月27日 ふらここ・まるごとプロデュース号
■山本たくや 少年 10句 ≫読む
■仮屋賢一 手紙 10句 ≫読む
■木田智美 さくら、散策 10句 ≫読む
■山下舞子 桜 10句 ≫読む
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2014-05-18
【週俳4月の俳句を読む】貧乏神のいる風景 守屋明俊
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