今井杏太郎論3
ひらかれたことば
生駒大祐
八月もをはりの山に登りけり 杏太郎
大勢のひとの集る秋の山
本当によく晴れてゐて秋の山
今井杏太郎の俳句には漢語が少ない。そのためか、杏太郎の俳句の一句の情報量は極めて少ない。
漢語を多用して意味の重層性を狙った俳句には、たとえば飯田龍太のものがある。
春すでに高嶺未婚のつばくらめ 龍太
つばくろの甘語十字に雲の信濃
兄逝くや空の感情日日に冬
『百戸の谿』(1954年)から引いた。漢語を用いて複雑な情景を丹念に描き出そうとしている。
俳句は省略の文芸とよく言われる。
漢語を多く使った俳句が「言葉を省略して景の密度を上げている」と表現できるとすれば、杏太郎の俳句は「景を省略して言葉の密度を下げている」と言えそうだ。
龍太の俳句の韻律は景の密度を上げたことで必然的に生まれる独特の韻律だが、杏太郎の韻律には作者によるコントロールの成分が多分に含まれていると感じる。
言葉や景ではなくゆったりとしたスムーズな韻律を追求した結果が、密度の低いひらかれた言葉による俳句なのではないか。そう考えている。
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2014-06-08
今井杏太郎論3 ひらかれたことば
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